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「ユイ、誰にも言うなよ!」
「うん、言わない、ちゃんと秘密にするから、ノブくん、もっかい、もっかい見せて」
「こんなもんじゃねーからな、もっとでけー雲作って、高いとこ、行ってやる」
「ノブくん、すごいよ、いいなあ、いつかわたしも乗せてほしい」
「は? ユイはどんくさいから無理だろ、すぐ落ちて死ぬぞ」
「で、でも、ノブくんが手を繋いでくれたら」
「なんでお前と! これはオレの超能力なんだよ! 乗れんのはオレだけだ!」
「うん。そうだけど、でもね、ノブくんのお嫁さん、わたしって、ずっと前に約束してくれたでしょ? だからわたしだけ、特別に一緒に乗せてくれない?」
「は? ばっかじゃねーの! 嫁って、んなもん、幼稚園の劇の役だっただけだろ! なんで本気にしてんだよ!? ばかだろ!」
「え、ちがうよ、もっと前だよ。ノブくんがそんなふうに、なんていうか、素直じゃなくなる前に、約束してくれて」
「覚えてねーよ! んな昔のこと! 知るか! 」
「ノブくん……」
「とにかく誰にも言うなよ、ユイ、これはオレだけの特技なんだからな!」
「…うん」
幼いノブの、大きな秘密。超能力が使えるなんて、世間が知ったら大騒ぎする。本物の雲を集めて、固めて、ノブは白い雲に乗ることができた。家が近所で幼稚園に入る前から知り合っていたユイは、ノブが無邪気に笑う顔を覚えている。いつからだろう。ノブは笑うより、怒ることが増えた。運動神経が良くて、負けず嫌いで、周りを威圧するような振る舞い。ユイはただ、ノブの背中を見守って、追いかけているつもりだった。
ノブは勉強も、運動も、成績はずば抜けて良いのに、口が悪い。ユイは平凡で、大人しく、目立つところがなかった。
ノブくんは、楽しそうに笑ってたよ。
そんなことをユイが言っても、誰も信じないだろう。今や近づきがたい。強がり以上のものを感じる。中学、高校へと進むごとに増す、威圧感。いつしか話しかけることも、ユイはためらうようになっていた。
クラスで一際目立つ、ノブという男子。 怖い、いかつい、そんななのに、顔の造形はかっこいい、の部類に入る。そして、成績もいい。インパクトの塊みたいだ、とユイは思う。
体育祭では抜群の運動神経を発揮し、模試の結果では常に上位。口を開けば喧嘩腰で、衝突も多いが、ノブは決してクラスから、学校からはみ出してはいなかった。周りを囲む友人も居る。ノブには、男子にも女子にも、少なからず憧憬を抱かせる何かがある。
でも、ユイが一番に憧れたのだ。陰で人気を得ているノブを、自分以上に憧れを抱く者がいたら、そんなのは嘘だ、あり得ない、と思う。
たんに嫌なだけだ。ユイ自身が。
ユイは階段を駆け上がる。私服姿のノブの姿は慣れない。すぐ人波に紛れてしまう。すれ違う人とぶつかって、ユイはよろめいた。その腕を掴む手があった。こけずに済んだ。ユイは顔をあげる。
「ありがとうござい…」
うんざりした顔の、鋭い瞳とかち合った。
「…だっせー」
ノブはそう言って、ユイの腕を離して、さっさと背を向ける。
今、だっせーって言った?
わたしに?
わたしの何に?
もしかして全部?
ていうか、高校入ってから、まともに目を合わせたの初めてじゃない!?
じゃなくて、助けてくれて、
「の、ノブくん!」
ユイは精一杯、叫んだ。
駅のホームはごった返していて、それも学校の一学年が一揃い集合しようとしているのだから仕方なくて、三年になってやっとノブと同じクラスになれたけど、話しかけられる雰囲気じゃなかった。ノブが、自分に対して意図的にそう振る舞っているように、ユイには思えた。ここで叫んだって、たぶん聞こえない。
聞こえない方が、都合がよかった。ノブが拒絶するなら、仕方がない。届かないのも、仕方がないと思える。まだ、もう少し、心の余地を残しておきたかった。
地味で、ドジで、何の面白みもない自分は、ノブには関わるのも煩わしい、そんな存在かもしれない。ユイはいつしかそう自分を納得させてきた。ノブが、小学校のいつ頃からか、まったく話してくれなくなった。話しかけても、鬱陶しいという顔をされるだけになった。
ノブくん。
久々に口にした愛称。
教室で言ったら、ノブにどんな恐ろしい顔で凄まれるだろう。どうして、ノブを怒らせるようなこと、今日はしちゃったんだろう。
ユイには原因がわからない。
人波の中を風がそよぐ。青葉の匂いがした。修学旅行にぴったりの気候だ。足元に視線を落としていたら、影がさした。ユイが顔を上げるより早く、声が降ってきた。
「おい、さっきオレの名前叫んだな?」
ドスのきいた声。ノブは女子にも容赦がない。
ユイは肩を震わせた。まさかノブ本人が、わざわざ自分の呼びかけに、人混みを掻き分けて、目の前までやってくるなんて、思ってもみない。
逆鱗に触れた。かもしれない。
「ごめん、えっと、カンザキ…くん」
「あ? 声が小せえ、聞こえねー」
「だから、ごめん! じゃなくて、ありがとう!」
「は?」
「あの、あの、わたし、どうしても言いたいことがあって、ノブくんに」
見上げると、真っ直ぐ目が合った。
瞬間、胸がきゅうっと竦む。
ちょっと涙が出そうになった。その顔、やっぱり怒ってる。
「おいユイてめえ何ぐだぐだ訳分かんねーことボソボソ言ってんだ? オレは今イラついてんだよ」
「あ、うん、見ればわかる…」
「はあ!? だからお前に何がわかるってーんだよ!? 用件ならさっさと言え!」
当然のように怒鳴られる。理不尽だ。ノブはいつのまにか理不尽そのものになってた。どうしてだろう。ユイには原因がわからない。
黒いスニーカー、デニム、黒いシャツ。黄色いリュック。警戒色みたい。イナズマみたい。ノブと向き合うだけでピリッとする。ユイの中の血脈が、化学反応でも起こしたかのように、弾ける。ドクン、と何度も弾ける。
ノブくん、と呼んだのが気に障っただろうか。
だけど、さっき、ユイって、呼んでくれた。昔とはなんだか違うけど、でも、そう呼んでくれた。
眩しいなあ、とユイは思う。ノブは飾らないから、こうなんじゃないかな。きっと素でいつも怒ってる、ただ怒ってる。何に対して、どこにぶつけていいかわからない怒りを、内包してる。そういう振る舞いなのに、慕う人たちが居るのは、きっとノブの気取りのない眩しさに当てられるからだ。
「ノブくん、三日目行事の、雲海、わ、わたしと見に行ってくれませんか!」
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