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3週間続いた教育実習もあと3日。
きっかけとなる理由はわかっていないけれど、去年の冬ごろから不登校で、最近は保健室登校をしている生徒がいる。
そんなこぼれた生徒を相手にするのも教師の役目。
残りの3日は不登校児の担任だ。
副校長先生から命じられた内容に戸惑いながら、私はいま、教室から時田くんの机と椅子を持ってきて保健室の前に立ってる。
『失礼しまーす…』
養護教諭の島崎先生の机の向かいに置かれた事務机で、薬箱を整理してる小柄な男の子。
一見するとげっ歯目の小動物みたいなのに、ちらりと私に視線を向けたその顔は、生き急いでいるような、死に場所を探しているような廃退的なオスの目。
考えてることを見透かされないように、堅い鎧をまとっていた。
教室に行かないせいで制服を着ていないから、私服の時田くんは大学の同級生やバイト仲間たちと、あんまり変わらないようにも見える。
「島崎先生なら、いま職員室だけど」
低くて、丸くて、甘くて、緩い声。
『ううん。そうじゃなくて…。時田くん、今日から3日間だけなんだけど、私、時田くんの先生になります。よろしくね。』
「…。」
ほんの数秒私に視線を向けただけで、時田くんはなにも言わずに、ただため息をついた。
『まぁ……“先生になります”とか言って…私まだ先生になりたいだけの、ただの大学生なんだけどさ…。あ、あのね!私、やってみたいことがあるの。』
マグネットで保健だよりが貼られて、今日の欠席人数がかかれた小さなホワイトボード。
ごろごろ転がして時田くんの正面へ。
『先生のなーまーえーはぁ…』
まだウカンムリしか書いてないのに。
「教育実習生の、宮坂。」
『ちょ…っとぉ!呼び捨て?もぉ!最後までやらせてよ。形から入るの大事なんだから。』
“宮”
“坂”
“紬”
『ですっ!』
「……………………そで?」
『…っんなわけないでしょ!!つむぎだよ!つーむーぎっ!ばかなの?』
「…教師が生徒にバカとか言うと、一発アウトだからな…」
『…ぁ。良かったぁ、まだ先生じゃなくて!』
「テキトーだな。……O型だろ。」
『ゎゎ。男のくせにそーゆーこと気にするの?めんどくさ。AB型でしょ。』
「ぶっぶー。」
『え?違うの?変わり者っぽいけど?』
「AB型は合ってる。」
『うっしゃ…』
「うっしゃじゃねーわ。男のくせに…変わり者っぽい…それも教師NGワード。おまえダイジョブ?」
時田くんは立ち上がって、私が持ち込んだ机と椅子をおそるおそる人差し指だけでそっと撫でた。
「形から入るの大事だから持ってきたの?今日からここが俺の居場所…?」
『違うよ。時田くんがいるところが時田くんの居場所。先生の授業が終わったら、いちいちそれ教室に戻すから。戻すとき手伝ってね。』
「は?」
『ねーえー♪なんで私のこと知ってたの?』
教室の椅子と机は小さいから、乱暴に椅子をひいてドスっと座った時田くんは、さっきまでより少し大きく見えた。
「保健室にサボりに来てる腐れ外道連中が、いつも噂してっからだよ。」
『えー♪どんなどんな?』
「いなくなる前に一回ヤりてぇ…とか」
『…思春期男子!』
「授業が受験向きじゃなくてくそ下手だとか」
『それ、ついこのあいだ副校長先生にも言われた…』
「……地学の…早瀬と…できてるとか?」
『………っ!』
「……え?図星?ウソだろ?おまえ学校に何しにきてんの。」
『早瀬先生とは何もないよ…同じ大学でサークルのOBだから、良くしてもらってはいるけど…。』
「そんだけ?」
『あとはさぁ…』
「やっぱなんかあるんだ。」
『“おまえ”ってやめよ?』
「……へ?」
『おまえもオマエだろ。私もオマエ?じゃあオマエって誰よ。他でもない時田くんと私で授業するの…っ。まぁ、先生じゃないからさ。先生って呼び辛かったら宮坂でいいよ。』
ちっちゃめの目を真ん丸にして、口がすこぉし半開きになったから、大きめの上の前歯がかわいくこんにちはってしてる。
げっ歯目だわ。やっぱり。
「むぎ。」
『えー…“つ”ぐらい言って。』
「めんどくせぇ。」
3日間。
私が時田くんの先生でいられたのはたったの3日。
そのあと続いた日々のあちこちは、すべて…君に紡ぐ。
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