遠くよりも近くは見えない

2/5
前へ
/5ページ
次へ
「ま、間に合った」  電車が遅れることなく動き、バスも渋滞に巻き込まれることがなかったお陰で、佳珠葉は予定の四十分前に家の扉を開くことができた。  靴を脱ぎ捨て、忘れてはいけない手洗いとうがいを済ませると、リビングを通り過ぎて自室に駆け込み、素早く着替えとタオルを手に洗面所へと急いだ。  すべて脱ぎ捨て、抜かりなくメイクを落とし、髪を洗いヘアパックをつけて体を洗う。  そして、一気にシャワーで上から流して終わりだ。  ムダなど一つもない動きで入浴を終えた佳珠葉はタオルで体の水分を拭き取り、スキンケアだけは丁寧に行った。  時計を見れば時間まで十五分ほど。  髪の毛も念入りにブローして、軽く結べば用意は終わる。  あと三分ほどという時間になりリビングのテレビをつけて、ソファーではなくラグの上に座れば、恋しい時間が幕を開けた。  一時間十分後ーー。 「おお、神よ……」  手で目元を覆いながら、ぽつりと呟いた。  今見たものが信じられない。  最高の音楽とダンス。  そして、なによりもその容姿に、言葉が見つからなかった。  かっこいい。  イケメン。  そんな言葉では安っぽすぎる。  今の感動を呟きたくてTwitterを開けば、同じ思いのファンたちが韓国語で呟いている。  そう、佳珠葉は韓国のアイドルが好きなヲタクなのだ。  独学で学んだ韓国語で呟き、時には向こうの友人とやり取りをする。  流れてくるツイートを見ていると、音楽番組を終えたばかりのメンバーの退勤写真が上がっていた。  舞台の上で見せる姿とは違う、柔らかな印象に胸がキュンとする。  この姿を見るだけで、一日の嫌なことも疲れも吹き飛んでいく。  ウキウキとした気分でテーブルの上にあるノートパソコンを引き寄せ、Youtubeを開いてもう何回目になるか分からないプロモーションビデオをつける。  凝ったストーリーと芸術的な映像美。そして、揃ったダンスパフォーマンスは圧巻で、ストーリーの部分はとにかく魅力的だ。  何度見ても飽きることはない。  繰り返し見ているうちに、時計の針はどんどん進んでいく。  明日も仕事だと自分に言い聞かせて、ノートパソコンを閉じると、電気を消してベッドに潜り込む。  明日はまた別の音楽番組でパフォーマンスする姿が見られると心を踊らせながら、幸せを噛み締めながら落ちていくままに眠りに落ちた。  もう幸せしかない。  だから、朝起きた時にあんな思いをするとは思いもしなかった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加