2000年の3日間

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これは…だいぶマズイことになってる…。 頭ではわかってるのに、体が全然動かない。  私の左腕を包み上下しているこの子の右手 私の右耳から首筋に回されたこの子の左手 私の涙袋あたりで時折動くこの子のまつげ 私のそれと重ねて甘えて辿るこの子の鼻筋   愛しい…なのか   少し開いた窓から吹きこむ風が、アイボリーのカーテンを揺らす。 太陽の光のオレンジ色をほんの少し絡めて 薬棚の消毒薬の刺激臭をほんの少し絡めて 廊下を走る生徒の足音をほんの少し絡めて   寂しい…なのか   『…………とき…た…く…』 「……返事は、要らない………っつった。」 『………ぅん…。』   苦しい…なんだ。きっと。  叶わない“もしも”が多すぎるから。   「明日からは、もう、会えない……なんてさぁ……わかってるよ…。言うなよ……むぎのばか。」 『………わかってるなら…会いたいとか…ぃ…言わないでょ…ぉ………っ』  ポトリ… 一発退場アウトだ。 もう、明日にはここから強制退場だからいいんだけど。   「むぎ…泣くのは、ズルいよ。」 時田くんの手のひらは大きくてあったかい。 私の頬をまるごと包むフリをして、私の全部を囲いこむ。   もういちど。 ふわりと重なる度にふたりだけに響く小さな水雫の音 そのあたたかさと そのやわらかさと そのここちよさと ゆるりと重なる事をふたりだけが望む小さな背徳の時   でもこれは…最大級マズイことになってる…。   一時限目の保健室で 先生と 生徒が 唇と唇、くっつけてたら 舌と舌、絡めあってたら マズイどころの話じゃない。   おちこぼれで ネクラで チビで 一重で めんどくさくて this is a pen もわかんない子供と  おちこぼれで 泣き虫で 熱くて 先生に 全く向いてない is this love? がわからない自分と  何がいちばんマズイって… やっぱり 私、そのものだ…。   「むぎって…いいにおいする…。やぁらけぇ……やば…」   低く 丸く 甘く 緩い 鼻にかかる声  「俺……キス上手い?」 『……っ!』  急に我にかえって、今のこの取り返しのつかない一連を現実世界から抹消するために、ちょっと乱暴に突き飛ばしたら、時田くんは保健室のベッドの柵に鈍い音をさせて衝突した。   『ちょ…っ……時田くん、どういう意味?』 「いって…ぇ……。ぁんだよ。ひどい。暴力教師。」 『ごめん…。ぁ…コブになってる…ほんとごめ…っっ!』   頭悪いのかな私。 あっさりひっぱられて腕の中。 「もうちょっと…ここにいてよ。」 いいにおいする… やわらかくなんかない けどあったかい 大人の手前のカラダだ。   トントン…カラカラ… 「時田くん大丈夫?熱は?」  ノックしたからって返事も待たずに扉が開くのは、私と時田くんだけの場所にしたかったこの場所が、結局は、ノックの主の島崎先生の場所だから。   慌ててまた突き飛ばして、時田くんが頭を抱えてうずくまるのと、島崎先生がベッドのカーテンを開くのは同じタイミングだった。   「あら…だいぶ辛そうね。おうちの方に連絡する?」 「だ…ぃじょぶっす。島崎先生迷惑かけてごめんなさい。」 まるでなにもないみたいに完璧に普通を装う時田くんの隣で、私だけ真っ赤な顔でドギマギしてた。 「時田くん、先生は生徒に迷惑かけられるのが仕事なのよ。宮坂さんは大丈夫?真っ赤な顔で涙目じゃない。動揺しすぎね。どっしり構えなきゃ生徒が不安になっちゃう。でも、ありがとうね。あなたがいてくれて助かったわ。」  島崎先生はそう言いながら、体温計を確認して、時田くんのおでこや首もとに手を当てて体温を確認して、手首をそっと持って脈拍を確認して、下まぶたをくいっと下げて目の中を確認して、そっと優しく毛布をかけて、流れるように完璧に仕事をこなした。  「大丈夫そうね。今週は安全衛生週間だから、私全校朝礼で生徒たちに話をしなきゃならないんだけど、戻ったら交代しましょ。」 『……交代?』 「宮坂さん、生徒たちにに最後の挨拶と御礼しなきゃ…でしょ?そのあと教室回って最後のホームルーム、午後からは職員室の自席周りも片付けないと…。」 『そう…でした……。』  時田くんの顔は苦しげに歪んで、私の体のどこかから、ぎゅって何かが握りつぶされる音が聞こえた。  「じゃあ、宮坂さん…呼びにくるから待っててね。」 カラカラカラ… 軽いローラー音で島崎先生が保健室を出ていくと、ふわりとカーテンは揺れて、気づけばまた、時田くんの腕の中。  『だから…っ!なにこれっ』  「だからさぁ…あれだよ。 this is a love. だっけ?合ってる?」 『…………違う。』 「違わないよ。」  違うってば…。
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