8人が本棚に入れています
本棚に追加
第3話 善太の仕事終わり
暗い教室を出て、凛虹先生のあとをゆっくりと距離を取るようにして歩いた。
シンケン塾は、エントランスから入ってすぐに先生方のデスクがあり、オープンなスタッフルームになっている。自分のデスクに戻り、椅子に座り左右に揺れぶらぶらしていた。
凛虹先生は、真梨子さんに授業の報告を簡単に済ますと、「では」と言って、一礼をして足早にガラス扉に向かって行った。すると、真梨子さんが俺にウィンク。
それは何? ん? と思っていると、真梨子さんが「凛虹先生お帰りです。お疲れ様でした~!」と、わざとらしく大きな声を出す。他の3人の先生も、「お疲れさまでしたー」とか言っている。けれど、もう凛虹先生は塾の外。真梨子さんは口パクで俺に「は・や・く」を繰り返し、凛虹先生の後を追え、もしくは、行け、と何ども人差し指を動かす。
ん? と、顎を突き出して、わかりません、という顔をすると、真梨子さんは眉間にシワを寄せ、こいつ肝心なところマジ鈍感、という顔で言った。
「田中先生もお帰りデース!」
「ん? 俺、お帰り?」
真梨子さんが頷く。すぐにコートとカバンを持ち、「はい! はいはいはいはい! 俺、お帰りデース! では、また明日~!」と、急いで塾を出て、凛虹先生を追った。
*
真梨子さんが、何の意図を持って指示を出したのかは定かではなかった。
「そりゃあ夜だもの。女性を一人で歩かせては危険とか? そういうことか?」
左右の道路を見る。いない。
「あのね! 夜だから! 真っ暗だから! あんな全身真っ黒のファッションだと見つけにくいから! もうっ!」
千葉県我孫子市。駅から20分ほどの場所。ビル、住宅、アパート、商店がぎゅっと詰まっている。ここ住宅街に続く細い道も、目を凝らして見るが凛虹先生らしき人は見えない。暗い。完全に見失っている。
走り出し、細い通りを行ったり来たりしながら、
「なんで俺に凛虹先生を追え!って言ったんだお? 暗い道は嫌いだぁ~お!」
指示された事ができていない気もするし、暗いの嫌だし、無駄に「お?」をつけて、不安をかき消そうとした。
真梨子さんは、何回かホストクラブに通ってくれたお客様。出会った時から唐突に不思議な事を言う人だった。
20歳の時にホストを始めた。
順調だった。でも6年経って、「何か、思っていたのと違う。思っていた自分でもなかった」と、心がフラフラと定まらない時に、どういうわけか真梨子さんに気に入られて、「我が塾の講師になって欲しい!」っと熱烈に詰め寄られ、えいや!って転職した。
暗い道をあちこち探したが、結局、凛虹先生は見つからなかった。指示された何かを遂行できなかったことが気がかりだったが、帰ることにした。
街頭がポツンポツンとある住宅街歩く。10分程行くと、コンビニの光が見える。その手前にある、公園と呼べないほどの小さな公園に、姿勢の良いシルエットが見えた。
「あれ? ……あれ凛虹先生じゃん。帰り道一緒かぁ~。だからかぁ~。真梨子さん知ってて、それで行けって言ったのかぁ~? なんだよぉ~、言ってよぉ~。あっ! 指導のコツを聞かなきゃだお!」
ベンチ2つと古い自販機。小さな街灯2本。ツツジの植木でぐるっと囲まれているその場所に、小走りをして入った。俺が凛虹先生の視界に十分に入っているであろう距離にいるのに、彼女はベンチに座って一点を見つめ、微動だにしない。
彼女の視線をたどる。自販機。
「お? なんか飲みたいのかにゃ?」
小銭をポケットから出し、おそらく健康に配慮したお茶が好きなタイプだと計算し、ボタンを押す。ゴトンと落ちてくるペットボトル。それを取り出し、凛虹先生に近づくも、まだ彼女は俺に気がつかない。
目の前にずっといるのに。どうしたものか……。
「お疲れーっす!」
と、声を掛けると、凛虹先生はハッとして俺を見て、またハッとした。その顔が可愛くて思わず笑った。
「はい。素晴らしい授業でした」
そう言いながらペットボトルを渡すと、凛虹先生は、「かたじけない」と答えた。それがまたおかしくて笑った。彼女のベンチではなく、隣のベンチに座る。おそらく嫌われているので、きちんと距離を取る。チャラ男が嫌いな女性は多い。案外。
「帰り道ここなんスカ? 危ないですよ。女性ひとり、こんな薄暗い小さな公園にいたら」
「……」
「どうしたんですか? 虫でも食べたような顔をして」
凛虹先生の意識が、やっと俺に向いたみたいだった。彼女は俺の目をじっと見つめた。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10! Hey! 俺の勝ち~!
意味のない10秒見つめてもらえるかゲーム。悪癖だ。
最初のコメントを投稿しよう!