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「センスがあるなあって思ったんだ。だから、なにかアイディアがもらえたらいいなって」
「それ、いつまでにですか」
「週明けがタイムミリット。チラシの写真差し替えが月曜までなんだってよ」
どこか楽しげな八代の声に、幸久は「マジっすか」と言いつつも「考えてみます」と返事をしてくれた。
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年齢不詳のオッサンもとい、天竺蒼衣は、変わり者だ。
帰りの電車の中で、ケーキの箱を手に持った幸久はそんなことを考えていた。
「お疲れ様。そうだ、余ったケーキ、持って帰る?」
閉店後、蒼衣から声をかけられた。十月の土曜日は客足も多く、売れ残ることは少ないのだが、今日はたまたま余りが出たらしい。
実際にケーキを食べることも、勉強だと蒼衣は言った。
通っている大学と住んでいるアパートは、名古屋でも彩遊市に近い場所にあり、電車で一本の距離だ。最寄駅で降りた幸久は、アパートに向かう途中の公園に立ち寄る。アパートの壁は薄く、騒音が気になるので、くつろぐには向いていない。
ベンチを見つけた幸久は、途中、コンビニで買い求めたホットコーヒーとフォークを傍らに置いて、ケーキの箱を開ける。
「……プラネタリウム」
初出勤日に「うちのスペシャリテ」だと紹介されたケーキだ。母が食べたという新作にも使われた「星のかけら」を星座に見立てた、ドーム型のチョコレートケーキである。
「なんなんだよ、あのひと」
幸久は、魔法菓子職人である広江に憧れている。しかし母は、幸久が職人になることにずっと反対していた。諦めきれない幸久が、春に入学した大学を辞めてでもと言い出したときに、ピロートでのアルバイトを提案してきたのだ。
昔、厨房でかすめ見た頼りない青年が、ぴかぴかのコックコートを着て母に褒められているのを見た瞬間に湧いたのは、嫉妬に近い感情だった。
店頭で、金のミニフィナンシェを見たときうっかり「なんであのひとなんかに」と囁いた声が聞こえていたのかは、わからない。
見返したい、自分もできる人間なのだとわからせてやりたい。だから雲クリームを作ろうとしてーー爆発させたのが先週だ。
あの事故の日、彼は間違いを犯した自分を責めもせず、その上「これからも一緒に働こう」と説得された。
「普通、ミスった学生バイトに意見求めるかよ」
しかも、今日は「君の意見を聞きたい」とまでいった顔を思い出し、幸久は悪態をつく。
ドの付くほどのお人好しなのか、優しすぎるのか、はたまた、考えが足りないお花畑の頭なのか……。しかし、やはり母が認めたパティシエだ。仕事ぶりは普段のおっとりした様子からは想像できない真剣さと繊細さで、ついつい手元を見てしまう。(それでも叱ったりしないのだから、やはりお人好しなのだろう)
ケーキにフォークを差し入れる。瞬く間に、夜の闇に星座が浮かびあがる。
切って、口に入れる。何度か仕込みを見たことはあっても、食べるのは初めてだ。
口どけの良さ、甘さの加減、ビスキュイ・ジョコンドから広がるアーモンドとバターの風味。
ケーキのラインナップからディスプレイまで、とことん「アットホームな町のケーキ屋さん」の顔をしてるくせに、ただ「甘くておいしい」だけじゃない風味づけをしてくるのがずるいと幸久は思う。チョコレートムースに入れるナッツをわざわざカラメリゼしてから砕いているし、ジョコンド生地にほんの少し、バニラシュガーらしきものを入れている。
「……届かない」
思わずぎゅっとつむった目の端に、星が光る。
みっともない自分なのに、彼は手を差し伸べてくる。その優しさが、まるでお菓子のように甘い。
悔し涙だと気付きたくなくて、しばらくの間、まぶたの裏の星ばかり眺めていた。
――時間にしておおよそ五分もせずに、星は消え去った。幸久は残りのケーキを食べ終え、コーヒーを飲む。
公園のライトをぼんやりと眺め、空になったケーキ箱をなんとなくつついて揺らしていると、はっとひらめいた。
光る、手元、ぶら下げるもの。
「ランタン……」
ケーキのデザインを変えられないなら、入れる「箱」を工夫すればいい。
幸久は勢いよく立ち上がり、空箱を揺らしてアパートへと駆けていった。
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