2000年の3日間

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少し開いた窓の向こうには全校生徒が揃っていて、くだらない校長先生の言葉を一生懸命聞いてるフリをしてる。  強めの風が片付け忘れたサッカーボールを転がして 権力を誇示するくせに支柱にすがる校旗がはためく 一律こそが正義だと歪んだ当たり前を黙認して並ぶ  役に立つとも限らない知識を詰め込まれて、この場所でしか通用しない不可思議なカーストの中で生き延びなければならない。  学校という枠組みは、痛く苦しく残酷だ。 それと同時に淡く愛しく尊い日々だ。 離れて初めて気づく、二度と戻らない、幻に似た(はかな)い時が流れる場所。   私が今漂っている、優しくあたたかく、やわらかく心地よいこの場所も、二度と戻れない幻そのものなのかもしれない。 時田くんの、腕の中は…。   「違わないよ。俺、むぎのこと……」 『…違うってば。』  時田くんは立ち上がりながら私を突き飛ばして、よろけた私はもうひとつのベッドに倒れこんだ。 時田くんは、廃退的な鋭い目をして声を荒らげてまくしたてる。  「なんでそんな風に決めつけんの?俺が子供だから?生徒だから?じゃあ何歳になったらいいんだよ!18で卒業して生徒じゃなくなったら?それとも二十歳(はたち)で成人したらやっと認めんの?」 『そーぃぅ…ことじゃなくて…』  いや…そういうことでもあるんだけど。  「学校ってなんなんだよっ!だから嫌なんだよっ!わかってないくせに決めつけるって行為ができないと教師にはなれねーのかよっ!むぎは…むぎだけは違うと思ってたのにっ……」 『時田くん、話、聞いてよ…』  さっきまで優しく包み込んでくれていた時田くんの腕に触れようと伸ばした私の手は、バシ…っと乾いた音を立てて乱雑に振り払われた。  「大人みたいな言い方すんじゃねーよ。5コしか違わないくせに。職業欄“学生”ってのは俺と同じだろ。まだ先生でもないくせに先生ヅラしやがっ…………ぁ。ご……ごめん…。」  瞳に優しい光が戻って、ちょっとおろおろした時田くんは、ぽふん…と私の隣に座った。  『…別に。ほんとのことだし』 「ごめん。いまのはホントごめん。」 『…いいってば。先生になるのは簡単なことじゃない。試験に通って肩書きだけ先生になったんじゃ、意味もないし…』  強めの風が吹き込んでカーテンが舞い上がると、私たちの目の前に保健室の外に広がる本来あるべき日常の景色が広がった。  ここは。 この保健室は。 私の居場所でも、時田くんの居場所でもないんだと、突きつけるかのように。   「俺…本気だよ。むぎのこと…。むぎは?俺はだめ?子供で、バカで、教室に行けない情けないやつだから?」 『…私の授業、聞いてなかったの?』 「…なに?」 『不定冠詞の“a”はどういうときにくっつけるって説明した?』   学校だとか 先生と生徒だとか 21才と16才だとか 今日で終わりの教育実習だとか そういうのじゃなくて。 楽しく笑ってふざけて食事して キスして愛しあえるような出会い方をしたかったよ。   「数えられるもののとき。それが、ひとつだけあるとき。」 『あとは?』 「たくさんあるなかの、不特定多数のうちの1個のとき。あんまり……思い入れがないとき。」   風が強すぎるから、保健室の窓は閉めた。 もうカーテンは揺らがない。 外の声も聞こえない。私たちの声も届かない。   「あ……もしかして要らないの?。不定冠詞の“a”。」   それは、もしも時田くんの気持ちがありきたりな中のひとつじゃなくて、特別なものなら……の話だけどね。  『時田くん…いつか…ちゃんと、教室に行けるようになるよ。いっぱい勉強して、卒業して、いまより大人になってね。』 「その時、もう一度むぎに会える?卒業して、18と23なら違うの?」 『さぁね。あのさ、時田くん…“むぎみたいな先生がいたら学校楽しくなるのにな”って言ったよね?』 「……ぅん…」   『ちがうから。』   「…ほんとだよ?俺、そう思ってるよ…」 『楽しくするのは、自分、でしかないんだよ。高校だって、大学だって、バイト先だって、職員室だって、自分の家だって…何もしなきゃ楽しくならないよ。渡されてる持ち駒全部、たどり着ける場所全部 、とことん使ってさ。何かやるにはあまりにも短くて、何もしないにはあまりにも長い人生の中で、どうしたいのか、どうなりたいのか、全部、自分次第なんじゃないかな…って思う。』  16歳が教師に抱く感情なんて 実体の伴わない蜃気楼と同じ 君の呟いた“love”は幼くて 答えは明日また変わるけど  あなたのことが好きだから あなたにも好きでいてほしい  いつかもし、違う場所で、違う二人として出会えたら… 返事は要らないから、一度だけ、そう願わせてよ。   全校朝礼で最後の挨拶をして、教室で最後のホームルームをして、職員室に戻る前に保健室に行ったら、時田くんはさよならも言わずに早退して… いなくなっていた。 
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