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 そこでようやく海寿輝は頭上に満天の星々が輝いていることに気が付いた。雲一つない夜空は地平線の向こうへと果てしなく続き、時折流れ星が白く微弱な光を放ちながら落ちては消えていく。まるで見えない空間から現れた生物が、海の中へと飛び込んでいくかのように。都会では見ることのない星空に、海寿輝は思わず息を呑んだ。確か車の中で流れていたラジオでは、流星群は今夜がピークだと言っていた。  ――流星群の夜にな、真っ青に光る海月の大群が出んだ。ありゃたぶん普通ン海月じゃねえべ。    ふと、かつての祖父の言葉が甦り、何気なく視線を落とすと、穏やかな海面に微かな光を放つ半透明の生き物が漂っているのが見えた。  ――クラゲだ。  流れ星がひとつ、ふたつと流れ落ちる度に、海面に浮かぶクラゲの数も増えていき、やがて辺り一帯を青白い光が包み込むまでになった。柔らかく温かな青色は、これまで見てきたどんな色よりも鮮やかで美しかった。クラゲたちは流星の尾のように触手をなびかせ、静かに夜の海を漂っている。海寿輝は夢を見ているのではないかと己の意識を疑ったが、隣にいるカイの大はしゃぎする姿を見て、ふとこれは祖父の仕業なのではないかと思った。気の抜けるような甲高い鳴き声は、祖父が隣にいる時しか出さないものだった。  クラゲの大群の中に、ひときわ大きく真っ青な光を放つものがいた。カイはその大きなクラゲに向かって千切れんばかりに尻尾を振っている。 「……爺ちゃん?」  馬鹿げているとは思いつつも、海寿輝はテトラポットの上から水面に向かって呼びかけた。すると、クラゲは水中で一層青々と輝きを放ち、何度か半透明の傘を揺らめかせた後、静かに海の底に消えていった。その光景を目にした瞬間、海寿輝の目から大粒の涙が堰を切ったようにぼろぼろと溢れ出した。  思えば、「海寿輝」という名前を考えたのは祖父だった。本当は「海月」という文字を当てたかったそうだが、父が反対した為に今の形になったという話を子供の頃に何度か聞かされたことがあった。海寿輝自身、この少し変わった名前にコンプレックスを抱いた時期もあったが、祖父の感動を押さえきれない様子を見ると、どうしても憎むことができないのだった。  ――とんでもなく綺麗なんだ。今まで見てきたどんなもんよりも。あれは命そのもんだ。  カイの温かい舌が海寿輝の涙を何度も拭い取る。涙が引く頃には、すべてのクラゲが海の底へと消えていった。 「海寿輝、大丈夫か」  浜辺の方から懐中電灯を持った父の声が聞こえ、海寿輝はようやく我に返った。 「何した? あぶねぇべこんなとこにいちゃあ」 「お父さん、クラゲ……今、青いクラゲが……」  海寿輝は状況を理解仕切れない父に説明しようとしたが、そんな言葉しか出てこなかった。しかし父ははっと驚いた表情を見せ、海の中を覗き込んだ。 「海寿輝も見たか。爺ちゃんが言ってたやつ」 「うん。綺麗だった」 「爺ちゃんはこの世で見た一番綺麗なもんからおまえの名前を考えたんだよ」 「何なの、あれ」 「わからん。父さんも最初はカツオノエボシでも見たんだろうと思ったけどな。でも爺ちゃんが知らないわけないし。まあ『海寿輝』って漢字からして、爺ちゃんはあれが何なのかなんとなくわかってたんじゃねえか。確か爺ちゃんが最初に青いクラゲを見たのも、婆ちゃんが死んですぐだった」    海寿輝は空を見上げた。上空にはいつの間にか厚い雲が立ち込め、もう星は見えなくなっていた。  ただ、祖父は生きている。不思議とそんな風に思えた。
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