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開店当時の蒼衣は、八代以外の従業員と共に働くことに不安があった。さまざまな店で体験した従業員同士の軋轢を、自身の店で味わいたくないという恐怖が大きかったのだ。
かつての勤務店「パティスリーパルフェ」オーナーシェフ・五村のような強いカリスマ性も、魔法菓子の師匠――三蔵広江のような他者を受け入れる広い度量も、蒼衣は持ち合わせていない自負がある。
今の自分が握れるのは、八代の手が精一杯。それを理解してくれる彼相手だからこそ、主張できた無理だった。
しかし、去年のクリスマスのことを考えると、ピーク時には八代と自分だけでは回せなくなってきたのも事実。特に、販売と経営は八代だけに負担がかかっている現状を、蒼衣とて理解していた。
ごめん、と力なく謝る。すると八代は、呆れたような、しかし笑いの混じった声で「蒼衣~」と名を呼ぶ。
「最初は二人で、ってのが約束だったろ? それはそれでよかったんだよ。蒼衣が販売に出るのは……まあ、手際は前よりはよくなったし、お客さんも喜ぶしでメリットはあるけど、やっぱおまえが製造に集中できる環境を整えたいし、お客さんも待たせたくないしな」
あくまで蒼衣を責めない八代の優しさが、逆に申し訳ない。いつだって八代は、蒼衣がうまく立ち回れるようにサポートをしてくれる。
だからこそ、今こそ新しいことを受け入れなければならない。
前から考えていた――販売アルバイトの募集の提案を切り出そうとした瞬間、八代が慌てた声で叫んだ。
「やべ、そろそろ開店の準備、本格的にしないと間に合わない」
「えっうそ、そんな時間!?」
二人は慌てて、残っていた開店準備をどたばたとこなす。陳列棚のホコリを取り、ショップスタンプを押した紙袋の残数を確認する。喫茶のテーブルと床も綺麗にして、ショーケースをくもりなく拭き清める。
そして、とびっきりの生ケーキをショーケースに収めていく。
ボイスマジック・ロッカー、火イチゴショートケーキ、クリスタル・モンブランにブルーミング・チーズケーキ。そして、黒く艶めくドーム型のスペシャリテ――プラネタリウム。
ケースの上には山のように積まれた「ふわふわシュークリーム」の皮に、ささやかなプレゼントの「金のミニフィナンシェ」の袋。
どのお菓子も、蒼衣が丹精込めて作り上げ、八代が自信を持って魅力を紹介してきてくれたものだ。
「さあ、俺たちの店を開けるぞ、蒼衣」
二人で店のドアの前に立つ。シャッターを開けるボタンを押すと、暗かった店内に光が射し始めた。
魔法菓子店 ピロートの開店である。
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