本気で、手に入れたい

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本気で、手に入れたい

「魔王様」  今宵は朔月という日の朝。  しばしの別れを告げて、救世主の部屋を後にしたセナドールを追うように、キーズが廊下で彼を呼び止めた。  相変わらずの可愛らしい顔立ち。  耐性のない男女なら、だれでも魅了するだろう。  まぁ、インキュバスとはそういうものだが。  魔物の王たる魔王には、可愛いとは思えど、誘惑は通用しない。 「なんだ?」  それでも、幼い彼を拾い、気まぐれに構って育ててきた魔王は、キーズに甘い。  優しく微笑んで用を問うと、彼は少し顔を赤くし、モジモジとうつむいた。  そして、意を決したように顔を上げる。 「あの勇者、ちょうだい?」  愛くるしい小悪魔の笑みに、真剣な色の瞳。  このところ、毎日のように牢へ顔を出しているとも聞いた。  二人にどんなやり取りがあったかわからないが、思う所があるのだろう。 「お前は随分アレを気に入ってるんだな」 「うん。どうせ要らないなら欲しいなって」  軽い口調で言っているが、本気で手に入れたい感情が垣間見える。  その場限りのおもちゃが欲しい、とは違いそうだ。  わざわざ、魔王に強請ってくるくらいなのだから。  それがいいのか悪いのかは、わからないが。 「いいぞ。好きにしろ」 「やったー!ありがとう!」  セナドールとしては、セナを取り合うライバルが減ってありがたい。  セナの愛を疑ったことはないが、懸念材料は少ない方がいい。  それに、養い子が歓喜の声を上げるのも悪くない。 「あぁ、殺すつもりがないなら、宴の最中は気をつけろよ。  牢には誰も行かないだろうが、食われても知らんぞ」  もう数刻もすれば、セナドールの意識は魔物に近くなる。  記憶はあるが、どこか夢うつつで……夢を見ている状態になるのだ。  昔はもう少し、意識が近かったように感じるが、ここ数十年は別の誰かに体の主導権を奪われるような状態が続いている。  そして、その別人かもしれない自分の意志は、セナドールでは制御できない。  今は勇者を殺すつもりがなくても、宴の勢いで変化する可能性もある。  そこまで責任はとれないし、とるつもりもない、念のための忠告だ。 「あと、逃すなよ?」 「はぁい!」  元気のよい返事にセナドールは満足し、今度こそ部屋から遠ざかった。 ***  大広間……いや、城中の騒ぎが、場内に響き渡る。  飲めや食えや……そして楽しそうな喧噪と……勢い余って喧嘩でも起こったか。  殴り合いや、攻撃魔法が飛び交う音もする。  補強してある城をそれで壊すことは出来ないし、おそらくレヴァが仲裁に入るだろう。  記憶にある月のない夜との違いに思いを馳せながら、魔王は一人、宴を抜け出した。  側近気取りの魔物に気づかれず動くなど、造作もない。  人気のない廊下を渡り、真っすぐに目的地へ向かう。  もはや、宴の必要はない。  自分が求めるものは、ここにある。  魔王城の奥。  執務室のその奥にある、封じられた部屋。  魔王と側近しか入れないそこに、それがいる。  月明かりのない部屋で、淡く光る一振りの剣。  鞘を取り払った、月の化身のような純白の剣が、おざなりな剣置きに横たわっていた。  魔王は、感情の見えない顔で、目を細める。  その視線の色は、歓喜と渇望。 「……どんな姿でも、お前は美しいな」  語り掛けながら、指を伸ばす。  壊れ物に触れるように、そっと。  柄頭から、握り、鍔へと降りていき、刃先を避けて刀身を撫でる。  まるで、体を撫でて存在を確かめる、ベッドの中での愛撫のように。  事実、彼の唇から漏れる吐息は熱い。  月のない夜に溢れる濃厚な魔力は、魔物にとって媚薬と同じだ。  まして、ツガイが近くにいるならば。 「必ず、元に戻す」  魔王は、飢えを堪え、絞り出すように誓う。  たとえそれが、己の終焉だとしても。  一人で遺しはしない。  柄頭にそっと唇を寄せる男の瞳は、いつもより赤みが薄く見える。  異常な光景に、セナは呼吸を忘れて立ちすくんだ。  なぜ、部屋で寝ていたはずの自分が起きているのか。  ここはどこなのか。  目の前の男は……誰なのか。  何一つ、答えは出ない。  人の気配に気づいた魔王が、セナを振り返る。  ゆっくりと立ち上がり、救世主の剣を背にこちらを見る。 「救世主の、器か」  そう呟く男の瞳は、冷たい宝石の色。  愛する男とは違う、アメジストの色をしていた。
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