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15話「死に向かい何を思うのか」
「悠斗、大丈夫か?」
「悠斗君・・・」
横たわる悠斗の顔をのぞき込んでふたりが声をかける。しかし、ぴくりとも反応がない。
「おい、悠斗」
もう一度声をかけたが返事がない。奏汰はそっと悠斗の口元に手をかざしてみる。
「・・・死んでないよ」
「なんだよっ、だったら返事くらいしろよ」
奏汰が悠斗の肩を叩いて笑い、悠斗も横たわったまま力なく笑った。
「喋るのも・・・おっくうだ」
「ん? 力を全部持ってかれたか?」
「悠斗君、大丈夫?」
小さく頷く悠斗を見て助け起こす奏汰に雫も手を貸す。
「体が・・・鉛みたいに重い。腕が、上がらないよ」
悠斗はか細い声でそう言って目を閉じた。
「眠い・・・」
「せっかく起こしたのに、しょうがないなぁ」
口ではそんな事を言いながら悠斗を横たえる奏汰の手は優しかった。しばし悠斗を見ていた雫と奏汰はする事もなく海に目を向けて座っていた。
「騎馬戦、自信あるって・・・。悠斗君を担いでるのに走るの早かったね」
少しして雫が奏汰を誉めた。雫に見つめられて奏汰は頭をかき笑顔を見せる。
「うちは父さんいないからさ、妹のお馬さんごっこの相手は俺だったんだ」
「良いお兄ちゃんだね」
再び誉められて奏汰が満面の笑みを雫に返す。
「母さんの帰りが遅いって泣くのを宥めすかして、抱っこしたりおんぶしたり・・・。あいつ、背中におぶってもらって走るのが好きだから、部屋の中を走り回って歩き続けて・・・いつの間にか眠ってたなぁ」
懐かしそうな顔で奏汰は海を見つめる。
「意外なことが役に立つってあるもんだ」
「そうだね」
(舞鈴はどうしてるかな・・・)
今頃、妹はどうしているだろうかと雫も思いを馳せる。
一人っ子だった雫はお姉ちゃんが欲しかったが、姉ではなく妹でも姉妹が出来たことが嬉しかった。ねだられて折り紙を折ったりままごとの相手をしたり、突然お姉ちゃんになった事に戸惑いつつ楽しくもあった。
(また、海に潜ってみようかな・・・)
奏汰の妹ではないが、中学生になって生意気になった舞鈴の顔が浮かんだ。一緒にお絵かきをしたり並んで座ってマンガを読んだり、小さかった頃の楽しかった事が思い出された。
(最近は喧嘩が多かったけど)
いい相談相手にもなってくれた舞鈴が今は懐かしい。ここでの体験を話して聞かせたい、自分がいなくなってどうしているか話を聞きたい。そんな事を思うと胸がいっぱいになる。
雫も奏汰も互いに自分の気持ちを口にはしなかったが、それぞれに切ない気持ちだと空気が伝えてくる。口を開けば泣いてしまいそうな気がして雫は黙った。
「皆、川を歩いてたな・・・」
だから奏汰は話を切り替えた。そして雫は黙って頷く。
「雫だけじゃなく俺も渡れなかった。あの男の子は何者? 何で渡れないんだ?」
雫は奏汰に困った顔を向ける。
「あの男の子は夕暮れに川の出現を知らせに来る子よ。天使でも死に神でも好きなように呼んで良いみたい」
そう言って雫は肩をすぼませた。
「子供の格好で大人みたいな喋りして・・・、分かるような分からないような事言いやがって。何なんだよ、脱出ゲームか? ここは」
奏汰の例えにくすりと雫が笑う。
「脱出ゲーム・・・か」
「悠斗は渡れてたな」
横たわる悠斗に目を向けて奏汰がぽつりと言った。
雫も見た、悠斗は川の上を走っていた。川の水に浸る奏汰や雫と川を渡れる彼との違いは何だろう。
「夜になったら、またあの蟲が出てくるんだろ?」
「うん」
「食べられるのは嫌だけど、一晩中戦うのは無理だなぁ・・・」
奏汰はうんざりした表情で握った砂を投げた。
「うわーー!」
砂の落ちたずっと向こう、海から人が声を上げる。
「まぁた、うるさいのが来た」
大抵の死者は静かだが、声を上げながら海から顔を出す者が時折いる。
「嫌だ! 助けてくれッ、死にたくない! 俺はデビューするんだ!」
男が水を跳ね上げてもがいている。20代後半か。
ひとしきりもがいて我に返った男が辺りを見回してきょとんとする、そこまでが叫びながら現れる死者の殆どの反応だった。そして、そのまま浜辺に腰を下ろすかもしくは・・・、
「ここは何処なんだ?」
と質問をしてくる者に分かれる。
「天国だよ、お兄さん」
「馬鹿な・・・冗談だろ? 嘘だよな、まさかそんな・・・」
半笑いしている男が周りを見渡し、両手で髪をぐしゃぐしゃに混ぜる。完全に混乱している様子だ。今まで何処にいたか分からないけれど、気づいたら全然違う場所に居るのだから飲み込むのに多少時間はかかる。
「ははは、嘘だろ。デビュー決まったんだぜ・・・。何で俺が・・・」
男は外国人の様に大きな身振りで両手を広げ空に問いかけている。ラフな格好と男の口振りからミュージシャン系かと思えた。
「誰だ? 誰かが俺を押した。ホームから俺を突き落とした・・・! ああ、確かに誰かの手が俺の背を押したんだ」
人差し指を突き立てて今度は探偵か突っ走り系刑事みたいにウロウロし始めた。ギラギラと怒りをはらんだ男の目がさまよう。
落ちながら振り返った目が真後ろを捉える前に電車にぶつかったのを男は覚えていた。
(誰がこんな事を!)
怒りと悲しみと絶望が男の心の中で渦を巻いていた。
「くそぉ・・・!」
「海に潜ったら・・・」
「シッ!」
あちらの世界が見えると言い掛けた奏汰を雫が肘で小突く。男には奏汰の声が届いていなかった。
「嘘だ、嘘だよな・・・本気で天国だなんて・・・嘘だろ?」
ふいに向けられた男の顔に浮かんでいた怒りが悲しみに飲み込まれていく。
雫と奏汰が黙って首を振るのを悲しそうに男は見ていた。男は頭を抱えてしゃがみ込む。信じたくはなかったが鮮明な記憶が否定出来ない事実を突きつけてくる。
「電車は、まだホームには・・・?」
「目の前だった」
奏汰の質問に頭を抱えたまま男がぽつりと答えた。
電車の音、暗闇から近づくライト。眩しく強く迫ってくる映像が男の脳裏にくっきりと浮かんでいた。
手の形を感じるほどハッキリと力強く押し出され、スマホから顔を上げた時には目の前に暗いレールと枕木が見えていた。もがき救いの手を求めて反転した時には、光を放ち迫る四角い物体が視界いっぱいに見えていた。
「嘘だ、嫌だ。死にたくない・・・俺は、俺はまだこれから・・・」
男はボロボロと涙をこぼしながら髪をかきむしり、砂浜に突っ伏して砂を叩き泣き続けていた。その男の姿を雫はじっと見つめていた。
「雫、どうしたの?」
泣き崩れる男をじっと見つめる雫に奏汰が声をかける。
「私・・・死にたくないって思ったかなって思って」
真っ赤な夕日を前に無意識に飛んでしまった雫。その事を思い出してショックだったが、暗く陰ったコンクリートが迫ってくるのを見ても死を意識してはいなかったと思えた。
「死ぬのが怖いとかそんな事何も考えてなかった気がするの」
「そう言やヤバいとは思ったけど、俺も死にたくないとか思わなかったかも・・・」
ふたりして顔を見合わせる。
「これって」
「もしかして」
笑顔を向けあって人差し指を向け合って、ふたりの顔が向日葵のような明るさへと変わる。
「答え分かったかも!」
「これが答えだろ!」
ふたりが同時に立ち上がった。
「横で立ってたらスカートの中丸見えだぞ」
足下からふいに悠斗の声がして、
「きゃぁ!」
雫がスカートを押さえて飛び退く。
「エッチ!」
「横で騒ぐからだろ、見たくて見た訳じゃない」
反論した悠斗が気だるそうに体を起こす。臨戦態勢の雫の横で奏汰がスカートを見つめていた。
「な、何よ!」
奏汰はすかさず悠斗の側にしゃがみ込んで質問をする。
「何色だった?」
「見せパンだろ」
「いやぁ、今の驚きようだとそれはないんじゃない?」
「馬鹿じゃないの!?」
「痛ッ!」
雫に頭を叩かれて男ふたりが黙った。
「悠斗君は死にたくないって思った?」
ひとつ咳払いをした雫が質問をする。答えは想像通りだろうと思いながら。
「・・・思ったよ、当たり前だろ。俺には十分に時間があった。嫌って言うほど時間があった」
悠斗は顔を背けながら言った。
「死にたくないって思ったし、生きたいとも思った・・・。見舞いに来る仲間もだんだん減って、考えたくなくても考えたさ」
少し空気が重くなる。
(香織さんも病気になってから十分考えて答えを出した・・・)
初めてあった死者、香織。
(相沢さんも自殺したい衝動を何度も感じて、その度に考えたんだと思う)
教師をしていた相沢、そして首吊り自殺をしたあの学生も同じように何度も自殺をするか考えて、死にたくなくて生きたくて・・・それでもここに来た。来てしまった。
「私も・・・あの時、死にたくないって思ってたら川を渡れたのかな・・・・・・」
男の子の言葉が浮かんだ。
『答えを教えても、本人が心から思わなければ叶わない』
あの男の子には何も出来ない、川を渡ることを阻んでいるのは雫の心。死にたくない生きたいと思えれば渡れるのか、しかし・・・。
「もう、遅いの? 今更、死にたくないなんて・・・死んでるのに?」
「雫・・・」
両手を胸の前で握る雫の肩に奏汰が手を添える。
「蟲に、食べられるしかないの? 永遠に逃げ回るの?」
蟲に食べられるまで永遠に海と川の間でさまよわなければいけないの・・・?
雫は不安の波がひたひたと寄せて来るのを感じながら明るい海を眺めて立っていた。
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