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このイントロを聴いたら、誰だって思い出す事があるだろう。
ピアノが流れる。
このイントロを聴いたら、誰だって
思い出す事があるだろう。
20代の僕は何をするべきか分からず、ただ働いていた。
母体が病院の老人施設だ。
朝礼で事務長が新しい職員を紹介している。
あぁ、四月最初の月曜日だった。
「それでは、今日も一日お願いします。」
職員が持ち場にばらけていく。
その後をあくびをしながらついて行く。
階段の踊り場で声がする。
「若いのに覇気が無いねぇ。」
自分に言われている事に気づく。
ネームプレートを見る、新しい看護師長だ。
怪訝そうに覗きこむ師長に、どもりぎみに自己紹介する。
「泣いてるの?」
「花粉症です。」
そう言って僕は笑った。
明るく軽口を叩くのが好きな師長の仕事ぶりは精力的だった。40前で師長なのもうなずける。
細身でありながらパワフルな印象はよく響く声のせいだろう。
年寄り看護師のブーイングを聞き流し、花見やら何やらイベントの機会が増え、笑顔の多い職場になった。
車いすなど備品について愚痴ると、コネクションを使ってレンタルの型落ちを入手する荒技を使った。
何だか仕事が楽しくなっていた。
師長が来て3年目の忘年会。
ライブハウスを貸し切り、演し物を観賞しつつ
自分の出番を待っていた。
ステージでは仲良し三人組が曲に合わせてダンスを踊っている。
「飲んでるぅ?」
グラスを持った師長が隣に腰かける。
「何番目?」
「次の次です。」
「何、演るの?」
「歌います。各階の男子でバンド組みました。」
「いいねぇ。」師長が腕を組んでくる。
僕はドキドキした。顔は赤くても酒のせいにできる。
「って、言ってもスリーピースですけどね。」
「あたしもねぇ、歌、本気でやってた事あるんだ」「デビュー寸前までいったのよ」
「マジすか?スゴいですね。」
この時は以外に思ってた。
ミニスカートの三人組がはける。
「じゃ、行きます。」
「ん、楽しみにしてるよ。」
上手からマイクの前に立ち、ストラップをかける。
客席を見回す。
師長が笑顔で手を振る。
1曲目、パワフルな曲に皆ノリノリだ。
2曲目、ヒット曲の替え歌で理事長のハゲをディスりまくる。
ラスト、
「んじゃ、演らせてもらいます。マイウェイ。」
アカペラでワンコーラス、
「ワンツースリーフォッ!」ドラムスティックが鳴る。いったん静かになった客席が再び盛り上がる。
やりきったー。
席に戻ると師長は居なかった。
褒めてほしかったのにな。
看護師がトリを務めるらしい。
学園天国で大盛り上がり。暗転。
ピアノが流れる。
「あっ、なごり雪。」若い職員が言っている。
よく知っているはずの声は、聴いたことの無い音色として染みこんでくる。
心地よさと切なさが同居する不思議な感覚にとらわれていた。
無粋なアンコールの声で我に返る。
いつもの声で
「時間ないからまた今度!」
二次会は居酒屋だった。
「どうだった?」
「いや、スゴかったっす。」「自己嫌悪になるぐらい。」
「かっこよかったよぉ、シドのマイウェイだぁい好き。」
さんざん褒めてもらったが敗北感で飲み過ぎたようだった。
目を覚ましたのは、いい匂いのするベッドだった。傍らにはベースのケースが立てかけてある。
飲み過ぎた僕は師長の家で介抱ならぬ三次会だった。
シャワーから戻った彼女は、髪を拭きながら
「初めてだったんだね。おばさんでごめんねぇ。」
と笑って言った。
恥ずかしくて黙っていた。
それからの日々は何も無かったかのように過ぎていった。あれは夢だったんじゃと思うくらい自然だった。
もうすぐ春がくるころ彼女が言った。
「何か頭が痛いの。」
それからしばらくして施設に来なくなった。
朝礼で「師長は、病気療養で退職されました。」
噂で余命宣告されたと聞いた。
僕はどうしていいのか分からず無為に働くだけだった。
数ヶ月後、事務長から封筒を渡された。
チケットが入っている。
市民会館(小ホール)座席自由
彼女の名前、コンサートと書いてある。
「お金は持ってけないからねぇと笑っとったよ。」事務長は寂しげに笑った。
ざわめきたつホールの客席には見知った顔が多い。
あまり人がいない所に腰かける。
開園、少し痩せた彼女が歌い上げる。
ついこの前聴いた声が遠く懐かしく感じるのは何故だろう。
たった三曲のコンサート。
デジャヴ?無粋なアンコール。
ピアノが流れる。
「こほっ」弱い咳がマイクを通して聞こえる。
彼女の躰がスローモーションで崩れおちる。
悲鳴、嗚咽、最前列の見慣れた医師や看護師たちが駆けだす。幕が降りる。
アンコールは無かった。
遺影は飛びっきりの笑顔だ。
人生で初めて大泣きした。自分でも信じられないくらい。
彼女の親族らしき人から手紙を渡された。
何か励ましてくれていたが覚えていない。
初めて会った時の笑顔わすれない
ライブかっこよかったよ
私が最後にファンになった人
前向きな方が似合うよ
そんな事が書いてある。
優しい人だ。
僕はベースを担いで
東京行きのホームに立った。
娘と待ち合わせの喫茶店で、コーヒーを飲んでいた。僕はもう40代だ。
ピアノが流れる。
汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節外れの雪が降ってる
「泣いてるの?」
遅れてきた娘が怪訝そうに覗きこむ。
「花粉症だよ。」
そう言って僕は笑った。
了
初出 アメブロ
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