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02
頭を撫でられるような心地良い刺激を感じ、口元が緩む気持ちになる。
こんなふわふわした気持ち、何年ぶりだろう。実家で飼っていた猫が朝方から顔の辺りに移動してきて、もふもふの毛を顔に押し付けて寝ていた時のような。形容し難い幸福感があった。
「ん、起きた?」
「………」
「おはよ」
にこにこと笑いかけられ、折角寝て忘れていた現実がまざまざと思い出された。本日二度目の顔から血の気が失せる思いをした。対照的にご機嫌な様子のイケメンが憎らしい。
「俺を拾ってくれてありがと、泉」
「え、何で名前知って…」
「昨夜散々呼び合ったじゃない?」
きょとんとした顔で言われ、昨夜の記憶を絞り出そうとした。
(ね、名前…教えてよ)
(いずみ…葉科泉…)
(泉、いい名前。俺は高瀬由樹)
(由樹…もっと…)
(ここ?)
ここまで思い出してわー!と心の中で叫んでいた。名前を知る前に始まっちゃってるとか、いい大人が羽目を外し過ぎだ。
「あの…何もかも忘れて、このまま帰ってくれませんか…」
私が絞り出すようにそう言うと、可笑しそうに笑いながら「ご飯にしよう」とはぐらかされた。よくよく落ち着いてみると、テーブルにはご飯とお味噌汁、目玉焼きと鮭の塩焼きが並んでいる。空気を読んでくれない私の胃はぐぅーと鳴いて返事をした。
…うん、食べ物に罪はない。とりあえず食べてから、忘れてもらう交渉をしよう。誘われるまま、食卓についた。
「いただきます…」
「召し上がれ」
お味噌汁が二日酔いで疲れた胃に優しく沁みていく。頭を撫でられた時のような、温かさを感じる。由樹という男の人柄なんだろうか。
「すっげー嬉しそう。美味しい?」
「ぐっ…悔しいけど、私より料理上手いと思う…」
「そっか、俺主夫向いてるのかもね。そっかー、それもありか」
何だか勝手に納得している様子に首を傾げながら、有難く完食した。
顔を洗ったり脱衣所で着替えを済ませている内に、いつの間にか食器も洗い終えてくれていて。そこから昔撮り溜めていた映画を一本一緒に観て。由樹はソファーを背もたれに床に座り、私をその前に両腕で抱え込んでいる。
…ん?
あまりにも流れがナチュラル過ぎて、違和感に気付いたのは映画も終わって首筋に軽くキスされた時だった。
あれ、一晩の関係の男女ってこんなに甘い??
まるで付き合って一ヶ月くらいの初々しいカップル並の甘さがあった。
そしてそれに流されて受け入れてしまっている自分が怖い。
「ねぇ、話があるんだけど…」
首へのキスが擽ったくて、穏便に部屋から出てもらえるよう交渉しようと由樹の方を振り向くと、勘違いされたのか唇へとキスを移された。
…ひたすらに、甘い。そして優しい。このままでもいいんじゃないか、なんて少し思っていると、由樹は唐突に立ち上がった。
「さて、行ってこようかな。昨夜は本当に有難う。泉に会えて良かったよ」
そう言ってもう一度軽いキスをすると、由樹は上機嫌のまま部屋を出て行った。…どうやって忘れてもらおうか、どうやって部屋から出てもらおうか悩んでいた自分が馬鹿らしい。ゴミ捨て場から拾った男は、嵐のようにあっさりと部屋から出て行ってしまった。
私はというと、ポカンとその後ろ姿を見送り、何だか寂しいと感じてしまっていた。
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