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 にわか雨が降って、少しだけ涼しくなった8月12日の夜。開け放たれた窓から冷たい風が吹き込んでくる。雨に濡れたアスファルトの匂いが、アパートの一室に漂っている。  ふと、何かに呼ばれたような気がして、海寿輝(みずき)は目を覚ました。傾けたスマートフォンの画面に表示された時刻が、彼女のぼやけた意識を呼び戻した。  ――8時間も寝てる。  新生活を始めるべく都会の町に引っ越してきて半年。よほど疲れていたのか、せっかくの休日を殆ど睡眠に費やしてしまっていた。昼飯を取った後無性に眠くなり、何の気なしにソファに横になったのがいけなかった。  海寿輝(みずき)は起き上がり、窓の側へ寄った。ちっぽけなアパートの2階から見える景色は、向かいの雑居ビルと電信柱だけだった。外へ首を伸ばして夜空を見上げてみても、赤く濁った天蓋がどこまでも広がっているばかりで何も見えない。ネットではペルセウス座流星群の話で持ち切りだが、薄汚れた都会の空ではそれを見ることは叶わない。  ――わかってたけど、やっぱりだめか。  そのまま目線を落とすと、道路にできた水溜りに街灯やネオン看板の光が反射してゆらゆらと揺れているのが見えた。寝起きの頭はまだぼんやりしている。  水面に映る無数の光を眺めていると、それに被さるように、突然大きなクラゲが現れた。突然のクラゲの出現に、海寿輝は思わず声を上げそうになったが、よく見てみるとそれはミズクラゲを模したビニール傘だった。 「もう雨降ってないから、傘閉じなさい」  傘の主は幼い少女で、後ろから歩いてきた父親に注意され渋々と傘を畳んだ。その時ふと、海寿輝の頭の中に何かとてつもなく懐かしい感情がなだれ込んできた。  ――流星群……クラゲ……何だっけ。  湿った冷たい風が勢いよく室内に吹き込み、半開きになっていたドアが大きな音を立てて閉まった。びくりと肩を跳ね上がらせたその瞬間、ポケットに仕舞ったスマートフォンが震えた。  電話の主は実家の母だった。 「もしもし海寿輝。爺ちゃんが……」  その先に続くであろう言葉を、海寿輝はわかっていた。 「今から行く」  海寿輝は先の言葉を聞く前に、強引に通話を切った。最低限の持ち物をリュックに詰め込み、部屋を出て駅まで走ると、家に帰る人々でひしめき合った電車に身体を押し込んだ。何度か電車を乗り替え、3時間。 『次は終点、夕凪浜。夕凪浜です。お出口は左側です』  乗客の殆どいなくなった車内に、終点を告げるアナウンスが静かに響く。  開いたドアの向こうには真っ黒な海と、煌々と明かりのついた病院が見える。澄んだ夜空には上弦の月が青白く光り、時折星が流れた。  ――せめて、最期くらいは会いたかったな。  駅員のいない改札を抜けてロータリーに出ると、母の青い車が停まっていた。 「つい昨日までは普通に話も出来て、元気そうだったんだけどね……」 「しょうがないよ。もう94歳だったんだもん」 「明日、仕事は?」 「ない」 「じゃあ泊まっていきなさいね」  雨に濡れたシャッター街を静かに走る。  何年も離れていたわけではないが、海寿輝はその光景をいやに懐かしく感じた。
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