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3話「死の最後に見た景色」
「お父さんの保険金。お母さんはどうして妹さんには使ってあげないのかしらねぇ」
だいぶ経って香織が浮かんだ疑問を口にする。その答えを雫は知っていた。
(自分の知っている事を夢の登場人物が聞くのは変じゃない?)
雫は突っ込み、
(聞く意図は何? 私の無意識は私にどうしてほしいの?)
そして、やはり・・・もしかしたらと不安が頭をもたげた。不安の思考を追わないように香織の質問に雫は答える。
「うちは、両親共に子持ち再婚なんです。父さんの保険金は雫のために使うのが一番良いって、変なところ真面目って言うか律儀って言うのか・・・・・・」
「そう・・・。雫さんは律儀とか自然に使えるのね、本を読むの好き?」
雫の返答に納得した香織が質問を重ねる。
「好きって言うほどでもないですけど、どちらかと言えば読む方かな」
香織が穏やかな笑顔を向けて頷く。
「雫さんを見ていると落ち着いているし受け答えもしっかりしているし、お母さんの真面目さが伝わるようだわ。良いご家庭だったのね」
だったと言う過去形が気になったけれど、それよりも雫は他の事に気が向いていた。
(もしも、私が本当に死んでいるなら・・・・・・)
保険金を使って妹の佳純は希望の高校に入れるだろう。
成績は結構良かったからきっと受験は大丈夫に違いない。雫が着ていた制服を着てくれるならお母さんの負担も少し軽くなる、佳純が嫌でなければの話だが。
そんな事を考えて真実味を帯びる「死」に亡くなった母の顔が浮かんだ。
雫の母が通っていた学校と言うだけでなく、制服にも憧れて決めた高校。雫は自然とブレザーの裾を掴んでいた。心をかすかな切なさが漂い握る手に力がこもる。
(認めたくない、まだ信じたくない。これは夢だ凄く変な夢だ、きっともうすぐ目が覚める)
不安を打ち消す側でひたひたと沸き上がる感情を押し殺し雫は空を見上げた。
「あら、見て。もう日が暮れちゃうのね」
香織の指さす先を見れば夕日が海に落ちていくところだった。空が濃いオレンジ色に輝いている。
(・・・・・・夕日)
海が暗く見えるほどに強烈なオレンジ色が空半分を染め上げている。強い光なのに優しく温かく、雫は見入られたように見つめていた。
「ゆうひ・・・夕日!」
カシャッとシャッターが降りる音を聞いたきがした。
落ち行く太陽の、その景色が変わった。
いや、別の場所で見ていた夕景がオーバーラップして雫の脳裏に鮮明に浮かんだ!
真っ赤な夕日。雫が覚えている空は強烈に赤い夕日だ!
夕日を抱きしめたかった。夕日に飛び込んで包まれたい・・・そんな気持ちでいっぱいだった。
涙がほろほろとこぼれてきて雫は戸惑った。
(なんで泣いてるんだろう)
涙を拭いながらそれでも夕日を見つめ続ける。
高台にある廃アパートから太陽が沈むのを見ていた。
(そうだ、お気に入りのあの場所で見ていた)
学校帰りに立ち寄った。真っ直ぐ家に帰りたくなくて、なんとなく足が向かったのがあのアパート。
どれだけそこに居たのか、じんわりと温かな夕日に照らされて夕暮れだと気づいた。濃いみかん色の空が優しくて目に染みて、もっとじっくり見たいと思った。
アパートの前の家の屋根が邪魔だと思ったのだ。
そう、夕日を満喫したかった。
確か柱に捕まって手摺りに上ったのを覚えている。視界が全て夕日のオレンジ色に染まって嬉しかった。綺麗だと思い溶け込みたいと思った。
優しくて。
温かくて。
懐かしい夕日・・・。
手を差し出したような気がする。
両手を広げて夕日を抱きしめたいと思って・・・・・・。
唐突に視界が闇に支配された。
「雫さん、どうしたの? 大丈夫?」
心配そうな香織の声が聞こえる。雫は首を振って、振り続けながら夕日を見つめていた。
(落ちた・・・!)
雫が最後の最後に見た光景は、日の陰った暗い色のコンクリート。
視界の全面が濃い灰色だと気づく。
「落ちた・・・落ちた・・・? うそ・・・」
そんな馬鹿なことがあるか?
自分に質問を投げかける。
夕日を抱きしめる事なんて出来ない。
(夕日に包まれたい?)
雫は半笑いして目を見開いている。
「高校生にもなって夕日を抱きしめたいとか包まれたいとか、私・・・夕日に向かってダイブした?」
(馬鹿じゃん!)
(私何してんの!? 廃アパートの3階からダイブしたの!?)
私は死んだの???
死体は?
もう誰かが見つけたの?
そのまま誰にも気付かれずに腐っていくの?
家族はどうしているんだろう?
お母さんは?
警察から連絡が行くの?
どんな顔で知らせを受けたんだろう?
嘘だ。
うそだ!
「こんなの嘘だ!!」
ありえない!
死ぬわけがない!
夕日に向かってダイブした?
そんな間抜けな死に方がある!?
「雫さん! 大丈夫? ねぇ、落ち着いて」
「死んでなんかない!!」
香織を払いのけて雫は砂浜へ向かって走り出した。
(夢だ! 夢だ! これは夢、早く目を開けて!!)
否定する雫の脳裏に夕日とコンクリートの映像がパタパタと繰り返し浮かぶ。壊れた投影機が引っかかり行きつ戻りつするように、同じ映像だけが繰り返される。
海へ向かって走る雫が砂に足を取られてバランスを崩し、あっという間に砂浜に突っ伏して・・・痛かった。
「痛い・・・」
砂を握りしめ、握った拳を砂浜に叩きつける。
「痛い! 痛いじゃない!」
狂ったように砂を叩く雫に追いついた香織が雫を助け起こそうと体に手をかけたが、
「触らないでぇ!!」
雫に払いのけられ尻餅を付いた。
香織は助けを求めておろおろと辺りに目を走らせるが、助けに答えてくれそうな人は見あたらなかった。
痛みも握った砂の感触もあるのに死んだなんて雫には納得がいかなかった。たとえ死の間際と思える映像がその目に見えていても。
「ここが天国だなんて、そんな証拠がどこにあるのよ!」
雫の言葉に誰も答えてはくれない。水平線にオレンジ色の線を引いて、静かに夕陽が沈んでいくだけだった。
水平線にわずかな明かりを残して夕陽が落ちていく頃、遠くで子供の声を聞いた。やがて透き通ったその声が近づいてきて、雫達の近くで同じ文句を伝える。
「もうじき川が生まれます。草原を進んで川を渡ってください!」
小学校低学年くらいの少年がしっかりした口調で人々に時を知らせていた。
「川って三途の川の事?」
香織が質問をする声に雫が顔を上げる。
「そうですね、境界にある川を貴方がをそう呼ぶのならそうです」
幼い顔に似合わない大人っぽい口調で少年が答えた。その眼が何かを捉える。
少年の目線を追って香織と雫の目が向いた先に女の人が立っていた。香織が海から現れる少し前に雫の側を歩いて行った女の人だった。
それまでじっとしていた人々が少年の声かけに従ってそれぞれに草原の奥を目指し始める中、彼女だけがゆるゆると海に沿って歩き遠ざかっていくのが見えた。
「雫さん、行きましょうか」
そっと腕をとろうとする香織に雫は首を振った。
「ここはきっと天国の端っこよ。川を渡ってお父さんやお母さんに会いに行きましょう」
雫はなおも首を振って拒んだ。
「1人で行って・・・」
「そんな事できないわ」
「行ってよ!」
少しキツくなった雫の声にもたじろがず香織は側に座っている。
「身の上話を聞いてもらったし雫さんの話しも聞いたわ。もう知らない仲じゃないもの、ほっておけないわ」
香織の優しい声に雫の頬を涙が伝った。
「香織さん成仏してよ」
「あら、成仏なんて言葉も知ってるのね。雫さん凄いわ」
「凄くなんかないよぉ・・・」
また涙がこぼれる。
「雫さんの目から涙の雫がぽろぽろね」
少しおどけて笑いかける香織。彼女の大したことのない駄洒落に泣きながら雫が笑った。
「ふふふ、今泣いたカラスがもう笑った」
「もぉ・・・!」
軽く叩く雫に香織が楽しそうに笑う。
「川は今渡らなきゃ駄目かしら?」
まだ近くを歩いている少年に少し大きめの声で香織が問うた。
「夜明けに川は消えます。また日が暮れれば生まれますよ」
「そう、それなら明日の晩に渡るとしましょうか。もう少し雫さんの側に居たくなっちゃった」
雫を抱き締めて赤子をあやす様に体を揺らしながら香織がそう言った。そんな2人の様子を見つめて少年がじっとしている。
「構いませんが・・・。あまりゆっくりしていると・・・・・・」
何かを躊躇しているような気配に雫と香織が少年を見つめ返す。
「喰われますよ」
少年の口から出るには意外な言葉に雫と香織がぎょっとして目を合わせる。少年に目を戻すと彼の姿はもう消え失せていた。
「喰われるだなんて・・・ねぇ」
黙ったままのふたりを取り残して、人々が草原の奥を目指して歩いて行く。新たに海から上がって来る人も、先を歩く人々に誘われるように草原に足を踏み込んでいった。
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