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薄いビニールに牛乳を張ったようなホワイトボードには文久3年、新撰組の創設期が黒いマーカーで書かれている。10人の隊長たちに歴代の局長の名前。原田左之助の名前を書いて小島可奈子は教室の全体を見た。多種にわたる制服、年相応な私服、白を基調とした教室内の長机には様々な高校生たちが並んでいた。
「えー、新撰組は計10の組があります。さらにそれらをまとめる局長は3人。よく近藤勇と芹沢鴨が注目されていますが、実は初代の局長だと言われていたのはこの新見錦だと思われます。」
厚い冊子を真ん中で割り、蓋をしたマーカーの先で並ぶ字をなぞっていく。自宅で印刷したプリントを磁石で貼り付け、全員の視線を誘導させた。
「新撰組といえばこちらの隊服が有名ですね。浅葱色の段だら羽織と言いますが、実はあまり着用しなかったんですね。それは何故か。じゃあ…。」
さっと教室内を見渡し、見慣れない子ども達の顔を視線で舐めていく。1人の生徒に目をつけた。
「田村くん。分かりますか?」
まるで拳銃を突き付けられた外国人のように大袈裟なリアクションで驚いた田村に、教室内は笑いに包まれた。教壇に立っているからこそ座っている生徒たちが机の下で何をしているかなど簡単に分かるのだ。慌てて携帯ゲームを閉じた田村は恐る恐る立ち上がって言う。
「えっと…派手、だったとかですかね…。」
「あら、ゲームしてたけど正解じゃん。」
おーという歓声が上がり、照れ臭そうに田村は着席した。小島はマーカーの蓋を開けて先を走らせた。ガラスに爪の上を撫でていくようにして”派手”と書く。
「忠臣蔵の赤穂浪士を模倣して作られた隊服はその色合いからあまりにも派手だということで隊士たちからの評判も悪く、隊内でも派閥が分かれていた為、早々にこの浅葱色の隊服は着られなくなっていきました。」
それから隊服における逸話を繰り広げ、掛け時計が授業の終了を告げた。低い鐘の音に生徒たちの体が一段階膨らんだように見える。小島はマーカーをホワイトボードの縁に置いて言った。
「それじゃ、今日はここまで。」
電話帳のような教科書を閉じ、帰宅を急ぐ生徒たちを見守る。全員が退室してから机などを整理しなくてはならないのだが、何故か大勢の生徒たちが残っていた。後列から群れを成して女子高生たちがこちらにやってくる。妙に嬉しそうな表情を浮かべた3人は小島を見て言った。
「先生、東京から来たんですよね。」
中央の女子生徒は確か坂口と言ったはずだ。
「そうだよ?」
何故か黄色い歓声が上がる。右端の江藤という生徒が宝物を見つけた子どものように続きを担った。
「じゃあ彼氏とかいるんですか?」
そうか、この年の子たちは彼氏の有無が気になるのか。どこか新鮮に思えた小島は厚い冊子を脇に抱えて立ち上がった。
「さぁ、どうかな?」
含み笑いを浮かべてそう言うと、女子高生たちは割れるような歓声をあげてはしゃぎ始めた。どの年代も人の色恋や芸能人の不倫はGDPの差よりも気になるのだろう。どうりで各局が恋愛ドラマに力を入れるわけだ。
「ほら、もう帰りなさい。」
はーいと気の抜けたような返事をして帰っていく彼女たちを見送り、小島は5年前を思い出していた。まだあの時は東京でOLをやっていて、まだ処女だった。
網目になっている窓を開けると、目の前には少し背の高い田んぼ、その前には1本のみの線路が横に広がっている。感情に任せて声を上げる蝉の声すらも心地よく感じて、小島はぐっと背を伸ばした。ゆっくりと目を瞑った時にふと瞼の裏に浮かんだのは、ベッドの上で泣き噦る寺内の姿だった。
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