DAY1

4/8
前へ
/33ページ
次へ
私の両親は、今でこそ服飾会社を経営しているが、駆け出しの頃は2人とも貧乏だった。 2人して新しい生地やデザインの糧になりそうなモノに、稼いだお金を使ってしまうからいけないのだ。 そんな2人に子供が出来て、私は母方の祖母に預けられた。 母の郷里は、メチャクチャ田舎だ。 自然豊かという美辞麗句では追いつかない位、田舎。 まずコンビニがない。 安定したWi-Fiが使える場所がない。 母は、そんな故郷が嫌で上京したクセに、自分に子供が出来たら未だ若かった祖父母に丸投げした。 丁度自分の仕事が認められてきて、育児で自分の使える時間や労力、お金を削りたくなかったのだろう。 都会の波は気ままだ、乗り遅れたら次のビッグウェーブはいつ来るか分からない。 両親に会う事は一年に一回あるか無いかだったが、優しい祖父母に育てられて、私は伸び伸びと成長した。 自然を満喫した私は、いつも陽に焼け、川原で泳いでいた。 教わった時は意識しなかったが、俗に言うサバイバル技術をマスターした。 近所のおじいちゃんおばあちゃん達は、縄の編み方や結び方、火のおこし方、食べられる野草の見分け方、水辺での安全な遊び方の達人だった。 そのお陰で、拓真を助けられた。 私が中学2年になる年、両親がいきなり私を引き取りに来た。 良い私立学校に編入出来るという。 彼らの言う良いは、そこに通う生徒の大半が、芸能界で活躍している親御さんのご子息ご息女だと、入学して直ぐに知った。 私の転校に拒否権はなかったが、そこに毎日きちんと通うかは私の勝手だ。 まず言葉が違う。 今まで周りにいた人達は、方言を使ってる年配者が多かったので、耳から入ってくる標準語を理解して、言葉にするタイムラグが若干生じた。 更に浅黒く、健康優良児そのものの私は、中学生でも化粧してる?っていう位、誰もがみんな可愛い女子の集団についていけなかった。 内申や素行さえ落とさなければ、付属の高校に進学できた。 私は慣れないという理由で、家に引きこもる事が多くなった。 その頃、デザイナーとバイヤーとして成功した両親は、戸建てを購入していた。 世界中飛び回ってて、ゆっくり在宅する時間も少ないのに、購入した家。 私の編入も含め、見栄や打算だらけで辟易した。 両親がほぼいないので、食事は取り寄せかテイクアウト。 その為のお金は渡してくれてたが、どんなに美味しい外食も二週間もすれば飽きる。 自分で祖母から送られた米を炊き、祖父が作った野菜を使って作る料理に、慰められた。 ストレス解消に過食気味になった。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

38人が本棚に入れています
本棚に追加