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第60話 明日は定休日
16時から営業を開始し、19時閉店とした今日、ビーフシチューの残りで夕飯となっていた。
「はぁ……これから打ち合わせだよ、だりぃよ」
ぼやくのはトゥーマだ。その声につられてアキラの顔も曇っていく。
イウォールは淡々とワインを口に運び、ビーフシチューを楽しんでいるのだが、彼には打ち合わせはないのだろうか。
「イウォールさん、ワイン飲んで大丈夫なんですか?」
「リコのビーフシチューにワインは欠かせない。これは決戦前の景気づけだと思ってくれ。あ、リコ、このメモを渡しておく」
向かい側に座った莉子に渡されたメモは、食材だ。しかも、3つ。
【ラム肉、乳製品、唐辛子】
だけである。
「……なんですか、これ」
「国王たちが好きな食材だ」
「なんで、食材なんですか?」
「食材の方がイメージしやすいかと……」
「いや、無理です。しかも3つって、限定しすぎてません?」
「好きな食べ物は、厳選してあるものだろ?」
「確かにそうですけど、こういうときって苦手な食べ物にしません?」
莉子がぐびっとワインを飲み込んだ。
今日は手頃なフランス・ローヌ地方のワインである。
ローヌのワインは渋みもあるが、果実味が豊かで、スパイシーな風味もありながら、どこか懐かしい雰囲気もあるワインだ。
莉子はこれを常備ワインとして置いてあるのだが、イウォールも好んで飲むようになっている。
「……うーん、国王たちに苦手な食べ物はないな。……ああ、辛い食べ物が得意だ。もちろん、ワインもよく飲む。趣旨としては、ここへ来るのはのんびりと過ごすために来るから、コース料理ではない方がいいとは思う」
「ハードルがいっぱいあるんですけど……」
「仕込みはできないが、当日には厨房に入れる。リコ、頼む」
「……そんな綺麗な笑顔で言わないでくださいよぉ」
もう1杯ワインを注ぎ、口をつけたとき、トゥーマが笑う。
「リコ、そんなに悩まなくたっていいって。ここの全部おいしいし!」
「夜の食事ですもんね! 僕、今から楽しみなんですよっ」
「なんでお客さん気分なの、あなた達、手伝うんでしょ?」
ギリリと見つめると、2人の背筋が伸びる。
「「イエス、マム!」」
イウォールも2杯目のワインに口をつけてから、隣に座る莉子の手をおもむろに取った。
「リコ、今日は明日の準備もあり、自宅へ戻らなければならない」
「あ、はい、わかりました。手を離してもらえます?」
「さ、リコも準備を」
「……は?」
「私と一緒に自宅へい」
「行きません。なんで行かなきゃいけないんですか」
「ラハの襲撃があるか」
莉子を抱き寄せようとイウォールが背に手を回したとき、店のドアが大きく開かれた。
「私が来たわーーーっ! リコ、パジャマパーティーしましょーっ!」
「……ちゃんと寝間着とか持ってきた……」
エリシャとカーレンだ。
表のドアは、アキラたちが帰るために開けてあったのが、良かったのか悪かったのか……
にもかかわらず、そのままリコを抱きしめるのはイウォールだ。
「エリシャ、お前も打ち合わせがあるだろ!」
「私は明日現地集合! 服も持ってきたし、問題ないわ。何かあっても私がいれば守れるし」
「……リコのこと、守る。友だちだから……」
イウォールから引き剥がすように、エリシャが莉子を抱きしめ直すと、
「もう大丈夫よ、リコ! カーレンもついてるから、百人力!」
「……強いよ。精霊は闘える」
「ちょ、エリシャさん、離して……! 苦しい!」
カーレンに助けてもらい、イウォールとエリシャから、かなり離れて莉子は座り直すが、2人は犬と猿のようにいがみあっている。
奥ではアキラがエリシャたちのためにビーフシチューを皿に盛り、トゥーマがグラスを用意してくれているので、莉子はそのまま話を続けることにした。
「あの、エリシャさん、……ラハとは大丈夫なんですか?」
「ラハ? 問題ないわ。もう辞めてきたから」
エリシャはふふんと鼻を鳴らす。
「私はフリーの魔術師なの。今回だって今年いっぱいの契約だったしね」
「今年って、まだ7月ですよ!?」
「もう7月でしょ? だいたいリコのお店を潰そうとする社長なんて、こっちから見限ってやるわ」
「エリシャらしいな」
トゥーマは笑いながらワイングラスを差し出し、「あ」とこぼす。
「エリシャ、お前さ、花、詳しかったっけ」
「そうね。そこにいる魔力バカさんより、花は詳しいわ」
「それなら、香水事業、これから立ち上げるから、そっちこいよ」
「トゥーマ、それいいね! エリシャさんならコンセプトの香水、調合できそうじゃない?」
カトラリーを差し出したイウォールが、アキラの声に頷いた。
「それはいいな。私は香水は疎いから困っていたんだ」
「しょ、しょうがないわね! イウォールが言うなら考えなくもないわ!」
胸を張るエリシャの前に、カーレンがするりと体を差し込んだ。
彼女を隠すように立ち、言ったのは、過去のこと。
「……エリシャ、みんなのこと、一度裏切ってる。……いいの?」
カーレンの声に部屋が静まり返る。
それを割いたのは、トゥーマだった。
「裏切りってのは、こっちに大きな損害がでたとき、だろ? エリシャは、イウォールに恨みつらみの手紙と、ついでにあの呪いをかけて出て行っただけだから、大したことないし」
「……そう。よかった」
莉子はみんなを二度見する。
……よかった? 良かったの?
手紙までは、まーわかるけど、呪いって……呪い!?
横を見ると、耳まで真っ赤にして顔を手で覆うエリシャがいる。
「リコ、安心してほしい。呪いの魔術は、私が遊びで教えたもので、全く効き目がないものだ。エリシャは実は素直な」
「うるっさいわよ、イウォール! 今日は私がリコといっしょにすごすんだからぁっ!」
わーわー始めた2人を横で見ながら、改めてメモを手に取ってみる。
だが、莉子は悩むばかりだ。
「料理、何にしよう……。っていうか、何人ぐらい来るの?」
「……知ってる。10人ぐらい」
「カーレンさん、ナイスです。そっか、10人ぐらいかぁ……。あ、カーレンさん、好きな辛いものとかあります?」
「……青とうがらしが、好き」
少し頬がゆるんだことから、大好きなのを莉子は読み取る。
半分になった莉子のグラスにワインを注ぎ足しながら、アキラが付け足した。
「僕は夏ですし、スタミナがつく感じがいいです」
「お、それいいな、アキラ。オレもがっつり系がいいな。……明日の式典で疲れてるから……」
「わかりました。スタミナアップするような料理にしますね……って、あーもー! うるさいですよ、イウォールさんに、エリシャさん! 少し静かにしてくださいっ!」
───少しドタバタとした夜ではあったが、エリシャとカーレンがいる今日の夜は安心できる。
莉子は心の底から安堵の息を吐く。
……今日は朝の衝撃が強かった。
ラハの社長、アムラスの気迫が本当に恐ろしかった───
「まさか、アムラスが来るなんてねぇ……」
なぜか一緒のベッドに寝ることになったエリシャがつぶやく。
ベッドの隣に引っ張ってきたソファベッドに寝転がるのはカーレンだ。
「……アムラス、リコを怖がらせた。許さない」
「ありがとうございます、カーレンさん、エリシャさん」
莉子は体を転がしながら2人にお礼を告げると、首が横に振られる。
「いいのいいの。今日は、イウォールとかみんな、1回向こうに帰って、国王を連れてこなきゃいけないから、そんなときにリコになんかあったら、私が後悔するし。それだけ。それにリコとパジャマパーティしたかったし!」
「……エリシャ、ずっとこれ……うるさい」
「うるさいって言わないでよ、カーレン。ね、カーレンこそ、トゥーマとよくしゃべってたじゃない。どう? どうなの?」
「……うるさい、エリシャ」
Tシャツとハーフパンツ姿のエリシャが起き上がり、カーレンの肩をゆすって話しかけはじめる。
それに莉子もつられて起き上がるが、
「へ? 本当にパジャマパーティするんですか……?」
ぐるりと体にタオルケットを巻きつけ、エリシャを見やる。
「当たり前じゃないの! 恋バナはパジャマパーティーで絶対しなきゃいけない掟よ。守らないと、寝巻きの神様に噛み殺される……」
「いやいや、死なない死なない! それ、誰に聞きました? ねぇ?」
「いいからいいから! ね、リコ、イウォールとはどうなの?」
───今夜は長くなりそうだが、明日は定休日。
みんなが、エルフの国民に戻る日だ。
そして、明後日は貸切の日。
少しぐらい楽しんでもバチは当たらないのではと、莉子は開き直ることにした。
だが今思えば、もうすでにラハの手は動いていたのだと思う……
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