チョコミント

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   ジージージージー、しゃぁしゃぁしゃぁしゃぁしゃぁしゃぁしゃぁしゃぁ…。  かりかりかり、かりかり、…みゃーん。  「…う? あ、マーゴ、だめ!」  マーゴが網戸をひっかく音に、僕は飛び起きた。  あっつ…。少しでも風が入るようにと、カーテンを開け放した窓からの日差しと、裏山のセミの鳴き声が容赦なく部屋に入り込んでいる。  外に出たいと、マーゴがちょっと怒ってる。いつもは穏やかな桃色の「気」が、ちょっと刺々しい。  「ごめんね。…でも網戸掻かずに起こして」  網戸を開けようとベッドから手を伸ばすと、待ちきれないマーゴは、ほんの少し開きかけた隙間を体で押し開くように出て行く。  マーゴの爪が引っかかって、何度も補修した跡のあるベランダの網戸。補修用のパッチは多めに買ってあるけど、これ以上穴が開くとヤバイ。  ホームセンターへは滅多にいかないから、コンビニで買えないようなものは行ったときにまとめ買いしてある。    出て行ったマーゴを目で追って、裏山の緑に目をやる。蝉の声は煩いし、今日も日差しが強い。――外へ出たら溶けるかも。  猫は暑さに強いみたいだけど、真夏の日中にこの部屋にいるのは拷問だ。  だから最近、マーゴは毎日お出かけする。きっとどこか静かでひんやりしたお気にいりの場所を見つけているはず。僕もマーゴについて行って涼みたいけど、きっと人間の大きさと俊敏性では行けないところなんだろうな…。残念。  僕も猫だったらよかったのに――。もう何千回目か分からないくらいの口癖というか思い癖?が、出てくる。  昨日の夜からずっと頑張って首を振っている扇風機。羽の前に付けた保冷剤もすっかり溶け切っていて、生暖かい風を送ってくる。  僕は汗だくの身体を起こして、扇風機のスイッチを切る。ご苦労様。  そのまま僕は、お風呂場へ向かった。    「おはよう、ソーヤ。…どした?」  いつも訪れる近所の大学の図書館。  入ってすぐの掲示板の前で固まっていた僕の上に、ふわりと降りてくる桃色の「気」。  振り返ると、――夏だから? 髪が短くなってる。モヒカン?っていうのかな。色は金色のままだけど、てっぺんだけ少し残してトサカっぽい感じになった短髪だ。顔立ちも厳ついから、似合ってるけど厳つさが二倍。一歩間違うと田舎のヤンキーだ。  ピンクの「気」をほわほわさせてにこにこしてるから、全然怖くないけど。  「あ、休館かぁ。…へぇ、二週間って結構長いな」  陸は固まっている僕の視線の先にある掲示物を見て、そう云った。  『休館のお知らせ』  夏休み中でも毎日開館してくれてて、ありがたいなー。って思ってた矢先。お盆を挟む二週間、図書整理も兼ねて夏季休業致します。だって。  頭一つ上から、聞こえる陸の声。  「残念だな。最近は皆勤賞だったのに」  そう、試験期間中はさすがに学生も多くて避けてたけど、試験が終わって夏休みに突入してからこっち、毎日通っていた。それを知っている陸も、毎日来てたってことだけど。  最近の僕は一人掛けのキャレルじゃなくて、ひと気のない四階の大テーブルの席をベースにして一日を過ごしていた。  陸が来る時間帯は決まってない。  ふらっと来て、僕の向かいの席でレポートをやったり、寝たり、本読んでたり。いろいろだけど、小一時間ほど居て、帰っていく。特に会話らしい会話はない。  「他に人がいなくて、涼しいとこって…」  思わず呟いていた。  学食も夏休みに入って時間短縮されてるから、お昼時しか開いてないし。ここの学生でもない僕が入れるとこって、もうないか…。  日中あの部屋で過ごすとか、ちょっと無理。  かといって公共図書館やショッピングモールは人が多すぎる。ここの大学図書館は広くて天井が高くて、人が少ないから居心地がいい。大学生ってあんまり図書館を利用しないみたいだから。勿体ない話だけど。  おかげで僕には好都合だったのに。  人の「気」が見える僕は、人混みが苦手だ。見えるだけじゃなくて、感じるから。人間の「気」は肌を刺す。痛かったり、ざわざわしたり、ねめぬめしてたり、不快でしかない。  だから、僕のパーソナルスペースは途轍もなく広い。  一対一でも、近いと辛い。その人間の「気」にも依るけど、大抵無理。  コンビニ店員との最低限の接触が限界だ。    マーゴとおんなじ、この桃色の「気」を持つ彼だけが、今は唯一の例外。  「やっぱ涼みに来てたんだ。家でずっとエアコンつけてたらもったいねーもんな。一人暮らし?」  「エアコンないよ。一人暮らしだけど」  「え? ないの? 死ぬよ?」  「死なないから。夜は結構涼しいし」  「…どこに住んでるの?」  怪訝な顔で訊かれた。  「この山の東側」  この大学は山を背に建ってる。その山の方向を指して言った。  「にしたって、暑いだろ。やっぱ一回生か。市内でエアコン無しとか、盆地の夏舐めんなよ?」  まだ彼には僕がここの学生じゃないってのは、バレてないみたい。  地方出身の一回生って思われたみたいだけど、今のアパートにはもう5年住んでる。  「俺だって奨学金貰ってる貧乏学生だけど、部屋にエアコンは付いてるぞ。今どきエアコンないマンションなんてないだろ」  「古い木造アパートだから」  ここは古い街だから、前時代の遺物みたいなアパートって結構残ってる。今住んでる小さなアパートもそう。住人もほとんどいないから、僕的には快適なんだ。真夏じゃなければ。  「――ちょっと早いけど、学食で飯食わないか?」  こんなとこで立ち話をしてるのを気にしてか、図書館員のいるカウンターの方をちらっとみて、陸が言った。  毎日会ってたけど、そのお誘いは初めてだ。…怒ってる、訳ではないみたいだけど、なんか「気」が萎んできた? 薄ピンクの「気」のふちが、さわさわしてる。  「一緒に?」  「一緒に」  うーん。夏休みの学食は空いてるし、僕もよく利用してる。…陸と二人なら、平気、かな?  「いいよ」  今は利用者が少ないから、メニューは減っている。プリンも今はお休みなんだ。残念。  陸は日替わり定食にしてたけど、今日のメインは揚げ物だったから、僕はワカメうどんとおにぎりにした。夏は食欲が落ちる。家だと素麺ばっかりだ。  人のいない隅っこのテーブルについて、二人でお昼ご飯を食べる。うん。大丈夫そう。この距離感だったら図書館にいるのと変わらないし。  「休館中行くとこないなら、…俺んとこ来る?」  「え? 無理」  即答した僕に、  「だよな」  ため息交じりに陸が呟く。  誰かの家なんて住んでいる人間の「気」で染まりきってる。絶対行きたくない場所ナンバーワンだ。…陸の「気」なら大丈夫かもしれないけど、考える前に答えていた。  「じゃあ、誰か友達とか…」  「いない」  「…だよな」  いつ会ってもひとりでいる僕に友達がいるとは、彼も思ってなかったようだ。なら訊くなよ。  「ショッピングモールとか、公共図書館とか」  考えることは一緒だなー。と思いつつ、うどんを呑みこんでから答える。  「人が多いところは、無理」  「苦手?」  「気持ち悪くなる」  「…そっか」  しばらく沈黙が続いて、おにぎりをもぐもぐしていた僕に、箸を持ったまま考え込んでいた陸が口を開く。    「エアコン、付けられないの? そのアパート」  「付けられなくはないと思うけど…」  それは、ちょっと考えた。年に何回かは、眠れないくらいの熱帯夜もあるから。そんなときはマーゴも、お風呂場の冷たいタイルの上でぺったり伸びたまま動かなくなるし。  でも、エアコンは扇風機みたいに買って帰れない。取付工事もしなくちゃいけないし。  知らない人が家に入り込んで、何時間もいるとか無理。それを考えると、別になくても死なないか。ってなる。ごめんね、マーゴ。  「気」が穏やかな人が来てくれるなら少しくらい耐えられるかもけど、どんな「気」を持った人が来るかなんてわからない。あなたの「気」は痛くて不快なので違う人にしてください。なんて言えるはずもないのだ。  「安い電気屋知ってるよ? いっぺんにしんどかったら無利子で分割払いとかもやってたと思う。なんなら工事費とかもサービスしてくれるように交渉してやるし」  「お金の問題じゃなくて…。工事の時に家に知らない人が入ってくるのが嫌。対応とか出来ない。絶対無理」  そこまで言うと、さすがに陸も黙り込んだ。…呆れたかな。  人間から見て自分がどれだけ面倒くさいかくらい、自覚はある。僕になんて構わなくていいのに。  「くっ、ははっ、マジ徹底してんなぁ、ソーヤ。そこまで人見知りな奴初めて見たわ」  急に陸が笑いだした。…そこ笑うとこ? 「気」がふわふわ広がって踊ってるから嘘じゃない。なんで楽しそうなんだろう。  「んー、でもなー、地球温暖化は待ったなしだし、若いからって熱中症舐めてたらマジで命に関わるよ?」  う。そこは知恵と工夫で、なんとか…。  「俺もだめ? ソーヤの家に入るの」  え? にこにこ笑いながら何でもないように訊くけど、ふわふわ踊ってた「気」が動きを止めて、少し濃くなった。…緊張、してるのかな。  「だめ、じゃない、けど」  多分、今まで見た他人の「気」の中で、陸の「気」が一番気にならない。少しも痛くないし、気持ち悪くもない。なんなら、居心地がいいくらい。こんな「気」初めてだから、どこまで大丈夫なのか、まだわからないけど。…陸が家に来るのは、別に嫌じゃない。と、思う。  「なら、なんとかしよう」  陸の濃くなっていた「気」がふわりと解けた。
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