17話「死んでなお生きる」

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17話「死んでなお生きる」

「奏汰君、死にたくないって思えたの? 心から?」  質問する雫に奏汰が静かに頷く。 「そう・・・、良かったね」  笑顔を向けた雫の心の中を冷たい風が吹き抜ける。 (夜が来たら私・・・)  ふたりが川を渡る背を見送ってまた取り残されてしまうに違いない。夜の暗闇に(うごめ)く蟲が思い出されて身震いがした。 (今度は、独りで戦わなくちゃいけないんだ・・・)  奏汰を間に挟みその向こうで肩を貸す悠斗が目に入る。 (いつでも渡れるなら今夜も渡らずに残って・・・なんてこと、願っちゃ駄目かな)  そんな事を願ってはいけない気がして、湧いてくる弱気を噛み殺す。  わずかながら、今まで知り合った人々の顔が浮かぶ。香織や相沢、首吊りをした学生。彼等はもう行ってしまった。 (また独りになってしまう)  この淋しさを感じるのはもう何度目だろうか・・・。  俯く雫の手をそっと退けて奏汰が浜辺へ向かった。真っ直ぐ目指す先は男の居る場所。奏汰の後を追ってふたりも砂を蹴る。 「ありがとうございました」  礼を言う奏汰に男は短く鼻で笑って首を振った。感謝されることに慣れていないのか、恥ずかしさを隠すように首筋を撫でてそっぽを向いている。 「礼を言うのはまだ早いんじゃないか? 渡れるかどうかまだ分からないだろ?」  眩しそうに目を細めてちらりと奏汰に目を向けた男は苦笑いした。 「お願いがあります」  真面目な顔の奏汰に男もどうしたのかと真顔を返す。 「彼女にもやってくれませんか?」  奏汰は側に立つ雫の腕を取って男の前に彼女を引き出した。 「は?」 「え?」  ぽかんとする男と戸惑う雫。ふたりの前で奏汰が深々と頭を下げるのを悠斗は呆れ顔で見ていた。 「奏汰君、それは・・・」 「少しは学習しろよ、か・な・た・君」  男が半笑いしながら「君」の所で奏汰の頭をぽんと叩いた。 「いてっ」 「ごめんなさい」 「何で雫が謝るんだよ」 「面倒かけんなよ」 「なんだよ悠斗まで・・・」  三人三様の会話に男が笑った。 「俺は女の子にあんな乱暴な事はしないし、同じ事をして同じ効果が得られるかは分からないだろ。プレゼントの中身気づいたんじゃない?」  男の投げた質問に雫が苦笑いする。 「ほら」  プレゼントの中身と聞いて男の言わんとすることに奏汰は気づく。後先を考えない性格は一朝一夕には直らない、幼い子のために飛び出したのと同じ事をまたやっている。  奏汰が男の側に腰を下ろし、悠斗と雫もその横に並んで座った。誰かが何かを話すわけでもなくしばらく沈黙が続いた後、奏汰が口を開いた。 「デビュー決まってたの?」 「ああ」 「犯人に・・・仕返ししたい?」  奏汰の質問に、男は黙って唇を噛み彼の目が(くう)をさまよう。 「生き返れるなら・・・仕返ししてやりたい」  低く抑えた声の奥に怒りが垣間見える。男の目は赤くなり奥歯を噛みしめるのが分かった。ぎゅっと結ばれた唇と揺れる瞳から彼の中の葛藤が伝わってきた。 「ここに来たらもう遅い、そうだろ?」  ねじ伏せた怒りと悲しみが声から滲む。 「川を渡ったら・・・」 「ん?」  雫の小さい声を拾って男が彼女に目を向けた。 「川を渡ったら生きてた世界に行けるって聞きました」  言った雫が口を真一文字にして少し先の砂地に目を落とす。 「そっか・・・。でも、川を渡った先は本格的に天国なんだろ? 仕返ししようなんて人間を現世に行かせてくれたりするか?」  諦め加減に男が笑う。雫も曖昧に笑い返した。 「懲らしめるくらいならOKなんじゃない?」  珍しく悠斗が軽い口調で言う。口では軽く言いながら悠斗の顔は心持ち暗く真剣だった。 「仕返ししてもらった方が、かえって罪の償いを感じて楽かも・・・・・・」  胸に刺さった剣の痛みを悠斗は思い出していた。  悠斗は別の世界で沢山の人をゾンビに変えて、物のように人を殺した事が思い出された。ゲーム感覚で現実感もなく、でも紛れもなくその世界に生きていた人を殺した。 (俺が川を渡れて、雫や奏汰が渡れないなんて変な話だ)  悠斗の心が重くなる。 「そうか、じゃあ仕返しは止めておこう」 「え?」  予想に反した答えに悠斗の口から声が漏れた。 「あっちの世界に行って顔を拝むだけにする」 「仕返ししないのに会いに行くんですか?」  雫も不思議そうに男を見つめる。 「自分が殺した相手がお化けになって、黙って見つめてくる方が怖くないか?」 「うわ、それ怖い」  奏汰と雫の声が重なる。 「だろ? 法で裁かれても裁かれなくても、一生罪の意識を忘れさせない。時々ふらっと顔を出して見つめてやるんだ。俺の顔を見る度にゾッとするだろうな」  楽しそうに笑う男につられて3人も笑った。 「マジ怖ッ!」 「執念深いッ」  奏汰と悠斗が体を仰け反らせて笑う。 「ああ、俺は執念深い。止めろ無理だ諦めろと回りから言われ続けても、30手前まで諦めずに音楽やってきたやつだぞ」 「あぁ、なんか納得」 「なるほど」  3人の会話を聞きながら、この男の人なら一生付きまとうことはしないだろうと雫は思う。  死んだ悲しみでどん底のような時でさえ奏汰の為に彼を海に沈めるような男だ。そして、笑顔を見せる彼の顔に怨念など感じられなかった。 「何故・・・死んだことをあんなに悲しんでたのに、奏汰君の為に海に入ったんですか?」  真顔の雫に男は困り顔で目をそらす。 「ために・・・って言うか、ほっとけなかったって所かな」  男はまた首筋を撫でる。 「俺は誰かを応援するつもりで歌詞を書いて歌ってバンドを続けてきた」  彼の目に光が宿る。 「俺自身何度も歌に救われてきたし、俺の歌が誰かの応援歌になれたら嬉しい。夢を諦めずにいて欲しいし、俺が手助けできることがあるなら手を貸したい」  黙って見つめる若者3人の視線に気づき、男がぱっと立ち上がった。 「単なるお節介だ、ちょっと手伝えることがあるならやっちまう。こいつと同じだ」  そう言って奏汰の頭を(はた)く。 「いてっ」 「さて、三途の川とやらを渡ってみるか。ん? どうした?」  ひとつ手を叩いて気合いを入れた男が乗りの悪い3人に目を落とす。 「川は日が暮れないと現れないんですよ」  座ったままの3人を代表して雫が告げた。 「そういうもんなのか? 何でも頃合いってのはあるもんなんだな」 「強いんですね」 「ん?」  見上げる雫の言葉に男がきょとんとする。 「執念深く頑張ってきたのに、デビュー出来る時になって死んじゃって・・・。なのにこんなにさっぱりした感じでいられるって、凄いなって思って」  ほんの少し前まで嘆き悲しみ怒っていた人間が、今目の前で笑顔を見せている。恨みを引きずっていてもおかしくないのに、もう前を向いている。  凄いという言葉を噛みしめてにやける口元を隠して、男の体が小さく縦乗りに揺れる。 「何だこれ無茶苦茶誉められてるなぁ、俺。運気アゲアゲじゃん」  雫がくすりと笑う。 「この際だから天国でデビューの続きをやるよ。大御所も沢山いるだろうけど、成り上がってみせるぜ。応援よろしくな」  男はエアギターに鼻歌でしばし楽しそうにした後ぱたりと草の上に体を投げた。 「ああ、ここは観客少なすぎだ。早く夜になれーーーっ」  一声叫んで伸びをしたかと思うと彼は目を閉じて静かになった。  嫌でも夜は来る。  彼は知らない、夜の闇に黒々とした物が現れることを。この男を目当てに蟲は出てこないに違いない。しかし、雫達3人の前にはきっと現れるだろう。  横並びに座る3人が目配せをする。この男をどうしようか、このまま黙って分かれるか、自分達はどうしたらいいのかと。
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