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同じ日本海に面した町なのに夜の闇の濃さ違う。
ぼくは改めて高校卒業まで過ごした実家の庭を見渡した。
福岡から車で6時間ほどのところにあるこの町は高校の頃とほとんど変わらない姿でひっそりと闇に包まれている。
麦酒を少し飲み過ぎて火照った体を夜風に当たって冷やそうと星空の広がる外に出たのだった。
母が亡くなってから親父との折り合いが悪く度々喧嘩をしたが、理由はいつも同じで田舎に戻って職を得なかったことに尽きた。
そんな状況に身を寄せるのが嫌で帰省しない口実をいろいろと拵えてはこの町への足は遠のいていた。
その親父も今年の冬に突然の事故で亡くなった。
思いもよらないことで仕事も整理できていなかったこともあり葬儀は慌ただしく、その時は実家にはゆっくり出来なかった。
半年ぶりに帰ってきたその母屋は主人を失いどことなくひっそりと佇んでおり、暗闇の中で寂しそうにその影を落としていた。
車から降りると、持ってきた鍵で玄関を開け
「ただいま」
と声をかけてみるが、もちろん返事はない。
辺りではアブラゼミの合唱がけたたましく鳴り響く。
「窓開けて」
まず、掃き出しサッシを全開にして澱んだ部屋の空気を入れ替えることから始める。
縁側の方から
「部屋の中に虫ぃ!」
叫び声が聞こえ
「わぁ!きもいよぉ」
「パパ、早く来て!」
静まり返っていた家中が一斉に騒がしくなる。
三人の娘に妻の五人家族、久しぶりに揃ってぼくの実家に帰って来たのだ。
「今日一晩の寝るところ確保しなきゃ」
ぼくが言うと
「大丈夫?ずっと空き家でしょ。お風呂とか使えるの?布団なんかカビてるんじゃない?」
ぼくが心配していることをたたみかけるように妻がいう。
「天気もいいし天日干しすれば布団は大丈夫さ!縁側と庭で日に当てよう」
「お風呂はさ、水は出るからボイラーが故障してなければOKかな?
最悪、夏だから水シャワーでも・・・」
呑気に答えると、
『妻は先が思いやられるわ』なんて言いたそうな顔をして布団を運びにかかる。
本当にぼくには出来すぎた嫁さんだ。
ひととおり家の中を片付けると晩御飯の買い出しに家族で出掛けた。
ヒグラシがアブラゼミの鳴き声に緩やかに変わっていくと、西の空は夕焼けに染まり一気に暗闇へと導いていく。
周りには街灯もなく、点在する家々から灯る明かりと空には下弦の僅かな月あかりだけで田舎の夜はほんとに静かで寂しい。
昼間にやっとのことで片づけたダイニングで買ってきたお寿司のオードブルを家族で囲み外にしてはやけにリアルに聞こえる虫の音に耳を傾けた。
「なんか、家の中で鳴いてない?」
虫の大嫌いな二番目の娘が言うと
「マジ?怖くて寝れないよぉ」
「大袈裟な!コウロギやマツムシは噛みついたりしないよ」
「でも、寝てたら顔とか来ない?」
「大丈夫!」
根拠はないが興奮した娘たちを何とかなだめてみるが、このまま虫の話を続けていると明らかに分が悪い。
「風呂から上がったら流れ星でも見よう!」
話題を変えると
「えっ、流れ星見えるの?」
今度は一番上の娘が話に乗ってくる。
「お盆のこのころはペルセウス座流星群がよく見えるんだ」
「一時間で何十個も流れるから絶対に見れるはずだよ」
自信をもって言うと
「じゃぁ、願い事いっぱい準備しなきゃ」
と言いながら、指を折って願い事の算段を始めた。
暫くして、
「ちょっと外出とく、飲みすぎた」
麦酒で火照った体を夜風で冷やそうと庭に出た。
草むらからコウロギの低い虫の音。
空には一面の星空が広がる。
街の明かりで福岡ではこんなに星降るような夜空はなかなか見られない。
子供の頃は一面の星空が当たり前だったのだと今更ながらに気づく。
時は流れてぼくも家族をもった。
本当に平凡な生活を送り、娘たちの幸せな未来を願っている。
子供の頃、父親はどんな希望をぼくに持ち眼差しを注いでいたのか?
親になった今考えることがある。
大学を卒業し大阪で就職する選択をしたとき、母は随分反対した。
この町へ戻って公務員になるよう知り合いのコネを使ってでもそれを勧めた。
ぼくはといえば、そんな田舎の人と人との繋がりに身を置くことが嫌で形だけ取り繕いながら都会の生活を選んだのだった。
そんなやり取りがあったとき親父は何も口を出すことはなかったが、今思えば少し不機嫌な顔をしていたのかもしれない。
半年前の親父の葬儀のとき、生前親交のあった人たちが集まってくれた。
晩年、喧嘩ばかりしていた親父だが、この狭いコミュニティの中で生きがいを見つけひとり暮らしていたのだろう。
椎茸の栽培や母屋の裏の畑で作る野菜をJAの直産マーケットに持って
行ったり、近所の人たちや知り合いに配っていたらしい。
『あんたのおやじさんねぇ、ちょろちょろとほんと元気に動き回っとちゃっとたのにねぇ』
近所のおばさんがしみじみと言っていたのを思い出す。
会葬のお礼を親父と親しかった人たちにひと通りしてお寺さんのお経が始まると、遺影に視線を移し思い出を頭の中で探し回った。
幼い頃、仕事が終わって農作業がないときには
「キャチボールするか」
野球好きだった親父がよく声をかけてきた。
「うん!」
グローブを持ち出して庭に出る。
僅か十数メートルの距離を隔てて向かい合い
軟式ボールのグローブに収まる『スパン』という音が心地よく響く。
夕日を背にした親父がなんだか超えることなどできないと思えるほど大きく見えたのだった。
『父の背の夕日に溶け逝く思い出かな』
葬儀の喪主のあいさつで親父に詠んで贈った。
すっかり思いを巡らせていると10時はとっくに過ぎてしまった。
「おーぃ、流れ星みるか!」
家の中に声をかける。
「はぁーい」
お風呂から上がった娘の家の中から大きな返事が聞こえた。
洗いたての髪にタオルを巻きつけた娘と夏の夜空を見上げて
「あとの二人は?」
「テレビ見てる。流れ星は後からだって。
『いっぱい流れるならいつでも見れる』 って言ってた」
「ふーん、そんなに簡単じゃないと思うけどなぁ」
そんなやり取りをしながら北の方角の空を二人で見上げる。
「あのアルファベットのダブルみたいな星座わかる?」
空に向かって指でダブルのスペルをなぞりながら娘に問うと
「なんとなく・・・わかる」
と答えながら流れ星を見つけようと空のあちこちを見渡している。
「同じところをじっと見ていたほうがいいよ」とアドバイス。
「なかなか流れんね」
「首痛くならん?」
さっきの夕食のとき、結構な数の流れ星が見つかると言ったもんだから見つからないとこちらもばつが悪い時間だけが流れた。
「流れた!」
静かな闇の中で突然娘が歓声を上げる。
「おっ、どこどこ・・・」
「もう消えた!」
あっという間の出来事で願い事が三回言えなかったと悔しがる娘。
空一面の星たちはこうして見上げていると今にも娘とぼくに落ちてきそうに輝いている。
「今度は絶対に願い事!」
娘の横顔は真剣だ。
『何をお願いするの』 と聞いてみたい気はしたけれど
多感な年頃だと思い直し止めておいた。子供たちはそれぞれ最初は小さな世界を見つけ、少しずつその世界を広げていくのだ。
そして親にはもう立ち入ることできない領域になっていく。
あの時のぼくがそうだったように。
今夜、同じ静かな時間を共有して真夏の夜の天体ショーに感動する。
いつか父親と見たこの流れ星の感動を一瞬でも思い出してくれればいい。
さっき、ぼくの心の中に親父が戻ってきたように。
『星流る田舎で見上げる初盆なり』
そんなことを思いながら親父の初盆の夜は更けていった・・・
【完】
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