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「イベントチラシに大きく載せてもらったのはうれしいけどさ……これ以上どう目立たせろって言うんだよ、おっちゃん……」
幸久が雲クリームを爆発させて一週間後の、土曜日の午前中である。八代は一枚のチラシを手にして、嘆いていた。
「さっきの浅野さんのお願いだよね? ええと、えすえぬえすばえ……だっけ?」
つい先ほど、イベントチラシのレイアウトを見せるためにピロートを訪れた浅野は、メインで売り出す魔法菓子『ランタン・モンブラン』に、更に工夫をしてくれと言ってきたのだった。
「そうそれ。SNS映え。簡単に流行りが作れたら苦労しねえってよ」
んもー、無理ばっかり言ってさぁ、と八代が再度ぼやく。八代の持つイベントチラシの仮刷りを背後から覗き見た蒼衣はつい「ばえ……」とこぼした。
「あのう、そもそも『ばえ』……って、なんだっけ?」
昨今やたらめったら聞かれる「ばえる」なる言葉がよくわからない。八代も客もケーキを見る度に言うので、なにかしらの流行語なのだろうと思っていた。
「食べ物とか景色とか、綺麗にお洒落な感じに撮った、目立つ写真を『映える』って言うんだ。たまに見せるだろ。真四角い形の、魔法菓子を撮った宣材写真みたいなやつ」
八代に見せてもらうSNSとやらの画面は、確かにやたら綺麗な写真が多い。
「ええとつまり、見た目がいいものにするってこと?」
「変えられるのか?」
「うーん……見た目を変えちゃうと、魔法効果の調整が……難しいかな」
下手に飾りを付けると、せっかくの光る効果が綺麗に見えないだろう。クリームの分量も構造も、魔法効果とのバランスを考えて設定している。故に、今からデザインを変えるとなると一苦労だ。
男二人がカウンターの中で唸っていると、厨房を繋ぐドアが開く。
「シェフ、すいません。さっきの計量なんですけど聞きたいことがあって」
幸久が顔を出した。
「ごめん八代、幸久くんとちょっと話すね」
八代に断りを入れ、ドアを出た幸久の話を聞く。金の粉が固まっていたのだがどうしたらいい、と言われたので「それは一緒にやろう」と返事をした。
あれ以来、幸久はどんな些細なことでも蒼衣に訊ねてくるようになった。そして、面と向かって小ばかにしてくる様子は今のところは無くなった。彼にも、なにか思う所があったのだろう。
時折、手元をじっと注視されるのはいささか緊張するものの、それも彼の熱心さの表れだと思えば、かわいいものだ。
蒼衣の返事に「わかりました」と言って戻ろうとする幸久だったが、チラシが目に入ったのか「これってハロウィンイベントのですか? モンブランの新作を出すっていう」と、珍しく会話を振ってきた。
「そうなんだ。でもね――」
それが嬉しかった蒼衣は、先ほど八代と悩んでいたことを説明し、ついでに、タブレットで写真と動画を見てもらうことにした。すると、八代が蒼衣の肩を叩いた。
「蒼衣、幸久くんに意見、聞いてみたらどうだろう。俺も一応、映えってのを理解してるつもりでいるけど、三十路のオッサンだから感覚が違うだろうし。おまえはそもそも映えに疎いし」
「いいのかい? その……」
蒼衣は言葉を濁す。
販売促進などの担当は、一応店長でありオーナーである八代である。以前、幸久の態度にご立腹だったはずだ。
「俺は、おまえのお菓子がより多くのひとに『イイネ』って思ってもらえるなら、なんでもする男だぜ?」
「またそういう、大げさなことを君は言うんだから」
なんてことのないように言うものだから、さらに手に負えない。そんな彼を、精神的なよすがにするほど慕って――友情というには大きすぎ、かといって、恋愛の慕情とも違うそれだ――いる蒼衣は、照れ隠しに、斜め上あたりの虚空を眺めてしまう。
「画像、ありがとうございました」
ヌッ、と、八代と蒼衣の間に、タブレットが差し込まれる。我に返った蒼衣は「ど、どうだった?」と若干裏返った声で訊ねる。
「よかったら、幸久くんにどう見えるか意見を聞きたくて。前に一度、焼き菓子の棚を工夫したことあったでしょう? 八代から聞いたよ」
すると幸久は、顔を青くして「あれは、その」としどろもどろになる。
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