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午後の授業が終わり、小島は自転車に乗って田舎道を駆けていた。傾いていく夕日の動きがはっきりと分かるほど拓けた空は薄い緋色に染まり、車や人の声よりも虫の鳴き声がはっきりと聞こえる。温もりのある風が吹く度に周囲の木々が揺れていた。 名前のない山が目に入り、ペダルを踏み抜くように速度を上げていく。まだまだ足を踏み入れたことのない場所は多々あるのだ。今の小島にとってそういった場所に行って気分を落ち着かせたり、人が来なければ大胆にも自慰行為に耽ることが趣味になっている。 薄いベージュの砂利が敷き詰められた山道は緩やかで、女性でもぐんぐんと勢いを増しながら頂上へ向かうことができた。薄い緑に覆われたトンネルを抜けると、そこには古びた神社があった。 腐らせたようなグレーの鳥居、その奥には背の低い本殿が寂しく佇んでいる。人の気配は全く感じられない。少し気分が高揚した小島に追い打ちをかけるように、裏手にとある物が散乱していた。 自転車を降りてゆっくりと本殿の周りを歩く。神様が山を小指で抉り取ったようで、誰もいない神社を守るように木々が外部からの視線や情報を遮断している。さらに人気がいないであろう神社の裏手には虹色の雑誌が無造作に置かれていた。近付かなくとも分かるアダルトな本。ゆっくり距離を詰めてしゃがみ込むと、インターネットの海で見かけたセクシー女優の豊満な体が表紙いっぱいに写し出されているのが分かった。 今の時代、紙媒体でのアダルトコンテンツはかなり珍しい。どれも形を無くしてデータにしていく世の中だ。時代に取り残された象徴、小島は淫らな薄い本の数々がどの世界遺産よりも貴重に思えて手を伸ばそうとした。その時だった。 (口笛?) 壁のように生い茂る木々の向こうから誰かの口笛が聞こえる。何故か音色だけで判断できずに、小島はその場でしゃがみ込んだまま背後に視線を向けていた。 自分が来た道を駆けてきた男子高校生は半袖の白いワイシャツに黒のスラックス。目隠しを施して散髪したような短い髪がどこか可愛らしく思えた。 やがて彼は鳥居の前に自転車を停め、ゆっくりとこちらに歩いてきた。 (もしかしたら、この本を見に来たのかもしれない。) まるでドッキリを仕掛けるかのように期待を込めた笑みを浮かべ、小島は本殿の裏手に隠れた。薄い木造の縁に腰掛けて彼を待つ。胡座をかいたが汚れなどは気にはならなかった。 砂利を踏み締める足音が徐々に近くなる。それだけで妙に興奮してしまうのだから、自分もいよいよ末期だと感じた。人間は常に小さな山を歩いて生きている。今自分は性欲という大きな山の頂上に近いのかもしれない。30歳を迎えて4年もの間性交渉を行っていないのだから、ストレスよりも溜まるものは大きいのだろう。人間として当然の欲求の三角形が一部だけひどく突出している、ただそれだけのことだ。 木1枚を隔てた向こう側で砂利の擦れる音が鳴る。ゆっくりと顔を覗かせた高校生は、小島のことなど眼中にない表情だった。 「まだある…。」 人は何かに集中していると周りが見えなくなる、そんな在り来たりな事が証明された瞬間だった。すっきりとした制汗剤の匂いを振り撒いて薄い本の前にしゃがみ込んだ彼は、小島が目をつけた雑誌を手にとってぱらぱらと捲り始めた。あの薄い紙1枚にはどんな裸体が映し出されているのだろう。どうせならここでオナニーを初めて驚かせるのもいいかもしれない。しかし彼がこちらに気が付いたのは意外にも早かった。 左側のページに目を通し、ふと視線がぶつかる。数秒間のフリーズがあって彼は大きな声をあげて尻餅をついた。 「うわ、えっ、ごめんなさい…あの…。」 そうは言ってもなお雑誌を握り続ける彼は、しきりに首を横に振っている。親に自慰行為を見られたようなリアクションに、小島は思わず吹き出すように笑ってしまった。手を横に振って言う。 「別にここの人じゃないよ。それ、見に来たんでしょう?」 少し尖った顎を振って本の数々を指す。1冊ずつに目をやった彼は仕方なさそうに頷いた。最近の中高生は大人が驚くほどませていると聞くが、彼の反応がその統計は嘘だと教えてくれる。指紋のないガラス、油汚れのない食器、濁りのない清流。彼の純粋さが素晴らしく思えて、思わず膣口から何か透明な液体が顔を覗かせる感覚があった。下腹部に吹く性の暖かな風。小島は思わず彼に自分の名前を告げていた。
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