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願ったり叶ったりだったのに、あんなにあっさり帰られるとは思ってなかった。拍子抜けしてしまい、折角の土曜なのに何もする気力が起きない。由樹が私の部屋を出て行ってからすでに一時間は経とうとしている。
…一周回ってなんだか腹が立ってきた。
一晩だけの男に気持ちを振り回されるなんてらしくない。そんな事を思いながら、気を取り直すように珈琲を淹れて飲んでいる時であった。
ガチャッと玄関の扉が開く音がした。
由樹が出て行った事に不思議とショックを受けていたら、部屋の鍵をかけ忘れていたらしい。どうしよう。
警察に通報出来るよう、110を押す準備を震える指でした。その人物は玄関から入ってくると、慣れたようにリビングの扉に手を掛けようとしていた。なけなしの武器としてヘアアイロンを構えてみる。
空き巣か、変質者か。どちらでもかかって来い!
「鍵開けっ放しは危ないよ…って泉、何してるの?」
「へ…?」
扉の先から現れたのは、小一時間前に部屋を出て行ったはずの由樹であった。
…何故?
私の疑問が顔に出ていたのだろうか。由樹は私の携帯が110に発信できる状態になっている事を確認すると、「びっくりさせてごめんね」とそっと握っていたヘアアイロンを回収して元の場所に戻す。
…よく場所分かったね。
そして相変わらずのにこにこ顔で「婚姻届け提出してきたよ」と爆弾発言をした。
「…はぁ、婚姻届け!? ていうか、帰ったんじゃなかったの?」
「うん。帰るもなにも、拾ってもらったんだからここが俺の帰る場所だよ。あ、行先を言わずに出かけたから心配した? 早く役所に出しちゃおうと思って」
「冗談でしょ、そんなの捏造じゃない!」
「え、泉憶えてないの。俺がこの人って決めた人とすぐ結婚出来るように持ってた婚姻届け、昨夜ノリノリで記入してくれたじゃん。ふふ、近所のスナックのママが第二の母だから、ちょっと証人欄書いてもらうって飛び出して行って…十分くらいで帰ってきたかな。話の分かるママで良かった。俺の方は証人欄も埋めてたやつだから、すぐに受理してもらえたよ」
俺は謄本持ってたし、泉は本籍地ここで良かったー、とにこにこしながら嬉しそうに報告する由樹に、私はまた頭を抱え込んだ。
婚姻届けには憶えがないが、確かに昨夜酔っぱらって何かにサインした気がする。…本気で、昨夜まで時間を戻したい。
「今日から俺達は夫婦だね。宜しく、泉」
嬉しそうにおでこ、鼻、頬、唇と順にキスを降らせる由樹を受け入れながら、私は冷静な頭で…結婚したことを何て会社に報告しようかなんて考えていた。
とりあえず、ちょっと寂しいと思ってしまった一時間前の私に謝罪して欲しい。何も言わずに由樹の頬っぺたを軽く抓ると、「へへっ」と嬉しそうに笑われただけだった。
…多分、間違いなく。私はこの顔に弱い。
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