2006年の3日間

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「オーダー入りまーす。オリオン生8つとぉ、シークヮーサー泡盛ひとつとぉ、冷たいさんぴん茶!」 「ふぁーい…」  サーバーから黄金率でビールを注ぐのは、この店で俺がいちばん上手い。 ビールの味は22歳になったいまでも、いまいちわかんないけど。 今日の予約は10人か… いきなりお茶飲むダメなやつ混じってるし。 ま、俺もそんなに飲めないけど。   「ねぇ、然くん。今日の幹事さん、めっっちゃ美人。」  バイトの先輩のミチルさんは、俺がビールを注ぐ時の腕の筋と、宴席で繰り広げられる人間模様観察が大好き。 何繋がりの何目的の集まりかなぁ…とか あれとあれ、たぶん付き合ってるよ…とか。  俺はミチルさんの姉御肌で飾らない人柄と、シナリオライターになるっていう夢にまっすぐなところと、猫みたいにつり目なところと、100点満点の太ももとちょっと固そうなおっぱいが好き。 あ、触ったことはもちろんないから、あくまで俺個人の抱くイメージです。  「え…どれ?」 「ほら、あの手前の右。80年代アイドルって顔してる。」 「ここからだと見えないよ…。でもさ、80年代アイドルって褒め言葉なの?もう2006年だよ?それに俺はミチルさんの方が…」 「しつこいよ。きもちわるっ」 「言い方が凶器なんだょ…」  ミチルさんには、つい先日、4度目の玉砕を食らった。 たまにだけどテレビの仕事ももらえてるし、演劇もかじってて、俺はそこそこモテるはずなのに。 将来俺がめっちゃ有名な人気者になってから後悔したって知らないからなっ。   大人数の予約が入ってるのに、カウンターには常連客もいるから、狭いお店はぎゅーぎゅーで、次々止まらないオーダーに俺の脳みそもぎゅーぎゅーだ。  あれやれ、これやれ、って店長に指示されて、その合間にミチルさんのどうでもいい推理を聞かされる。 会話が堅いから公務員かも、とか、誰かの送別会らしいけどこんな変な時期に辞めるなんてブラック企業じゃないか、とか、ブランド物のカバンや時計を持っている人が多いから収入高そう、とか。  忙しくても、ヒマこいてても、同じ時給って納得いかないよな。 ブラックでも安定収入があるのと、好きなことできてるけど電気止まるのと、同じ生活ってのも納得いかないしな。  はぁ…腹減った。  時間の経過と共に俺の生気は削がれていって、反比例するように、店内の客たちはすっかり愉快に騒がしくなる。 居酒屋ってのは日常を一時忘れてリセットする場所だから、こうして羽目を外してもらわないと役目を果たせないんだけど、バカ騒ぎのしすぎはちょっと苦手だ。 おもしろいことも多いから、ここで盗み聞きした内容を俺たちのコントの元ネタすることもあるんだけど。   「ねぇねぇ然くん、あの人たち、お互い“先生”って呼びあってるの!なんだろぉ~?学校?議員さん?病院?なんか先生って呼ばれる仕事ってどれもエロいよねぇ~♪」  ミチルさんは多分楽しい学生生活を送ってきたからそう思うわけで、俺は学校にも先生にもいい思い出なんかないから、どうでもいい。  「あの幹事さんさぁ、美人ってだけじゃなくて、すごくデキルね。ちょっと残ってるお皿、空っぽにきれいに食べて下げれるようにしてくれるし、お皿もグラスもやりやすいように持たせてくれるし、飲み物頼むタイミングも9人全員しっかり見てんの。あーゆーの疲れそ…あれじゃ職場恋愛は無理だわ…」 「そーゆーもんなの?」 「隙があって可愛げがないとさぁ…」 「ミチルさんは暇だとバイト中でも口半開きで半分寝てて隙まみれでかわいぃ………スイマセ…ン。」 ミチルさん、そんなに怖く睨むなよ… もし俺が蛙だったら、いまその視線で死んでたぞ。  それにしても、人間模様観察しているミチルさんはほんとに楽しそうだ。 こんな狭くて汚い居酒屋の、安い時給のバイトでさえも楽しんでるミチルさんを見てると、思い出す。   保健室でひらひらしていたカーテンと、柔らかくあたたかなあの感触を。    何もしなきゃ楽しくないんだよ。 渡されてる持ち駒全部 たどり着ける場所全部使ってさ。 何かやるにはあまりにも短くて 何もしないにはあまりにも長い 人生の中でどうしたいのか どうなりたいのか 自分次第 なんじゃないかな…    むぎ… 俺が高2のときの話だからもう6年前か…。 片時も忘れたことがないって言ったら嘘になるけど。 どこの大学かは知ってたわけだから、会いに行こうと思えば行けないわけでもなかった。 だけど、行かなかった…行けなかったのは俺自身の選択だ。 それでも、教室に戻れた日、部活にも行けた日、修学旅行、卒業式…節目に必ずむぎの顔がよぎってた。 卒業したあとも、俺に彼女ができる度、風が吹く度、VHSのビデオカセットを吸い込ませる度、思い出しては切なくなる。  むぎ…………。 今、俺さぁ…自分がおもしろいって思うこと信じておもいっきりやってみて、仲間もいて、可愛がってくれる先輩や慕ってくれる後輩もいて、なんとか楽しくやってんだぜ………なぁんて、風に向かって呟いたりもする。   「むぎがよかったのになぁ!」   喧騒のなか、酔っ払ったおっさんの声が、ふいに俺の耳に飛び込んできた。
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