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…もう何杯目だっけ?
結局藤川君の片側は篠崎ちゃんがガッチリガードをしていて、もう片側は同期の子達が代わる代わる祝いの言葉や最近の雑談なんかをしに行っている。
私はというと…篠崎ちゃんに対抗するほどの勇気もなく、どちらかというと先制攻撃に臆病風に吹かれてしまっていた。
心配したエミは偶に様子を見に来てくれるが、その度に「こんな時じゃなきゃじっくり話せない同僚もいるんだから」と、彼女を輪に戻した。
私が無心でお酒をおかわりしまくっているのに気付いた同僚の岡田君は、面白いオモチャを見つけた顔で私の隣に座った。
「葉科さんがこんなお酒強いって知ってたらもっと飲みに誘ったんだけどなー。今日は楽しく飲もうぜ」
岡田君は無類の酒好きで有名だった。自宅にはリキュールや各種蒸留酒が棚に並び、よく同僚を招いては自宅でバーテンダーごっこをやっているとの噂だった。彼の手元を見ると、スモーキーフレーバーのウィスキーを飲んでいるようであった。薫りが独特なので飲まず嫌いをしていたが、不思議と今夜は飲んでみたいと感じた。「私も同じの飲んでみたい」そう言ったら本当に嬉しそうに笑顔を浮かべた岡田君が「俺のキープ一緒に飲もう!」と言った。
あぁ、誰かの行きつけの店って…岡田君の行きつけだったのね。
そんなどうでもいいことを考えながら、到着したグラスとキープボトルにテンションが上がった。口を付けると鼻に燻製の薫りが抜けていった。
「美味しいかも…」
その言葉に更に上機嫌になった岡田君は、皆に見えない位置で私の腰に手を回してきた。最初はお酒の席だしね…と放って置いたその手は、ゆるゆると動くようになり、胸の下ギリギリの場所を撫でている。私は慌てて席を移動しようとしたけれど、急に立ち上がってお酒が回り、足元がふらついた。すかさず私の身体をさり気無い感じで支えた岡田君は、気が大きくなっているのか耳元で「抜けちゃおっか?」なんて言ってきた。
…そんな気は全くありません。
支えている腕を振り解こうとしたけど、力が強くて振り解けない。
岡田君は無遠慮にお尻や太ももを触ってくる。流石に鳥肌が立った私がどうしよう…と思っていると、急に私の身体が浮き上がった。
「葉科、具合悪くなるまで飲むなよ」
「え…」
気付くと遠い席に居たはずの藤川君が、私を抱き上げていた。
奪い取られた形の岡田君は、「おい」と言ったが…藤川君は綺麗に無視をした。私はというと、何が起きているのか理解出来なくてパニックになっていた。
「あぁ、顔が赤くなったり、青くなったり。これじゃツライだろ。…みんな、今度埋め合わせするからさ。葉科送り届けたいから、これで抜けるな」
私の顔色に都合良い解釈を付け加えた藤川君は、そう言った。
主役が抜けるなんて皆納得するわけないじゃない…私が呆れて視線を向けると、皆にんまりと笑って了承していた。
岡田君は他の女子の同僚に、篠崎ちゃんは男子の同僚に動きを抑えられている。…なんか、もしかして。藤川君の気持ち、みんな知ってる?
何だか嵌められたような気持ちで、私はお姫様抱っこされたまま店を出た。
流石にそのまま帰る気はないらしく、店の外で私を下すと二人分の荷物を持った藤川君は私の肩を支えるように歩いた。
傍から見たら仲の良いカップルにしか見えないだろう。
それぐらいには私と藤川君は密着していた。
「…藤川く」「泉、隙があり過ぎだろ」
私の言葉を遮る形で、藤川君は口を開いた。
その表情には怒りも見えるし、冷たさも感じた。けれど私を見る視線だけは熱いぐらいだった。
「…はぁ、勘弁してよ。俺、泉が由樹に抱かれてるってだけでも嫌で仕方なくて…滅茶苦茶にしたくなるってのに…。よりにもよって岡田みたいな、女なら誰でもいいとか言ってる奴に触られてるとか…本当、止めてよ」
心の底から…といった言葉を告げる藤川君に、私は何となくムッとした。
篠崎ちゃんが大胆にボディタッチしていたのをこちらも見ている。
私だけ一方的に言われるのは釈然としなかった。
「……」
私の無言の怒りを感じ取った藤川君は、ハッとしたように抱いている私の肩に込める力を強めた。由樹とは違う香水に、胸の奥が何故かキュッと締め付けられた。
「…違う、こんな事言いたかった訳じゃないんだ。勝手に嫉妬してた、ごめん…。本当はこの間のこと、謝りたかった。なのに俺以外の前でも無防備な姿見てたら、堪らなくなって…ほんとごめん。俺には泉を責める資格なんてないのにな…」
自嘲するように笑いながら、藤川君は言葉を吐き捨てた。
「ううん…私も、藤川君に曖昧な態度をとってたと思う。私ね、正直に話すと…由樹と藤川君を重ねちゃう時があったの。二人とも、きっと本当に欲しいものは一緒なんじゃないかなって感じて…。藤川君が由樹を許せないのは…当然だよね。きっと何度も好きな人を…」
私の言葉に、藤川君の瞳がキュッと動いた。
昔の悲しい恋心を思い出したのかもしれない。
「私は…自分が釣り合ってるとは思わないけど、由樹の欲しいものをあげたいって思ったの。それは自分の意志だよ。由樹になにか誑かされたわけじゃない…私を好きになりたいって言った由樹に、私も好きになりたいって思ったの。藤川君の欲しいものをあげられるのは…私じゃない」
今までずっと胸につかえていたのに、いざ藤川君を前にしたら簡単に言葉が出てきた。そうだ、私は自分の気持ちすら分かってなかった。私は由樹に好きになってもらって、私も由樹を好きになりたい。婚姻届けを書いてままごとみたいな結婚をした後だけれど…本当にそう思ったんだ。
「俺…海外に進出する支社に異動を誘われてるんだ」
藤川君は凄く落ち着いた声でそう言った。
「そこでのポストも約束された栄転だよ。父親の呪縛から逃げる為にも、俺は受けるつもりだ。…もし今夜もあんな熱っぽい視線俺に向けるようなら、泉を攫っていくつもりだった。どうせ由樹に丸め込まれる形で結婚したんだろうって思ってたから、別れさせる事を考えてた。…でも、俺は由樹を通して見られてただけなんだな…あの視線も、全部由樹に向けたものなんだな…」
「…ごめんね」
これ以上同情を感じる事はしてはいけない。
私は零れそうになる涙をグッと堪えた。
「…ほんと、何にも持ってないふりして…あいつ、俺の欲しいもの全部持ってるんだよなぁ…」
藤川君に路地に連れ込まれる。肩を離してくるりと正面に回ると、私の顔を引き寄せて唇を合わせるだけのキスをした。
「…最後だから、許して」
もう一度だけ唇を甘噛みするようなキスをされる。
彼のしたいようにさせた。けれど私から唇を開くことはしなかった。
何度かキスを繰り返した彼は苦笑いを浮かべ、私から一歩離れた。
「泉のそういう毅然とした態度、滅茶苦茶好きだった」
「…うん」
「もし願いが叶うなら、由樹に会う前に時間戻して…俺のものにしたいなぁ」
「…うん」
「それでもきっと、泉は由樹を好きになるんだろうね。何でかな…そう感じるよ、変だな、俺」
藤川君は軽く笑うと私の荷物を手渡して路地を出て行った。
私があまり酔ってないのが分かったのだろう。
路地を出ると、街頭スクリーンいっぱいに大きく映し出される由樹の姿があった。新しい香水のPOPモデルだったようだ。映し出された由樹に歩いている女性達は立ち止まり、見惚れている。
香水の広告フレーズは『君と一緒に包まれたい』だった。
私は由樹の香りを思い出し…広告を見上げたまま願った。
由樹に会いたい。ちゃんと向き合いたい。
「由樹…」
私の小さな呟きは、雑踏の中へと吸い込まれていった。
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