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お前は、誰だ
「良く無事にここまで来れたな」
静かな魔王の声が、耳に届く。
いつものような快活で爽やかな空気はみじんもなく、老成し落ち着いた雰囲気がにじみ出ている声。
表情も、あれほど豊かだった感情は削げ落ち、笑みを浮かべているのにどこか無表情にすら見える……空虚がそこにあった。
「どうせコレが呼んだのだろうが」
答えないセナを気にせず、魔王は背後の剣に視線を向ける。
そこで初めて、表情に色が乗った。
微笑み。
柔らかで、愛する者を見る眼差し。
セナドールがセナに向けるのと同じ眼差しを、目の前の男は剣に向けている。
それに、酷く胸が痛んだ。
「……お前は、誰だ」
瞳の色以外の姿形は、セナドールと全く同じなのに。
纏う空気も、仕草も、何もかもが違う。
「お前はセナドールじゃない……何者だ」
足を半歩だけ引き、少しだけ体の重心を落とし、警戒の態勢を取る。
ほんの僅かな動きだが、魔王には気づかれたらしい。
魔王は、嗤った。
空虚に、冷たい目で。
「愛した男との違いを見切るか。面白い。
だが、入れ物は変わっていないぞ」
これが、魔王。
セナは、背中に冷たいものが流れるのを感じながら、悟る。
セナドールは、本当の意味で、魔王ではないのだろう。
魔王の器に選ばれた人間。
本当の魔王は、別にいる。
おそらく、それは……。
「魔王の剣……?」
セナの呟きに、魔王の笑みが深くなる。
肯定と取っていいらしい。
思考を巡らせながらも、セナは必死に隙を狙っていた。
勝てる気がしないが、このまま放置してはおけない。
なんとかして、救世主の剣を……セナドールを取り戻したい。
じりじりと体の位置を変えるセナから目を逸らさず、しかし構えたところを微塵もみせずに、魔王は優雅に嗤う。
「そう、嫌悪するな。少し、身体を借りているだけだ」
そういわれて納得し、警戒を解く人間などいるものか。
じわり、じわりと位置を移動して、救世主の剣が魔王越しに見える位置。
セナは唐突に走り出す。
魔王の横を抜け、剣に手を伸ばすつもりだった。
実際は、魔王の腕の中になんなく捕まってしまったが。
「……っ、放せ!」
魔王の腕の中に閉じ込められ、セナは必死に暴れる。
だが、腕はびくともしない。
セナは、悔しさに唇を噛みしめた。
多少戦闘の心得があっても、基本は魔法職で筋肉に自信があるわけではない。
まして、救世主の剣もないただの人間と、魔物を統べる王。
勝ち目などなかった。
だが、あきらめるわけにはいかない。
あと少しで剣に手が届く。
そうすれば、きっと何とかなると思った。
それは、確信。
剣が、セナを呼んでいる。
もう少しで手が触れるという瞬間に、ぞわり、と首に慣れない感覚が走る。
とっさに固まり、セナは身を竦ませてしまった。
首筋にかかる、生温かな吐息。
意図まではわからない。
だが、身近に吹きかかるそれに、快感よりも嫌悪が勝る。
触れてくる体は、愛する男となんら変わらないというのに。
「ふむ……器に興味はないと思ったが……魔力が移ったか。いい匂いがするな」
「……っ、やめろ」
セナは知らない。
自分の体が、剣と同じように、ふわりと金色に光っていることを。
当然、その光が何なのかも考える余裕はない。
光を吸い確かめるように、魔王がセナのうなじに口づける。
それが、限界。
「嫌だっ……セナドールっ!」
これ以上触れられたくないと、渾身の力で腕を振りほどく。
意外なほどに、あっさりと離れる体。
勢い余って振られたセナの指が、救世主の剣に、触れる。
「あ……」
ぞわり、と、体が、不自然に熱く、なって。
「いや、だ……」
愛する男に教えられた欲が、体を支配していく。
目の前にいるのは、彼ではないのに。
涙ながらの声は、熱い吐息に溶けていく。
覚醒する体に相反して、意識が遠のく。
堕ちて、いく。
「なんだ、移ったのか。……その方が、私は嬉しいがな」
柔らかな魔王の声。
優しく頭を撫でる手。
胸に溢れるのは、痛いほどの切望と、焼けるような歓喜。
セナがはっきりと感じ取れたのは、そこまでだった。
***
遠い場所で、誰かが喘いでいる。
霞がかる思考では、それが誰か、自分に何が起こっているのか、答えに辿り着けない。
ただ、酷く幸せだという想いだけが、胸に溢れている。
「ん、……っそこっ、そこぉ……」
「ここか?」
甘い声で鳴いて求めると、柔らかな声が答える。
自分が愛した、求めた手ではないけれど。
自分が知っている、柔らかな感触はないけれど。
自分を見下ろす紫の瞳は、知っている。
優しくて、熱くて、溺れそうなくらい心地の良い視線。
暖かな湯のように、ずっと浸かっていたくなる。
「は、ぁ……気持ち、いいっ……そこ、もっとぉ……っ」
高らかに声を上げて、目の前の男にしがみつく。
深く穿たれて、中が締まり、背が撓った。
きもちいい……***と、一つに、なってる。
「っ、あっ……***……***!」
声にならない声で、何度も彼の名前を呼んで、上り詰める。
体内に注がれる熱。
彼の魔力が、体の中を満たしていく。
あぁ……すごく、幸せ。
余韻のように緩やかに引いていく、朔月の熱。
同時に、夢の終わりも感じて、怖くなる。
いやだ。一人にしないで。
癖になった仕草で、自分を抱く男に頬をすり寄せる。
同じように返してくれながら、彼は耳に心地よい穏やかな声で鼓膜を揺らす。
「私はここにいる。愛しいツガイ。私の月」
いやだ。離さないで。
だって、俺は。
***の命を終わらせるために、会いに来たんだ。
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