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突然、幸久ががばりと身を起こす。やはり、魔法菓子に関しては目の色を変えるのだなと蒼衣はうれしくなる。
「本当は新年明けてからだけど、せっかくの集まりだし、今年は無理でも、来年度から始められたらと思ってて」
そのための試作も兼ねてるんだ。と言うと、幸久は「行きます、食べます」と俄然乗り気になってくれた。
「ええと、今から作るんだけど……少し見ていく?」
「今から焼くんですか?」
「焼き菓子は一日経ったほうが味が馴染んでおいしいかなって、僕は思ってて」
明日ゆっくり焼くのも一興だが、やはり一番おいしいと感じるときに食べてほしい。
「同意っすね」
手伝ってもいいですかという幸久の申し出を、蒼衣は笑顔で肯定する。
「それはありがたいなあ。実は疲れてるから手伝いがほしかったんだ。じゃあ早速、フランジパーヌを――」
一人で黙々と作るのも悪くないが、少しでも弟子に手ほどきをしたい。先ほどのぐったりした様子からは想像できないほど生き生きと準備を始めた幸久に気圧されながらも、蒼衣も作業を始めた。
二十六日の夕方、ピロートの喫茶スペース。つなぎ合わせて広くしたテーブルの上には軽食が置かれており、さながら簡易的なパーティ会場の姿になっている。
そこには、三人の老婦人――ヨキ・コト・キクが、おのおのの好みの飲み物片手に、準備をしていた蒼衣たちを待っていた。
「おまたせしました、ガレット・デ・ロワを温めてきましたよ」
蒼衣は皿に載せたガレット・デ・ロワを、三人の前に置く。
「こりゃあ、模様が綺麗だのー」
「ツヤツヤしとる」
「香りもええのう」
丸く黄金色に焼き上がった表面には、ペティナイフで付けられた月桂樹の葉の模様。均一な感覚で線を引かないと美しく見えないので、生地にナイフを入れるときは緊張した。
焼くときには、膨らみすぎず、層をつぶさないように、マフィン型などで脚を作った鉄板を重ねておいたため、なだらかな膨らみが美しい。
ふんわりと香るアーモンドとバニラが、仕事上がりの疲れた体への甘い誘惑に思えるほどだ。
前日に焼き上げ、落ち着かせた黄金色のパイ――ガレット・デ・ロワを目の前にして、一同はほうとため息を吐いた。
「ガレット・デ・ロワ……本当は、一月中に食べるものなんですけど、集まって食べると楽しいものなので、試作ついでにお出ししました」
三人の老婦人は、蒼衣の説明を聞きながらもしげしげとガレット・デ・ロワを見つめる。
「王冠が乗ってるのう」
「こりゃ紙じゃの」
「どういうことだなも」
三人の視線は、ケーキの上置かれた紙の王冠に注がれていた。
「このお菓子の特別な習慣があるんですけども……『フェーブ』と呼ばれる人形の陶器を入れてあって、人形を当てた人が、その一日だけ『王様』もしくは『王女様』になれるんです。そして、誰か一人をパートナーとして指名できる権利もね」
ガレット・デ・ロワを食べるのは、キリスト教の行事「エピファニー(公現節)」がルーツだったり、フェーブを入れる習わしは教会の責任者決め(パンの中に金貨を隠し、金貨を当てたものが責任者になった)から発展した……という蘊蓄をしゃべりそうになって、止めた。
周りからの「説明は良いから早く食べさせろ」の意が含まれた視線が痛かったからだ。
じゃあ切り分けますね、と一緒に持ってきたペティナイフを用意する。
「ここで切っていいんですか? 切るときって、ふきんかぶせて切るとか、見えないところで切るとかするんじゃなかったですっけ」
蒼衣の隣で立っていた幸久が口を出す。
「さすが幸久くん、よく知ってるね」
幸久の言う通りである。切った際に断面や、ナイフに当たった音などでフェーブがどこにあるかわかってしまったら意味がない。
「でも、これは大丈夫」
蒼衣は躊躇なく切り分け、全員分の皿の上に載せた。首をかしげた幸久に、蒼衣は「食べればわかるよ」と付け加えた。
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