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翌日から、毎日のように藤乃がビーズの海を作るようになった。
不貞寝をしているならまだ可愛い方だった。
あるときなど電気も付けず、少しも動かずビーズの海をジッと見つめていて、誠司は思わず悲鳴を上げてしまった。
そして米を研ぐのを嫌がるようになった。
米を混ぜる感触とビーズを混ぜる感触が似ているのだという。
言われてみれば分からないでもなかったので、代わることにした。代わりに藤乃が食後の皿洗いをするようになった。
誠司が遅くなる日は麺類か、外食をするようになった。
なんとなく家に居るのが嫌で誠司は外食を主張することが増えた。
藤乃は何に追い詰められているのだろう。誠司には分からなかった。ノイローゼなのは自分ではなく彼女だと、ようやく思い至った。
何か息抜きでもしないかと問えば、「星が見たい」と藤乃は言った。
誠司は少し考えてスケジュールを調整すると答えた。
ふたりは伊豆に行くことにした。
藤乃の趣味は仕事と直結していた。
誠司の趣味は食べて寝ることくらいだった。
なので、観光地について早々にふたりは宿に向かった。
当然ながらまだ星は見えなかった。
露天風呂に浸かりに行き、双方が下手くそな卓球をした。
豪華な夕食を食べ、そして、夜が来た。
満天の星が見える宿、その触れ込みは正しかった。天候にも恵まれた。
ビーズの海を星のようだと称したのは間違いだった。
本物はこんなにも人を圧倒させ、上向く力を持っていた。空のどこに目を向けていいか分からなかった。首が痛くなるほど長く、誠司は空を見続けた。ずっと都会に暮らしていた彼にとってそれは初めて見る星空だった。
「……早く帰りたい」
藤乃の言葉に思わずそちらを見ると、彼女の目の中には星がキラキラと輝いていた。
元々一泊二日だった。帰宅すると昼過ぎだった。
「誠司くん、悪いけど、ちょっと家を出ていてくれる?」
「……寝室にいるよ」
「そう」
藤乃はビーズ一式を取り出した。
彼女が猛然と作品に挑むのを見ながら、誠司は寝室に引っ込んだ。
しばらく寝て、起きて、リビングに戻ると藤乃は床で寝ていた。
しかしビーズの海は出来ていなかった。
誠司は米を研ぎ、夕飯の準備を始めた。
「お肉ばっかり」
苦笑いをして、藤乃は「いただきます」と手を合わせた。
「……すまん」
同じく苦笑いで、誠司は応えた。
「出来た?」
「うん」
「ご飯終わったら見せて」
「恥ずかしい」
「いいじゃん」
「だって、全然……全然あれには遠い」
彼女の言うとおり、それはまだまだ満天の星にはほど遠かった。
「でも、いいじゃん。前のよりは分かるよ」
「そう」
藤乃は笑った。
彼女はそれからビーズの海を作らなくなった。
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