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八代が手早く給仕し、幸久と蒼衣と共に席に座る。
「改めて、クリスマスにご尽力いただき、ありがとうございました。これはささやかながら、僕らからのお礼です」
乾杯、と八代の音頭でおのおのがグラスやカップを掲げた。そして、蒼衣を除く全員が「待ってました」とばかりに、ガレット・デ・ロワへと手を伸ばすと、パイ生地が割れる軽快な音が響きはじめた。
「飾り気はないが、ちゃーんとあおちゃんの味じゃのう。風味が良い」
「あおちゃんはこういうしんぷるなものが得意だなも。棒茶に合うのう」
「存外にこのジンジャーエールにも合うぞい」
早速ガレット・デ・ロワを賞味した三人の老婦人からしきりにほめられ、蒼衣は「恐縮です」とはにかむ。
「タルトに敷くアーモンドの生地よりも甘いな?」
「フランジパーヌっていって、カスタードクリームとアーモンドクリームを混ぜたものだから、普段よりも贅沢だと思う。洋酒は使わなかったから、その代わりバニラをきかせてみた」
老若男女問わず食べる可能性のあるケーキには、なるべく洋酒を使わないのが「ピロート」の特色だ。
次第に、八代や老婦人たちから満足げな気持ちが伝わってくる。しかし、ふと隣から「もどかしい」という感情が伝わってくる。
「魔法効果……」
蒼衣の隣に座る幸久は、仏頂面でケーキを睨んでいる。それを見た老婦人らが「ユキ坊なあ」とあきれた様子になった。
「あんたはこらえ性がないのう」
「せっかちだのー。じゃもんでようけ会計も間違えるなも」
「あおちゃんのお菓子は味もピカイチじゃあ。弟子ならよう味わっときゃあユキ坊」
痛いところを突かれたのが悔しいのか、幸久は「ぐっ……」と言いよどむ。
彼のことを「ユキ坊」と愛称で呼ぶくらいには、彼女たちは幸久を気に入っているらしい。だが、蒼衣よりもまだ未熟さが見えるのが歯がゆいのか、やや辛辣な物言いになるのは否めない。
「ゆ、幸久くんはすごく魔法菓子に興味がある子だから! あとお会計はコトさんの早さに勝てる方はいませんよ!」
蒼衣の遅いフォローに三人は「あおちゃんは甘いなも」「会計を間違えるんはあおちゃんもだったな」「あおちゃんの菓子はうまいのう」と三者三様、明後日の方向を見てつぶやいた。
「あっ、そろそろ魔法効果が出ますよ」
タイミング良く、ふわりと漂い始めた魔力を感じた蒼衣の言葉に皆が表情を変える。
「たぶん、コレは自分で見られないので……周りのひとの『頭』を見てみてください」
皆の視線が、皿から離れる。
「……光の王冠?」
全員の頭の上に、小さな光の粒が集まってできた王冠が浮かんでいる。
「こじゃれた効果だなも」
「あんれ、アンタもワシも王様かね」
「キラキラまぶしいのう」
「パイに『光砂糖』を使っているので、パイ生地が割れると反応して、頭上で王冠の形で光るようになっています」
「ちょっと待って。全員に王冠って……まさか、このガレット・デ・ロワには」
蒼衣の言葉にかぶせて幸久が言った。
「物理としてのフェーブは入っていないんだ」
「そういえば、クリーム入れた後の工程は見せてくれなかった……。でも、それじゃあガレット・デ・ロワの醍醐味が――」
幸久が語尾を濁す。彼から伝わってくるのは「困惑」の気持ちだ。ガレット・デ・ロワと呼ばれるには、一月に食べること、フェーブが入っていることが条件である。特に、フェーブに関しては一番の特徴だろう。それをなくしてしまったとなれば、幸久のように醍醐味がなくなったと思うひともいるのは否めない。
「王様や王女様になったひとは、だれかをパートナーとして指名することが出来るんだ。選ばれ、選ぶ楽しさは確かにある。僕も嫌いじゃない。でも――」
蒼衣は言葉を一旦切る。続けようと思った言葉が、喉まで出かかる。だが、これはおそらく「ピロート」のシェフパティシエとしての言葉ではない。
思い直した蒼衣は、もう一つの理由を語ることにした。
「誰もがきっと、自分の世界の王様であってほしいっていう、僕のわがままかな」
「自分の世界の王様……って……?」
幸久の気持ちはさらに困惑で染まっていく。これを理解してくれというのは酷だろうと、発言した蒼衣本人が思うくらいなので、当然の反応である。
「みんなに王冠があったらうれしいね、って感じでとらえてもらえれば……。でも、フェーブではないけど、一応くじのようなお楽しみはあるんだよ」
すると、王冠の光がふっと消える。ああ、とおのおのの顔に落胆が見えたが――コロン、となにかが皿に転がる音が聞こえた。
「ええとね、光砂糖が王冠になったあとに、どこかに一つだけ、飴を落とすようになってて。どこのお皿に――」
「……俺、みたいです」
幸久が皿を指さす。そこには、べっこう色をした滴型の飴が転がっていた。
「おめでとう、幸久くん」
「なんじゃなんじゃ、当たったのはユキ坊かね」
「ありゃ残念」
「ワシかと思ったんだがのう」
三老婦人は残りのケーキをおいしそうにたいらげながら言った。
「ま、初めてのクリスマスでがんばったご褒美だと思って食べたまえ」
すっかりケーキを食べ終え、コーヒー片手の八代が促す。しかし、幸久は飴を手に取ろうとしない。
どこか憮然としない様子の「気持ち」に、蒼衣はどう言葉を掛けて良いか迷う。本式の「ガレット・デ・ロワ」ではないことにひっかかりがあるのか――尋ねるのもまた無粋な気がするし、この場にそぐわないだろう。
しかし、当たってしまった以上、食べてもらいたい。
考えあぐねた蒼衣は席を立ち、厨房からワックスペーパーを持ってくると飴を包み「お土産にしたら」と幸久に渡した。
さすがの幸久も、しぶしぶといった様子で蒼衣から飴を受け取った。とりあえずはほっとしたものの、ぎこちない笑みになってしまわないよう表情を作るのは、蒼衣にとってむずかしかった。
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