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親父、すまない。
単刀直入に言います。留年が決まりました。
こういうふうに言うと、ついさっき確定したみたいな感じになるけど、実はずいぶん前からわかっていたんだ。
僕の同期に、メット高山って奴がいるんだ、ヘルメット被ったみたいな頭してるから僕が勝手にそう呼んでるんだけど、もとはと言えばそいつのせいなんだ。
大学一年目の冬、確か十二月だったかな、僕はいつものように広い講義室の前のほうに、独りでポツンと座って講義を受けていたんだ。そんで講義が終わった後に、僕の所に来て話しかけてきたのが、メットの野郎だった。
「お前、友達いねえの?」
僕は思った、何て失礼な奴なんだ、と。初めて会話する人間に対して、「お前」と呼びかけるのもそうだが、自ら好んで独りで行動している、そういうオーラを纏った僕に、図々しくも奴は声を掛けてきたんだ。
「見ての通り、ほしいとも思わない」
僕は言ってやった。この短い一言に込めた、見りゃわかんだろうよという皮肉を、奴は全く以て理解しなかったようで
「俺はお前みたいな奴、ほっとけないんだよ、わかるか?」
とほざきやがった。
「わからないね」
奴が僕の皮肉が理解できなかったのと同じだ。
当時僕は、人の目が見られなかった。
子どもの頃はそうじゃなかった。親父も知っている通り、今よりずっと明るくはつらつとしていて、いとこのゆきひこに「りょうた兄ちゃんは喜怒哀楽の怒がないね」って言われるくらい、あらゆることに寛容で、素直な子どもだった。
きっかけは中三の時、学級委員に指名されたことだった。正直やりたくなかった。クラスは荒れに荒れていた。授業中、特に若い女の先生のときなんかはもうやりたい放題。好き勝手喋ったり、その先生に向かってセクハラまがいのことを言ったり。柔道五段の英語の先生の授業のときは大人しくしているくせに。
そんな連中が、文化祭の合唱コンクールの練習の折には、一致団結しようなどと言い出す訳だ。動物園の檻から出てきたような、キーキー騒がしい連中が、一致団結などできるはずがないのに。
僕が案じていた通り、練習は上手くいかなかった。
「クラスがまとまらないのは、学級委員のせいだ」
何もわかってない馬鹿がこう言い出した。すると、馬鹿のひとつ覚えのように「学級委員が悪い」と動物たちが喚き出す訳だ。
僕は残りの中学校生活をひたすら耐えて過ごし、高校生活に希望を見出した。話の通じる、理性のある人間たちと巡り逢うべく、脇目も振らず勉強した。
親父も知る通り、僕は晴れて希望する高校に入学した。親しみやすさをアピールしようと、僕はできる限りひょうきんに振る舞った、つもりだった。でも今ひとつ、会話が弾まない。僕が喋ると、何となく気まずい雰囲気になる。どうやら僕は、中学最後の半年間、極力誰とも喋らないようにして過ごしてきたことが仇となり、会話の際の間の取り方や適度な距離感が、わからなくなっていたみたいなんだ。
上手く人とコミュニケーションが取れなくなっていた僕は、次第に黙り込んだ。そんな僕みたいな人間にとって、体育祭や文化祭といったイベントは、とにかく憂鬱だった。
それでも学校は休まずに毎日行った。親父の前では、いかにも高校生活充実しているふうを装っていたけれど、今だから言う、あれは嘘だ、全ては親父を心配させないためだったんだ。
ごめん、話がだいぶ逸れた、もとに戻そう。
そんなことがきっかけで人の目を見て話さなくなった僕の顔を、下から覗き込むように奴が見上げて言ったんだ。
「いつもつるんでいる奴がさぁ、今日来てねえんだよ」
そのとき、僕がメットと呼ぶきっかけになった奴の頭が視界に入った。思わず僕は顔を上げた。初めて僕の視界が、奴の全体像を捉えた。
「頼む、今から俺と学食行かねえか、一人で飯食うの俺、嫌なんだよ」
普段の僕なら、絶対に突っぱねていたであろう奴の提案を、そのときの僕は、なぜか受け入れてしまったんだ。
僕はリュックを背負い、奴の後をのこのことつけていった。
今思い返せば、無造作に膨れ上がった頭や、まるでこだわりのなさそうな無地の紺色のスウェット、ホームセンターで安く売ってそうな底の厚い黒の運動靴といった、頭の天辺から足の爪先までずぼらな雰囲気を纏った奴の風貌が、僕にある種の安心感を与えたんだと思う。
学食は四月のオリエンテーションのとき以来だった。あまり腹が減っていなかった僕は、とりあえずカレーを注文した。先に行って席を取っておくよう奴から言われたので、僕は会計を済ませ、スプーンと水を注いだコップをお盆に乗せると、辺りをキョロキョロ見回し、空いている席を探した。昼時だったから混雑していたけれど、タイミングよく、窓際の席が二つ空いたので、僕はその席をすぐさま確保した。この席なら、奴と向かい合う必要がないから、僕にとっては好都合だった。と言っても、学食で昼飯を、しかもどこのどいつかわからない輩とつるんで食べるという行為そのものは、僕にとっては不都合極まりないものだったのだけれど。
少し遅れて、隣の席に置いていた僕のリュックを持ち上げて遠慮なく床に降ろした後、奴がその席に座った。
「お前これだけしか食わねえのか」
奴が言った。
「あまり腹が減ってない」
僕は奴のほうを見ずに淡々と言った。
「腹減ってねーのに食うなんてお前、変わってるなあ」
「君に誘われてなかったらこれすらも食べてないよ」
「まあそう堅いこと言うなよ、飯が不味くなるだろ」
「だったら一人で食べればいい」
「何で俺がお前に声をかけたかっていうとだな……」
聞いてもいないことを、奴が流暢に喋りだした。
「俺はそもそも大人数とはつるまないんだよ。入学したての頃に何となくできたグループの中にいつまでもいるような、いわゆる大勢友達がいねえと死ぬタイプの人種を、俺は心底軽蔑してるんだ。その点お前は違う。確固たる芯ってもんが、お前の中にはある。俺は初めてお前を見た瞬間からそれがわかった。お前に声をかけようとずっと思ってたが、お前自身から滲み出る雰囲気が、俺に躊躇させたんだ。それでようやく今日決心がついて、声をかけたって訳だ」
「人とつるむ輩を軽蔑するなら、なおさら一人で食べればいいじゃないか」
「大人数でなくって、話のわかる人間と一対一で心を割って語り合う、これが重要だと思うんだ、俺は」
どうやら奴は、僕のことを「話のわかる人間」だと認識していたらしい。その間会話はまるで噛み合ってなどいなかったけれど。
その日以降、奴は毎日のように飯に誘ってきた。いちいち断るのも面倒だし、あのとき食べた学食のカレーが美味かった(これがいけなかった)のもあり、僕は何となく奴と飯を食うようになった。
次第に昼食以外でも奴とつるむようになった。
ある日、奴が言った。
「パチ行かねえか?」
「何だよパチって?」
僕は答えた。
「パチンコだよ、パチンコ。やったことねえのか?」
「やったことないし、興味もないよ」
「人生何でも経験だ」
そうして僕は連れていかれた。その頃の僕において、断るという能力は、すっかり退化してしまっていた。
奴が隣の台で一万円札を投入する所作を真似て、僕はひっそりと千円札を投入した。
奴が右手でハンドルを回して次々と玉を放る一方で、僕は一個一個の玉を大事に、丁寧に、まるで真珠の玉でも扱うかのごとく、放った。奴の十分の一しかお金を投入していないのに、同じペースで打ち続けてたらすぐに玉がなくなってしまうし、第一僕はギャンブルをしに来た訳ではない、ただ体験に来ただけなのだ。投入したお金で、僕はこの目の前のパチンコ台で、遊んでいただけなのだ。
そんな僕の様子を見た奴が
「アホかお前は。もっと景気よくいけよ」
と言い、僕の右手からハンドルを奪ったかと思うと、一気に回し始めたんだ。
「そんなに回したら、玉がすぐになくなるじゃないか」
僕は言い返した。
「なくなったらまた金入れりゃあいいじゃねえか」
僕と奴とでは、考え方ってものが根本的に違っていた。
結局その日僕は五千円失い、奴は五万円負けた。
それから一ヶ月程経った後のこと。
「お前の親父さん、確か医者だって言ってたよな?」
奴が言った。
「あぁ、それがどうした」
僕は答えた。
「お前金借りろよ、三十万ほど。その金で、こないだ負けた分取り返しに行くぞ」
「嫌だよ、仕送りして貰っている上に、さらに借りるなんて」
「別に親父さんに借りろなんて言ってないぞ。健康保険証あんだろうよ、それ持って消費者金融行けば三十万くらいパッと貸してくれるぞ」
「メットの保険証で借りればいいじゃないか」
「うちの親父は稼ぎの少ないサラリーマンだ。俺の保険証で借りたところで、せいぜい五万円がいいところだ」
「その五万円でやればいいじゃないか」
「お前はまるでわかっちゃいない」
はぁと溜め息をついた後、奴がさらに続けた。
「五万円ってのはな、こないだ俺が負けた金額と同じだ。ようやくプラマイゼロだ。勝負する前からそんなんじゃあ駄目なんだよ、要は気持ちで負けてるんだよ。お前もたったの五千円とはいえ、負けたことには変わりはない。男が負けっ放しでいいと思っているのか、日本男子といおう者が、情けない。お前は何か勘違いをしているようだが、俺らはギャンブルをしに行く訳じゃない。負けた分の金を取り返しに行く、ただそれだけなんだ。ついでに大勝ちでもして儲けりゃ、後は勝ち逃げだ。お前は俺にきっと感謝することになるだろう」
こうまくし立てた後、奴は僕を連れていった。その先で、僕は三十万円、借りた。
「善は急げだ」
奴と僕は先月のパチンコ屋に行き、先月と全く同じ席に座った。
「こないだ負けた台だから、違う台のほうがいいんじゃないか?」
僕は声を上ずらせながら言った。
「サイクルってもんがある。こないだ出なかったっつうことは、今日は出る」
奴は自信満々に言った。
一万円、二万円……次々と吸い込まれていった。
「まだ二十五万もある、どんどん打て」
この後どうなったかは、思い出すのも馬鹿らしい。僕はこの日、パチンコホールの「ホール」が、ブラックホールの「ホール」と同様の類のものであることを、身を以て体感した。
僕は一週間まるっと講義に出なかった。
一週間ぶりに大学に行くと、罰の悪そうな顔で、奴が僕に近づいてきた。
「よぉ、元気か……」
「見ての通り」
「さすがに悪いと思ってな……これ、持ってきた」
そう言うと、奴は手に持っていた冊子を開いて僕に見せてきた。
「時給千二百円だ、昼間よりうんと高いんだぜ。深夜だったら大学の講義と被んないだろ。もし眠くて講義出られないときは、俺がノートを写させてやる、プリントも全部コピーしてお前にやる。友達同士、お互いに協力して、三十万返済しようじゃないか」
こうして僕は、週三で深夜のコンビニでバイトすることになった。今考えれば、明らかに奴よりも僕のほうが損だってことがわかるのだけれども、あのときの打ちひしがれていた僕の心に、奴の「友達同士」という言葉が、妙に響いたんだ。僕はまんまと乗せられた形となった訳だ。
初めてお客さんの前でレジを打ったときは、緊張で震えたよ、声も手も何もかも。そして、舌が上手く回らないんだ。「ありがとうございます」の後の「またお越しくださいませ」が、どうしても上手く言えないんだ。「越し」のところで、毎回噛んでしまうんだ。だから僕は諦めて、「またお願いします」って言うことにしたんだ。そのことについては誰にも咎められなかったよ、深夜の時間帯は店長いないしね。要は言葉に気持ちがこもっていれば、何だっていいんだ、これこそ応用力だと、僕は思うんだ。
そんで二ヶ月、三ヶ月と続けていくうちに、ある程度仕事ができるようになってくると、同時に腹の立つことも出てくる訳だ。その中で僕が最も頭にくるのが、消費期限。期限の早いものから順に、手前から奥に並べていくのが正しいやり方なんだけれど、それがてんで守られていないときが、定期的にあるんだ。手前の二、三個入れ替わっている程度なら、それはお客さんが商品を取ったり戻したりする段階で起こった可能性も考えられるけれど、四個も五個もまとめて新しいやつが手前にどーんと置いてあったら、それはもう従業員の仕業だよね。こういうのが、必要のない廃棄ロスを生むんだよ。食べ物に対する敬意が微塵も感じられないこういう仕事ぶりを目の当たりにする度に、僕は毎回腸が煮えくり返る思いで、正しく陳列し直さなければならないんだ。会ったこともない昼過ぎの時間帯の○○さんに、心の中で悪態をつきながら。
そんで肝心の大学のほうはというと、二年目の後期以降、単位を落とすようになってしまった。メットの講義ノートが、全く以て役に立たないんだ。「ノートの取り方が雑過ぎる」と僕がクレームを入れると、奴は悪びれることもなく、「ノートってのはな、教科書みたいに万人向けに書かれる性質のものじゃねえ、要は自分がわかるように書いてりゃいいんだよ」などと言い出す訳だ。「僕がわかるように書いてくれなきゃ意味ないじゃないか」と僕が反論しても、「お前、俺とつるみ始めてもうすぐ一年だろ。俺の考えることくらいわかるだろ。俺のノートを見てお前が何一つ理解できないっていうんなら、そりゃあお前の直感力に問題があるってことだ」なんて言われると、もう閉口するしかない。
仕方なく、僕は奴の言う「万人向け」の専門書とやらを読んで試験に備えようとした訳だけれど、パラッとページをめくっただけで、僕は理解した、どう見たって「万人向け」じゃないと。ベクトルは違えど、奴のノートと同様に、何書いてんのか、全く以てわからなかった。
その結果、僕はいくつかの専門科目の単位を落としたことで、三年次からのゼミの加入要件を満たすことができずに、留年が決まったんだ。これを書いている今が、三年目の後期が終わろうとしている時期だから、留年が確定してからもう一年近く経つことになります。親父への報告が遅れて、申し訳ないと思っています。そしてさらに謝らなければならないのが、今回の試験もやはり無理そうで、二留がほぼ確定的です。山が外れました。奴の言うように、僕は直感力ってものに、やはり問題があるようです。
これからはコツコツと頑張ります。借金は既に返し終えたので、コンビニのバイトは辞めて、今後は学業に専念しようと思います。ここまでの三年間、ろくでもない大学生活を送ってしまった訳だけれど、これだけは言わせてほしい。借金返済に関しては、親父の金はビタ一文使わなかった。これだけは僕の誇りなんだ。
それに、悪いことばかりでもなかったんだ。コンビニでバイトするようになってから、僕は人の目を見て話せるようになったんだ。一般的にこういう問題って、カウンセリングを受けるなり精神科に通うなりして、少なくない年月とお金を費やしながら、徐々に解決していく人が多いと思うんだけれど、僕の場合、比較的短い期間で、しかも金を稼ぎながらやってのけたんだから、世の中何がプラスに作用するか、わかったもんじゃないね。
だからという訳ではありませんが、後三年、僕が大学を卒業するまでの間の学費と生活費を、どうか工面していただけませんでしょうか。就職したら必ずお返しします、出世払いという形で。その点に関しては心配いりません。僕は親父と同様に、仕事に対しては、至極真面目なんだから。
メットとつるむのももう止めます。僕はわかったんだ、ああいう無計画に爆発させた頭をした輩は、信用しちゃあいけない。サッカーの中澤みたいな、まるで打ち上げ花火のように手のこんだ、計画的に爆発させた髪型とは対極にある類のアフロは、信用しちゃあいけない。
これからは正しい道を歩んでいくべく、日々自らを律し、精進いたします。いずれ必ず親孝行いたします。だから、どうか親父、後三年だけ、僕を助けてください。心の底から、よろしくお願いいたします。
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