僕がまだ、小学生の時の話

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僕がまだ、小学生の時の話

 この町に最後の星が降り終わって、もう一年になる。  僕がまだ、小学生の時の話だ。僕の住む星井町では毎年、夏の始まり頃になると、夜空一面から流星群が観測できる。それで、皆で星空観察をするのが恒例行事になっていた。  毎年県外から数万人規模の観光客が見物に訪れ、普段は辺鄙な町も、その時ばかりはお祭りのように活気に溢れ、僕ら地元民も大騒ぎしていた。  それが近年、 少子恒星化だとか、 煽り隕石の交通規制だとか、 はてまた惑星予算の削減がどうとか、 で、とうとうこの町でも星が降ることが条例で禁止されてしまった。それがちょうど一年前だ。  代わりに今この町の空を覆っているのは、 海外の大企業がナリモノイリで作ったと言う巨大な 『液晶モニター・ドーム』 である。  皺くちゃの、実年齢すらあやふやな町長が言うには、この設備は災害から町民を守り、向こう三百年の安全性は保証されているのだと言う。おかげで360°をドーム状のモニターに囲まれたこの町で、僕たちは今何一つ不自由なく快適に暮らしている。 「ねえ、本当に星なんて降るの?」  それは、ある日の晩のことだった。 僕の隣で、同じクラスメイトのサナエちゃんが、少し不安げに小首を傾げた。 その時僕らは夜道を歩いていた。 夜道と言ってもあちこちに『発光ドローン』が飛んでいるので、明るさは昼間とそう大差ない。 だけど当時小学生は、深夜徘徊は例の何とかと言う条例によって、夜間は厳重禁止事項だった。  僕は黙って頷いた。サナエちゃんもそれ以上は何も言わず、僕らはしばらく黙って草木茂る小高い丘を目指し歩き続けた。  三丁目の裏にある丘のところに、モニターのが欠けた部分がある。  そこから映像じゃない、本物の『空』が見える。  そんな噂を聞いたのは、僕らが夜道を歩く前、数日前のことだった。 教室で『消しゴムドッジ』をしている時に、お調子者のトシくんがふとそんなことを口走ったのだ。トシくんは叫んだ。 「そっからさ、モニターじゃない、本物の空が覗いてるんだって!   んでそっからは、まだ星が降ってるらしいんだよ!   雨も、晴れも、全然予報通りじゃないんだってさ。  本当はまだ、星も降ってるんだよ。何で大人たちが、それを黙っているかと言うと……」  ……何で黙っているのかと言うと、は聞きそびれたので分からない。  それより、その時僕の脳裏にふと浮かんだのは、半年前この町に転校してきた、サナエちゃんのことだった。  サナエちゃん。 都会に住んでいた彼女は、物心ついた時から、空は当然ドームで覆われていたのだという。僕らの町が導入する数年前から、既に日本のあちこちで『ドーム』が建設されていたのだ。この国では今や、モニターがない空の方が珍しい。そう言う意味では、僕らは後発だった。 「空が暗いってなぁに?」  ある時、サナエちゃんが不思議そうに隣の席の僕に尋ねた。 「だって、夜にはビルが明るくなるでしょう? それにお空にはモニターだって……」  要するに彼女は空というものを、星というものを見たことがなかった。 サナエちゃんはもの静かで、いつも恥ずかしそうに俯いている子だった。 彼女が笑っている姿を、僕は見たことがなかった。  彼女と一緒に星が見れたらどんなにいいだろうかと、その時僕はふと思い立った。  それから雑木林の中を、もう小一時間歩き続けただろうか。 額に滲んだ汗を拭おうとすると、心地よい南風がどこからともなく吹いてきて、 僕はたちまち爽やかな気分になり、ほうっと息をついた。  モニター・ドームとともに導入された 『全方位型空調システム』 によって、空気圧の管理もこの町では抜かりがない。  夏は暑すぎないし、冬は寒すぎない。  一年中、快適しかない。  町民一人一人の年齢・性別・持病の有無・その他諸々の健康に関する事項はGPSと人工衛星によって随時把握され、誰もが日々快適に過ごせるように出来上がっている。海外や都会の方では、既に数年前からそのシステムが導入されていたらしいが、うちの町にやってきたのはやはり一年前からだった。 「ねえ……」  僕の後ろで、サナエちゃんが呟いた。 「やっぱり帰らなくていいのかな……」 「着いた」  僕はサナエちゃんの声に被せるようにそう言った。 本当はまだだった。本当の目的地はもっと先だった。 だけど人口雑木林のその上の方に、袋の破けたような空の切れ目が、破けたの欠片が見え隠れしていたのは確かだった。  そこからさらに数分歩くと、開けた場所に出た。 雑木林の中も『発光ドローン』で明るかったが、丘の上はさらに眩しかった。 仄かな青や赤、黄色など、幻想的な淡い蛍のような光が、丘の上を飛び交っていた。 「見て」  サナエちゃんが空を指差した。僕は思わず息を飲んだ。  空には、大きさにして教室の天井二つ分くらいの、ギザギザの穴がぽっかりと開いていた。  そしてその向こうには、液晶じゃない、本物の夜空が広がっていた。  僕は辺りを見渡した。 僕らの他にも、数組のカップルが陣取りをして座っていた。 お互い深く干渉しないように、少しずつ距離を取っている。 クスクス笑いや、楽しそうな忍び声が、そこらじゅうで波打っている。 皆何か妙に浮き足立って、空から星が降ってくるのを今か今かと待ちわびているようだった。  どうやら噂は本当だった。皆、こっそり星を見にきていたのだ。 僕はビニールシートを持ってこなかったことを後悔した。  サナエちゃんと一緒に、草むらの空いているスペースに座り、僕らも星を待った。 「あんまり、暗くないね」  欠けたの向こうには、何とかと言う夏の星座がポツポツと見え隠れしていた。それで空も明るかったのだ。 「あんまり空、暗くないね」 「うん」  サナエちゃんが僕の隣で、クスクス笑った。そう、その時だった。僕が初めて彼女の笑顔を見れたのは。それで僕は、何だかどっと力が抜けてしまったような気がして、もう星が降ろうが降るまいが、どうでも良くなってしまっていた。  ……それで、結局その時、の向こうに星は降ったんだったか。 実はもう、よく覚えていない。もう忘れてしまった。 僕がまだ、小学生の時の話だ。 当時人気スポットだったの欠片は、翌月には町長が噂を聞きつけ、業者にあっという間に修復されてしまった。サナエちゃんは、その後また県外に転校してしまって、今どこで何をやっているかも分からない。  この町に最後の星が降り終わって、そういえばもう、三〇年以上になる。
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