最後の補給地

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最後の補給地

「ここが、魔王の城に一番近い街のようです」  地図を確認しながら、体格の良い大男が言う。  身に着けている旅用の古びたマントが歩くのに合わせてヒラヒラと踊り、その腰に装備された大きな剣が見え隠れする。  幼い子供の背ほどありそうなその剣は、しかし男の腰に納まると、何処にでもある普通のサイズに見えるから不思議だ。  この、一見すると山賊か何かに見える大男は、しかし、いつも茶色の優しい目をにこにこさせていて、道行く先々で色々な人に好かれていた。  困った人を見過ごせない、勇者と言う通り名に相応しい人柄が、言わずとも伝わるのかもしれない。 「そこで補給だな」  大男の言葉を頭一つ分下で聞きながら、銀髪の華奢な青年が表情を変えずに言った。 「はい。最後の人里のようですし、とりあえずゆっくり体を休めましょう」  己の言葉に頷く男をチラリとも見ず、青年は足を進める。  いつもながら愛想のない態度に苦笑を浮かべて、大男は散切り頭の赤い髪を太い指でかき混ぜ、地図を懐にしまう。  そして、前を歩く青年を慈愛の眼差しで見た。  美しい。そう形容するしかないほど、綺麗な青年。  しかし、つややかな長い銀髪は無造作に束ねられ、宝石のような赤い目は無感情に前だけを真っ直ぐに見ている。  表情も乏しく、まるで人形のように見えた。  黒い神父服の上に羽織っている旅用の古びたマントが、長い旅の苦労を忍ばせる。  が、元々彼は表情が乏しいため、疲れているかどうか、ぱっと判断するのは難しい。  長い付き合いとはいえ、大男もそれを判断するのは難しく、仕方なく自分を基準にして青年の疲労の有無を図るようにしていた。 「……ここまで長かったですね……もう、村を出て5年ですか」 「そうだな」  まだ最後の敵が残っているが、最終目的地を前にして、大男は感慨に耽っている様だ。 「これで、最後だ」  対する青年は無表情に、随分と近く見えるようになった、それでもまだ徒歩で数ヶ月はかかるであろう距離にある黒い城を見やった。  同時に、傍らに下げた白く細い剣の柄を指先で触れる。  魔王が住む、城。  何百年も人間の血を吸ったため、黒く変色したと言われている、魔王城。  御伽噺ではない。  今も、世界中で魔物が人間を襲っている。  何百年も昔には、人間は世界の王者として、大きな国を幾つも維持していたという。  しかし、魔王が出現してからは、魔物が世界の王者となり、殆どの地域で、人間は小さな村を幾つも形成して、必死に生活を守っている状態だ。  特に新月の夜……魔王の宴の夜は、被害が酷い。  小さな村など、一瞬で家畜の檻と化し、住人は全て魔王に献上されるのだと言われていた。  捕食者と非捕食者……それが、今の魔物と人間の関係だった。 「馬が要りますかね」  青年と同じように城を見上げて、大男が呟く。  手前の黒い森を見て、青年は返した。 「森を馬で抜けるのは大変だ」 「ですが、城までの食料や物資を考えると、俺と救世主様だけで運ぶのは大変だと思います」  大男の言うことは尤もだ。  街を出て、城まで辿り着くには3ヶ月は裕に掛かるだろう。  森の中で食料を見つけることが出来ればよいが、確証はなく、用心に多く補給しておくのは当然の事だ。  ここまでの道のりでの経験を思い出し、青年はゆっくり瞬きをすると、同意した。 「……そうだな。体格の良い馬を一頭、用意しよう」 「はい」  自分の言葉に同意を得た大男は、ホッとしたように目元を緩ませ青年を見て頷く。  そうして、街を囲む壁を抜けるため、訪問者を歓迎する着飾った門をゆっくり潜った。  街は、活気に溢れていた。  市場には果物や日用品等の一般的なものから、栄養剤や魔法アイテムといった旅の為の品、果ては魔王城をモデルにしたお土産品まで溢れている。  行き交う人間も様々で、剣を携えた男女や、アイテムをぶら下げた魔法使い、いかにも観光客といった感じの小奇麗な人々等、世界中から人々が集まった人種の坩堝のようだ。  憎むべき魔王ですら商品にしてしまう人間の逞しさに、感心と呆れの両方を感じつつ、大男は青年を見下ろした。 「とりあえず、宿ですね」 「あぁ」  街を歩いていると、とにかくすれ違う人間が青年に注目してくる。  男は落胆や時々値踏みするような視線を、女性は羨望の眼差しを。  慣れている彼らは一々反応しないが、言葉を交わす人間は放っておいてはくれない。  安そうな宿を見つけて入ると、壮年の宿主に興味津々に声を掛けられた。 「綺麗なお兄さんだね、神父様かい?」 「そうなんです。魔法の心得がありまして」  無言で答えない青年を庇うように、大男が口を挟む。  これも、慣れたやり取りだ。  無愛想で返答のない綺麗な青年にがっかりしつつ、宿主は大男と会話を始める。  体格の良い男に臆せず会話を向ける宿主は、猛者とのやり取りに慣れていそうだ。  その証拠に、受付のある一階の食堂には、勇者と思しき逞しい男達が溢れていた。 「そう言うアンタさんは、勇者のようだね」  そうです、と答える大男に、宿主は眉を寄せる。 「ということは、魔王目当てかい?」 「はい」  大男の即答に、宿主は溜息をついた。 「ウチもこの店やって長いし……何人も送り出してきたけど、帰ってきた人間は一人も居ないよ。  救世主様とか名乗る客も居たけどねぇ」 「噂には聞いています」  魔王城に向かったものは誰一人として戻ってこない。  もう、300年以上語り継がれている逸話だ。 「お兄さんまだ若いし、何よりこんな別嬪さんだ。  魔王にくれてやるのは、本当勿体無いよ」  うちで働かないかい?  冗談か本気か判らない誘いをかける宿主に、問われた青年ではなく、大男の方が曖昧に笑って断った。 「無理ですよ。この方は、魔王を倒すためだけに生きていらっしゃるので」 「そうかい……何があったかは聞かんがねぇ……」  勿体無い。  もう一度呟いて、宿主は帳簿に二人の名前を書き、鍵を渡す。 「貴重品は自分で管理しとくれ。  部屋は3階の奥から二番目。番号が書いてあるからすぐ判るさ」 「ありがとうございます」  行きましょう、と大男に促されるまま、結局一言も発しなかった銀髪の青年は足を踏み出す。  ゆっくりしていきな、と未だ名残惜しげな宿主の視線には一度も答えず、青年は規則的に足を動かして与えられた部屋へと向かった。
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