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petit four2 選ばないガレット・デ・ロワの輝き
「お、おわ、終わった……」
十二月二十五日の夜。お客のいなくなった魔法菓子店ピロートの店内で、三蔵幸久は顔を青くしながらつぶやいた。
「お疲れ様、幸久くん」
「やー。今年も怒濤のクリスマスだったなあ!」
先ほど蒼衣をはじめとしたピロートの面々は、ケーキ屋最大のイベントであるクリスマスを終えた。
「幸久くんのおかげで、たくさんケーキが作れたよ~」
「去年よりも受注を増やしたから不安だったけど、やっぱり人手があるっていいなあ。おかげで売り上げも……グフフフッ」
今年は、製造に幸久が加わったことによって、去年よりも多めに休息を取り、さらに多く作業することができた。
「な、なんでそんなに元気なんですか二人とも」
青息吐息の幸久が、蒼衣と八代を見て、半ば呆れと驚きが混じった声を上げる。蒼衣はそれを見て、曖昧な笑みを浮かべた。
「元気というか……徹夜ハイ、かな?」
休息は取れているはずなのだが、やはりどこか全身の倦怠感はぬぐえない。
「やっぱ疲れてるじゃないですか! そりゃあそうですよ。ハロウィンが終わったと思ったら、連日通常業務と一緒にクリスマスの仕込みだし、二十四日は俺も泊まり込みで働いたけど、シェフは定休日も出てきてるような雰囲気あるし! エプロン超汚いし! なんかシェフの目いつも以上にお花畑だし! たまに幻覚見えてるし!」
「これでも去年よりは一時間多く寝れたんだよ……?」
「たかだか一時間ぽっち! その目怖っ!」
思いの丈を一気にしゃべったであろう幸久は、作業台に手をついてはぁー、と深いため息を吐く。そして「母さんが十二月に家にいなかった理由、実感したわ」と小さな声でつぶやいた。
「……クリスマスの菓子屋は、どこもこんな感じだから。まあ、お休みがあったり、クリスマスイブでも夕方に帰れるところもあるって聞くよ」
もっとも、大手の話だけどなー、と八代がぼやく。
「本当は、うちとかでもそうできるといいんだけど」
蒼衣も言いよどむ。今の設備と、人手では、収支をギリギリにするのが精一杯だった。
菓子屋は見た目華やかな職業だが、休日やイベントの日は一切休みがないし、拘束時間も長い。独り身の蒼衣には疲労くらいしか実害がないが、家庭を持つ……しかも、まだ未就学児のいる八代にとっては大きな弊害のはずだ。こればかりは避けることはできず、蒼衣は常に心が痛い。
「というわけで、八代は早く家に帰って」
せめて、帰りだけは早めてあげたい。その思いから帰宅を急かす。片付けが、と渋る彼を強引に引き離し、バックヤードへと向かわせた。
「……シェフ、こういうときは押しが強いんですね」
八代の姿が消えると、作業台でほおづえをついた幸久がなんともなしに呟く。
「僕には、部屋で待ってる人は居ないので」
待っているのは布団と服やゴミが散乱したひどい部屋だと言いそうになるが、さすがの蒼衣もそれは控えた。
「彼女の一人くらい、いそうなんもんですけど」
忙しい職業故の出会いのなさもあるが、そもそも蒼衣は、色恋沙汰への興味が薄い。
だれかを想うこと自体は素晴らしいと思う。しかし、想い想われ、さらに人生のパートナーということになると、上手く行かないことは多くあることだ。
蒼衣の複雑な心境とは裏腹に、どうも他人はこういうとき、パートナーの存在を気にするらしい。この手の質問はまともに答えても仕方がないとあきらめている蒼衣は「なかなか縁がなくてね」と当たり障りのない返事をするのが常である。
そして相手からの切り返しが来ないうちに「さあ、片付けをしちゃおうね。明日にはごほうびがあるよ、もう少しがんばって」と話題を変えた。
幸久は聡い。蒼衣がやや強引に話題を変えた意図に気付き「ごほうびですか?」と軌道修正してくれた。
「そう。明日は『ボクシング・デー』だからね」
「明日は仕事終わりに打ち上げするとは聞いてましたけど、ボクシング・デー?」
ボクシング・デーとは、英連邦ではなじみ深い休日の一つである。クリスマスの翌日で、もともとは教会が貧しい人たちのために募ったクリスマスプレゼントを開ける日から始まり、屋敷で働く使用人や、郵便配達人たちへの休日と感謝の日として広く親しまれていた――と、かいつまんで説明する。
日本では馴染みのない行事なので、幸久が知らないのも仕方がない。
「明日は短縮営業で早めに終わるから、その後にささやかなパーティをと思って。おばあちゃんたちも少し顔を出してくれるって。ほら、お会計とかやってくれた」
今年も昼間に接客を手伝ってくれたヨキ・コト・キクがくると聞いた幸久は、少し顔をこわばらせた。
「あのばーちゃんたち、ただの常連じゃなかったなんて」
「元気な方々でしょう」
「元気すぎて……ちょっと……」
苦手、とつぶやいた幸久に、蒼衣は苦笑する。今までお年寄りと接する機会がなかったのか、確かに普段の接客時も、雑談にあまり乗り気でなさそうな雰囲気はあった。
「こういう集まり、あまり来たくないなら、無理強いはしないけども。でも、ガレット・デ・ロワを焼くからできたら――」
「ガレット・デ・ロワ!」
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