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大江くんはたっぷりと文句を言いたげな表情で、イヤホンをはずして首からぶら下げると、気だるい表情でネクタイを直して、踏み潰していたローファーのかかとを持ち上げた。
「こんでいい?」
『まぁ……さっきよりは。』
確かに、制服って窮屈で、ダサくて、個性出すためになにかしたくなるよね。
私もスカート短くしたり、無駄にブランド物のニット中に着てみたり、もがいていた側の人間だから、気持ちはとってもわかるけどね。
立場的に理解を示すわけにはいかないのよ。
島崎先生と二人きりの保健室が息苦しくて、引き留めたその相手は、上唇を突き出してからボソッと呟いた。
「だっせぇんだよ制服…。」
『大江くんは顔もスタイルもいいから大丈夫だよ。』
「えー?もしかして宮坂って俺に惚れて………」
『年下お断り』
「否定が早ぇよ…。ねぇ…あいつは?」
『…ん?』
「今日来てないの?」
『…んん?』
「もぅ…っ!時田だよ!」
『2年の靴箱確認したら?』
「いじわるすんなっ!」
『はいはい…ごめんなさい。今日はまだ時田くん来てないみたいのよ。』
「そっ…か…。」
『ねーぇー?大江くん、そうやって毎日時田くんの様子聞いてくるじゃない。同じ軽音部だからって、バンドは違うのに。やっぱり気にしてるんじゃないのぉ??嬉しいと思うけどなぁ、気にしてくれる先輩がいるって。』
高3で、18才。
妙に達観して大人びていて、それなりの闇を抱えてもがいてる。
私が保健室に来る直前まで授業を持っていた3年生のクラスの中で、いちばん無邪気に楽しそうに聞いてくれて、なぜだかとっても懐いてくれた子。
大江くんは、大人と子供がアンバランスに共存した体を制服という名の戦闘服で取り繕って、いつもひとりで見えない何かと対峙してるような、緊迫感のある不思議な子だ。
「宮坂ぁ…俺が心配してたとか、ぜっってぇ言うなよ?逆効果だよ?時田だって、誰かに心配されたくないはずだから。ぜっったい!黙ってろよ!」
『わかったってば。そこまで頑なだと逆に気になるわ…』
「…ほっといてくれ。あ、あとでツーショット撮ろうぜ。あと連絡先も教えて。今日最終日だろ。俺、宮坂の大学受けるつもりだし。」
『今の大江くんの成績だときついよ?』
「……推薦でいい。」
『“でいい”って何よ。推薦なんてもっと無理よ。受験ってのは作戦合戦なの!まずは己を知り……』
「あー…はいはいはいはいはいはいはい。放課後、職員室行くから。ばいばーい!」
昇降口へ向かいながら、大江くんの両手が胸の前でもぞもぞ動いてネクタイは緩まって、歩きながら器用にローファーのかかとも元通り。
はあぁぁ…
あの子のとらわれてる闇とか棘ってなんなのかな。
素直な自分でいられない理由はなんなんだろう……
カラカラカラカラ…ッ!!
遠くから走る足音が聞こえてきたと思ったら、ノックもしないで保健室の扉が勢い良く開いた。
「島崎先生来てください!時田が教室で吐いちゃった!」
「『え…っ?!』」
駆け込んできたのは時田くんのクラスの学級委員。
島崎先生と顔を見合わせたのはほんの数秒。
時田くんが教室にいるっていう状況が飲み込めずに固まってしまった私を横目に、島崎先生は雑巾、ゴミ袋、マスク、キッチンペーパー、塩素系漂白剤…てきぱきと用意しながらその学級委員の子に冷静に様子を聞いた。
「吐いただけ?痙攣してるとか、目の焦点が合わないとか、そういうのは?」
「それは…ないです。」
「だれか吐瀉物に触れた子はいない?」
「それも…大丈夫です。時田のそばには…誰も、行かないから…。」
「わかった。すぐ行くから。今日は全校朝礼だからあなたは時田くん以外の生徒を校庭に誘導して。宮坂さん、一緒に来て。私は吐瀉物の後始末しちゃうから、時田くんを保健室までつれてくるのお願いしたい。」
『ゎ…わかりました。』
おろおろしてるだけの私と違って、島崎先生はやっぱりちゃんと仕事してる。
私なんか…私なんか…やっぱり…
教室に向かう間、島崎先生はずっと私に指示を出した。
吐瀉物のついた制服は脱がせて体操着に着替えさせ、洗面器を準備して、横向きに寝かせておくこと。
体温を測って37.5℃を越えていたらおうちの方へ連絡、40℃を越えていたら救急車。
脱がせた制服はマスクとゴム手袋をして、外の水道で吐瀉物を流して…
はい…はい…って聞いてるけど、段取りが多すぎるのと、私が動揺してるせいで、ちゃんとできる自信がない。
教室に着くと、時田くんは自分の席に突っ伏して、肩でぜーぜーと大きく息をしていた。
「時田くん、大丈夫?わかる?」
島崎先生がそっと肩に手を当てると時田くんは顔もあげずにただコクコクと首を動かした。
「宮坂さん、お願い。」
『…はい。』
『時田くん、立てる?保健室、いこ?』
「…。」
そっと抱き寄せた時田くんは、昨日と同じようにあったかくて、でも、胃液のつんとした匂いがした。
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