決着

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 最近婚約の決まったTさんは、爽やかな好青年である。若い頃に父親を亡くされたとのことで、それなりに苦労もしたのではないかと想像したが、私の目の前でその父の思いでを語ってくれた彼は、暗い印象は全く感じさせない、明るく快活なイケメン君である。  私が小さい頃の父は、印象が薄いというか、要はあまり家にいる記憶が無かったのです。仕事中心の生活で、私が寝てる間に家を出て、帰ってくるのは私が寝た後でしたから、殆ど記憶が無いわけです。休日も殆ど接待やら何やらで平日と似たような生活でしたからね。幼稚園くらいまでは、父と何かをして過ごしたという記憶は殆どありません。  そんなある日のことです。幼稚園の年長になっていた私は、公園で近所の子供達と遊んでいたんですが、ぼちぼち日も暮れかけてきたので、遊びをやめてみんな家に帰ることにしました。  私が家へのほんの数分の道を歩いていると 「ちょっと、坊や」  後ろから呼び止められました。  振り返ってみると、一人の女の人が立っています。 「坊や、お名前は?」  とても優し気な声で、女の人が尋ねてきました。その声に何となく安心するものを感じたので、私は素直に自分の名前を答えました。  すると、突然その女の人はケラケラとけたたましい声で笑い始めました。そして「よかったね。よかったね」と繰り返すのでした。  一瞬、この人は、親戚か両親の知り合いか何かなのか、とも考えましたが、妙に甲高い声で笑い続けているその姿には、子供心にも薄気味悪いものを感じました。私は「ぼく帰るね」と言って、急ぎ足で歩き出しました。  女の人は追っかけてくる様子もなく、ただ笑い声だけが後ろで聞こえていましたが、十歩ほど歩いたころでしょうか、突然何も聴こえなくなりました。  振り返ってみると、後ろには誰もいません。逢魔が時の頼りない残光が、誰もいない路地裏に微妙な陰影を浮かべているだけでした。  ともかく家に帰って来た私は、夕食の支度をしていた母親に、たった今経験した出来事を話しました。妙な女性に声をかけられたと言うと、母親は直ちに警戒モードになりました。 「それ、どんな女の人だったの?」  ところが、改めて聞かれてみると、私にはその女性の姿が何も思い出せなかったのです。服装も髪型も、そして一番大事な顔の様子も、ぼんやりと靄が掛かったようになって何も浮かんできません。ただ、私にかけて来た優し気な声と、けたたましい笑い声については、確かに女性のものだったと思えたので、女の人だったと思うとしか言えなかったのです。  母親としては、急に姿が見えなくなったということは、近所の住人の可能性もあると思ったようで、だからこそ人相風体を確認したかったのですが、肝心の私の記憶が全く頼りにならないので、困惑していました。名前を聞いてきたということは、私の家に何らかの関心を持っていて、誘拐の可能性も有り得るかもしれない。とにかく、今後知らない人に声をかけられたら、一切口きいちゃだめよ、といつも以上に念を押されました。  その晩のことです。やはりいつものように父は夜遅く帰ってきました。いつもなら私はとうに眠りこけている時間なのですが、その晩は妙に眠れず、子供部屋のベッドの中で目を開けていた私に、ダイニングで父と母の話す声が聞こえてきました。 「今日、T君が、変な女の人に声かけられたんだって」 「変な女?」 「そう、公園から帰ってくる途中で」 「路上でか」 「そう。どうもうちの近所みたいなのよ」 「どんな女だったって?」 「それが全然思い出せないって言うのよ」 「思い出せない?」 「服装も顔も全然思い出せないんだって。でも、声だけは女の声だったって言うわけよ」 「……ふーん」 「で、お名前は?て聞かれたんで、優しそうな声だったから、名前は答えちゃったんだって」 「名前を聞かれたって?」  心持ち父の声が大きくなったような気もしました。 「そうなのよ」 「……そうか」 「これって、まさか誘拐じゃないかしら」 「……」  それから暫くの間、父の声が全く聞こえなくなりました。何か長い間沈黙が続いているようなのです。名前を言ってしまったことを叱られるのかと思って、私はベッドの中で緊張しました。 「やっぱりまずかった?T君起こしてこようか?」 「……いや、それはいいよ。寝かせておいて」  父の声はまだ心持ち高まっていたように思えましたが、とりあえず安心した私は、そのまま眠ってしまいました。  その翌週のこと、父は急に自分の郷里を訪問すると言って、東北方面に出かけました。平日はいつも”お仕事”に行ってくる父の姿しか知らなかった私が、珍しく夏休みでもないのに、お祖父ちゃんのところにいくと言うので、幼い私にも少々妙な気がしたものです。 「今回は、パパはお仕事でお祖父ちゃんのところに行くんだよ。だから、T君はお留守番だ。夏休みになったら、ちゃんと連れてってやるからな」  父の妙に優しい口調を聞きながら、パパはいつもお仕事なんだなあ、とか思っていました。  父の不在中、母は妙に不安な様子だったような記憶があります。それを見てる私の方も子供心に落ちつかない気分になりましたが、五日ほどしてから、父はごく普通な様子で帰って来ました。玄関先で出迎えた母に、開口一番「大丈夫。うまくいった」というようなことを言って、それを聞いた母が「良かった!」と心から安堵したような声を出していたような記憶があります。  そして、その頃から父の生活パターンが変わってきました。仕事中心だった生活はがらりと変わり、まだ私が起きている時間に帰ってきて毎日夕飯を一緒に食べるようになったのです。土日ともなれば、家族一緒に買い物に行ったり、車でちょっと遠出してみたり、必ず一日は家族と過ごすようになっていきました。相変わらず口数の少ない父でしたが、それでもキャッチボールやサッカーの相手をしてもらったり、自転車の練習に付き合って貰ったりして父と過ごす時間は楽しいものでした。  私が小学校に上がっても、基本的にそのような生活は続きました。夕飯の時に宿題を手伝って貰ったり、一緒にテレビを見たりしていたのですが、だんだん年齢も上がってくると、同じテレビ画面を見ながら意見交換をしてみたり、少しずつ私を一人前の人間として扱ってくれるようにもなってきました。幼いころ殆どお互いに顔も見ない生活が毎日続いていたことを考えると、全く信じられない変わりようでしたが、それも自分の成長を父が認めてくれたということなんだと思うと、なんだか嬉しい気持ちになりました。世相に関するニュースを見ながら、たまに私が小生意気なコメントの一つもしてみると、「なるほどなあ。Tも(T君ではなく)大人になってきたなあ」とか言いながらニコニコしていました。実際、私が小学校の高学年くらいになると「もう、Tもぼちぼち一人前なんだから、自分で考えて決めろ」とか「お前も大人なんだからしっかりしなきゃだめだぞ」というような言い方を頻繁にするようになってきました。  私は中学生になっていました。  ある日のこと、帰宅して自室でぼうっと漫画を読んでいると、リビングの電話が鳴りました。そして受話器を取った母が「えっ!?」と大きな叫び声をあげるのが聞こえてきました。  それは父が事故にあったことを知らせる第一報でした。父は出張先で、測量現場の高い崖から足を滑らせて40メートルの高さから落下し、即死したのです。  今思い出してみると、あの時の記憶は、ところどころ欠落しているんです。とにかく泣き崩れる母を必死に抱き起し、まだ世の中のマナーや常識も判らぬまま、親戚に連絡をとって、母と共に父の遺体と対面し、休む間もなく葬儀に参列し……一通りのことは確かにした筈なんですが、あまりにも急に沢山のことを経験したので、かえって記憶から溢れてしまっているのかもしれませんね。  全てが一段落付いた後も、とにかく自分がしっかりしなきゃいけない、そればかり考えて、母を支えながらがむしゃらに生きてきました。  幸い父が充分に高額の保険に入ってくれていたおかげで、私も母も困窮することはありませんでした。私も無事に大学まで出る事が出来、ちゃんと就職も出来ました。  そして良縁にも恵まれて、つい最近、婚約が決まった時、私は父の郷里を訪問し、親戚に改めて報告をしました。その際、実家の紹介で家の菩提寺にも挨拶に行ったのですが、その場で住職から重要な話を聞かされたのです。  父の実家は今でこそ地元で小さな商店をやっている平凡な家ですが、遡れば代々地元の分限者の家系だったそうです。  その三百年ほど前の先祖に、とんでもない放蕩息子がいたのです。親の威信を笠に着て、既婚未婚を問わず、近在の女性に片っ端から手を出し、金の力や暴力で次々に関係を持っては捨てるということを繰り返していました。みんな辟易していたのですが、地元の権力者である親は跡取り息子をひたすら甘やかし、完全に野放し状態で、みんなが泣き寝入りするしかなかったのです。  そんなある日、息子は一人の新婚間もない若妻に目をつけました。そして強引に関係を持とうとしたのですが、抵抗され、暴力でものにしようとするうちに、とうとう殺してしまったのです。  事件は当然のごとくもみ消され、新婚間もない夫も、家族達も文字通りの泣き寝入りでした。ところが、殺された新妻の恨みは強力な祟りになりました。そして当の放蕩息子を皮切りに、代々この家系の跡取り息子を取り殺すようになったのです。  この祟りの特徴は、不定期でランダムな動きをすることです。つまり、全ての家系の跡取りを全部取り殺してしまうとすぐに家が絶えてしまうから、生かさず殺さずのように、何百年にも渡って永遠に続く嬲り殺しのような形で跡取り息子が命を狙われるわけです。本家筋で二代続くかと思えば、三十年ほど何事もなく過ぎ、もう消えたかと思うと分家筋で突然再開されたり。読めない動きをするところが対処しづらく、全ての男子が、いつ自分の所に来るかもしれないという不安の中に生きなければならないわけで、それだけに猛烈な執念を感じさせるのです。一つ共通していることは、対象となる男子がまだ幼いころに、祟りは女性の姿を取って現れて、二言三言言葉を交わす。その際必ず名前を聞かれる。それがいわば”宣告”になる。そして、その男子が成人し、凛々しい青年となった後、若さの盛りで命を取られるのだそうです。  そして、さすがの分限者の家も、三百年にも渡って祟られ続けるうちに、本家筋も分家筋もじりじりと衰えて行って、結局私が”宣告”された時には、父の家系のみが残っていたのでした。つまりは、私が子供を残さずに死ねば、この家が完全に絶えてしまうということを意味するわけです。  私が変な女に声をかけられたと聞いて、これは例の祟りだと確信した父は郷里に帰り、最初は自分の父である私の祖父に相談しました。祖父も名案が無く、次に菩提寺の住職に相談しました。住職さんとしては、この家に伝わる祟りについては知っていたけれど、三百年に渡る怨念はあまりにも強すぎて、自分でもどうすることも出来ない、残念ながら家も絶えてしまうだろうとの回答でした。しかしながら、藁をもすがる調子で助けを求める父の姿を憐れに思ったらしく、考えた挙句に、一人の地元の拝み屋に連絡を取って連れて来たそうです。お寺の住職が巷の拝み屋さんを頼るなんて、普通はあり得ないことでしょうが、父の態度に動かされたのでしょうね。  そして、父、祖父、拝み屋、住職の四者で話し合った結果、拝み屋を通じて、父が祟りと”交渉”を開始することになったのです。  初めは私の命乞いから始まったわけですが、当然、すんなりと受け入れてくれるわけもありません。それでも父は血の出るような思いでさんざんに粘った挙句、以下のように決着しました。  即ち十年後に、父は自分の命を差し出す。そのかわり、息子、つまり私には、自分の子供が産まれるまでは手を出さないで欲しい。それを確約させたのです。  父は母にはこの祟りの概要は伝えたそうです。一応何故突然里帰りをしたのか説明は必要ですからね。そして郷里から帰って来た父は、母には「大丈夫、うまくいった」と私の命がもう狙われることは無いということだけ伝えて、自分の命を差し出すことが条件になっていることは黙っていたんです。母だってそんな話を聞かされたら、毎日普通に生きていけませんからね。あくまでも自分が死んだ時は、それは偶然の事故だと思ってもらおうと父は考えていたのです。  そして、父は郷里から戻ってきてから、急に家族と過ごす時間を増やし始めたのです。十年たったら自分はいなくなる。少しでも思い出を残しておきたいと思ったのでしょうね。そして、高額の保険にも入ってくれました。全て計画的にことを進めていたわけです。 「私の家系に関する祟り云々については、荒唐無稽なものに思われるかもしれませんが、取り敢えず私が知っていることはこれが全てです」  淡々と話を終えたTさんの表情はあくまでも冷静で、端正な面立ちには、何の感情も見出されなかった。今の話が本当ならば、Tさんは一生子供を持てないことになる筈だが、婚約相手の方は納得してるのだろうか。そもそもこの話は、もう相手にしたのだろうか。過去の話が一応終わったところで、私は現在の心境を聞いてみようと思った。 「どうも有難うございました。ところで、ご婚約おめでとうございます」 「有難うございます。これも父親同士が学生時代の友人だったというのがそもそものご縁なんですけどね。婿養子の身分ですが、飄々と自分のペースでやっていくつもりです。まあ、あのY家ですしね。文句は言えませんよ」 「養子に出られるのですか?」  Y家と言えば、日本有数のオーナー企業の創業家の家系である。いわゆる逆タマというやつだ。だが、養子というのは私には少々意外に思えた。 「はい、そうです。幸い婚約者にも、先方のご両親にも気に入って頂けたようです」 「……ですが、確かTさんもお父様も男の子お一人だったとか……そうすると、お父様が命を懸けて守ろうとしたお家を絶やしてしまうことになりませんか?」 「失礼ですが、それは私の家の話であって、貴方には関係無いことと思います」  静かな口調ながら決然と言い放ったTさんは、ふと顔を上げて外を見やると、こちらに向き直り「あ、婚約者が迎えに来たようですので、これで失礼させていただきます」と言って、静かに席を立った。  ファミレスの玄関を出た彼を目で追うと、実に清楚で気品のある女性が笑顔で近づいてきて、優雅な仕草で腕を預けた。道路脇には黒塗りの大きな乗用車の運転手が二人の為にドアを開けて待っている。ドアが静かに閉まると、車は滑らかに走り出した。なるほど、あの大企業の創業家のご令嬢ともなれば、いつもあんな車の送迎付きなんだなあ。あんな家に逆タマで入れるなら、そりゃあ父親が守ろうとした家が絶えても知ったこっちゃないんだろうな、と妙に納得すると同時に、なんだか残念にも思った。  一人ファミレスに残った私は、冷めたコーヒーを一口飲んでもう一度考えてみた。  Tさんのお父様が例の祟りとの交渉で引き出した結果は、彼に子供が産まれるまでは命を保証するという内容だった。子供が産まれた後は命を狙われることになるのだから、自分の命と引き換えに引き出した結果としては、割に合わないものかもしれないが、相手は三百年に渡って祟り続けた怨念なのだし、当時はそれがぎりぎりの成果だったのだろう。もしTさんが一生子供を持たないのであれば、一応、生涯命は狙われないですむのだし。  だが、彼だって自分の子供は欲しくなるかもしれないし、持つなと言ったところでどうしても欲しいと言ったら、とめることは出来ないだろう。そもそも祟りとの交渉について話したところで、信じて貰えるとは限らない。逆に言えば、祟りのほうもそう考えたからこそ、子供が出来るまで手を出さないということに合意をしたのだろう。そして、Tさんの父親が当然この家を存続させようとしている、即ち跡取りとしてのTさんに子供を持たせたいという前提に立っているものだと、信じて疑わなかったのだ。まさかTさんを養子に出すという”奇策”に打って出るということは、想定外だったのかもしれない。  考えてみれば、"Tさんに子供が出来るまで"という条件は、いかにも家の存続を望んでいるように見せて、真意は、"Tさんが結婚適齢期を迎えるまで"手を出させない、というところにあったのかもしれない。お父様は交渉によって、僅かな譲歩を引き出す一方で、十年の猶予の間に必死に次の手を考えて、打てる手を全て打っていた……結局のところ、Tさんは養子という形でこちらの家を出て、跡取り息子の立場を喪失することにより、祟りから逃げきる事が出来た。そしてこんな良いご縁で……婚約者の父親はTさんのお父様の友人だったと言っていたが、ひょっとしたらこのご縁もお父様が道を付けたのかもしれない。きっとそうだと思う。創業者の強烈なパワーによって庇護された婿入り先の家運も、彼を守ってくれることだろう。そして、Tさん自身、そして婚約者を始め婿入り先の家族は、残された母親の面倒もちゃんと見てくれるような人達なのだろうな。一方、Tさんの家は途絶えることになったが、これで祟りも終わることになる。全てはお父様が描いた絵だったのだ。Tさんも、そんな事情を全て承知の上で養子に出るのだろう。  お父様が命がけで守ろうとしたのは家ではなかった。ただひたすらに家族の生命と幸福を守ろうとしただけなのだ。不明を恥じながら、私は今度は心から納得した。 [了]
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