2000年の3日間

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 A day in the girl's life A と the を赤でかいて下線を引いた。 『知ってる?この曲』 「知らない」 『やだ!人生損してる!このMDあげるから。聴いてねっ!』 「急に熱量すげーな」 『ちなみに意味はわかる?』 「女の…………人生?」 『しぶっ!演歌じゃないんだから…。』 今度は青で girl をぐるぐる囲った。 『この曲はこの男の子が退屈した毎日の中で、ある日面識もなかった女の子と、一瞬会話を交わして一目惚れする歌なの。そのあと会話することはなく毎日のように目で追いかけていた彼女には、恋人がいることがわかってその恋は実らないんだけど、それでも彼を好きになる前の退屈な毎日と比べたらいまの毎日は輝いていて、素敵な未来が待っていると思えたからあの日は特別だったんだよって、でも彼女にとってはいうあの日はどんな日だったのかなって歌詞なの!』 「……………ぅ…うん。」 『一目惚れした日だって、昨日とも明日とも同じ一日のはずだったから不定冠詞の“a day”!でも未来を変えてくれたのは他の誰でもないこの子“the girl”!わかる?この感じ。』  「…ぇえーっと。むぎの授業が絶対受験向きじゃないだろうなぁってのは想像ついた。」  はあぁぁ。 知ってる。 副校長先生だけじゃなく、早瀬先生にも言われた。 地学と英語で、教科も違うっていうのに。 ついでに言うと、いま、時田くんにちょっと距離置かれたのもちゃんとわかってる。  「あ!でもこのMDはちゃんと聴くよ。俺音楽好きだし。一応…軽音部…だし?行ってないけど。」 『……もうぃぃょ。』 「あー!もう~!なんだよぉぉ。」 『でも生の英語で例文出すの気に入ったから、明日はなんか映画持ってくるね…そのほうが時間つぶれるし…』 「落ち込むのやめろよぉ。なんで俺が励ましてんだよ。どっちが教師だよぉ…」  落ち込んではいないけど。 まぁちょっと落ちたけど。 時田くんがあたふたするのがかわいいから。 沈黙を決め込んだら、時田くんはみるみるあの目に戻っていった。   生き急いでいるような、死に場所を探しているような廃退的なオスの目。   「ねぇ…なんで俺が教室行けなくなったのか…むぎはどうして聞かないの?校長も、担任も、学級委員も、スクールカウンセラーも。みんな聞くのに。」   伏し目がちになって、机の木目模様を隅々なぞるみたいに、ひとつ、ひとつ言葉を絞り出す。  私、先生じゃなかったらよかったのかな。  同級生とか、先輩とか、私が生徒だったら、ぎゅって抱きしめてあげることもできるのに。 もし私が男だったら、先生だったとしてもできたのかしら。 お母さんとかお姉ちゃんでもよかったかもしれない。  先生で女だってのが一番…無力で意味がない。  『過去に対してはなにもできないし、聞いても仕方ないじゃない。』 「つめてぇ…」 『だいたいさ、その理由がわかってたら教室行けるでしょ。』 「…っ。」 『“なんで行けなくなったのか”、そんなこと、どうでもいい。“これからどうなりたいか”、“どうしたいか”、のほうを知りたいよ。私はね。3日しかないけどさ。』  トントン…カラカラ…  ノックして返事も待たずに扉が開くのは、この場所がノックの主の島崎先生の場所だから。 島崎先生は両手にたくさんの書類を抱えて入ってきた。 「宮坂さん、今日から最終日までここなんだって?」 『はい。お邪魔してます。』 島崎先生は私のこと一度も“先生”って呼んだことがない。 “あんたと私は違うのよ”っていうバリアがすごく厚い。  「私、来月の学校保健大会の準備をしたいから、今日と明日、会議室にこもってもいい?誰か怪我人や病人来たら校内PHSで連絡してくれたら戻ってくるから。」 『あ、はい。わかりました。』 「ごめんね。面倒なことばかり押し付けちゃって…。」 持ってきた書類を仕分けして、手早くあちこちのキャビネットに片付けてから、別の書類をいくつか抱えて、私と時田くんを笑顔で見つめた。  「時田くん、よかったね。」  「…なにが?」 時田くんの視線は、より一層攻撃的になってる。  「だって、楽しそうに喋ってたじゃない。先生、時田くんが3語以上の文章で喋るところ初めて見た気がするよ?同年代の宮坂さんだからよかったんじゃないかしら。じゃぁ……よろしく。」  モデルさんみたいなキレイな歩き方で、島崎先生は保健室を出ていった。   『時田くんって、3語以上の文章、英語だけじゃなくて日本語でもだめなの?』 「…っんなわけないだろ!」 『島崎先生って理想系の大人美人だよねぇ。足キレイだし。エロい。』 「…そお?」 『…なんもわかってないけどね』 「俺?」 『島崎センセ。』 「何?」 『喋ってて楽しかったの、私だけだし。面倒なこと押し付けられてもないし、てか面倒ってなんだし。』 「うん…」 『……同年代じゃないし。』 「は?」 『一緒にすんなだし。16と21よ?』 「……ちょっ…」 『なぁんも、見えてない。』  「むぎ…。」 『はーぁい?』  「俺、ちょっと感動しかけてたの。台無し。」 『ぇ?どこに?』  島崎先生が保健室に一緒にいてくれたらな…  きっと、あんなことには、ならずに済んだんだ。
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