6話「自殺の定義」

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6話「自殺の定義」

「何で・・・飛び降りたんですか?」  むくれた顔も体も草原へ向けたまま、棘を引っ込めた雫が質問を口にした。 「何で飛び降りたか・・・か」  男は雫の質問を噛むように繰り返して黙り込む。  一旦尖った雫の心はまだ少し波立っていて、黙っている時間に苛立ちを覚えた。しかし、立ち去りたい気持ちを抑えて雫もしばし待つ。 (香織さんならきっと・・・)  質問を投げたまま受け取らずに立ち去ることはしないだろう。相手のテンポに合わせて返って来るのを待つ、香織ならそうするに違いないと思えた。 (香織さん、どうしてるのかなぁ)  既に彼女が懐かしい。  彼女の優しさに救われた。だから、香織から受けた優しさを誰かに届けたいような気がする。この場所では皆静かに黙って一人きりで過ごしているのに、この人は雫に声をかけてきた。彼が2人目だ。  巡り合わせ  そんな言葉が雫の頭に浮かんだ。 「明け方、目を覚ましたら・・・。何故か足がベランダに向かったんだ」  男が話し始めた。抑揚のない声で朗読するように、淡々と。 「まだ暗くて静かな街の風景を見ていたはずなんだが、気付いたら足が柵に掛かってて・・・・・・」  そこまで話して両手で顔を覆う。黙り込んでしまったが泣いてはいないように見えた。絶望か後悔か涙を堪えているのか、身じろぎひとつせずに座っている。 「この所、眠れなかったんだ。 ーーー部活を見なくちゃいけなかったし、生徒が問題を起こして迎えに行ったり保護者と面談したり・・・。課題も作らないといけない、それなのに保護者からのクレームが相次いで、要望が多くて・・・・・・」  手で顔を覆ったまま、ひとつ鼻をすすった。 「大変・・・ですよね」  雫の学校でもそれは日常で、親の姿をよく見かける生徒の顔が浮かんだ。  クレームの内容を聞いて何て馬鹿馬鹿しい事を言っているのかと友達と話したことを思い出す。自分達学生から見ても理不尽な言い分だと思えるクレームが多いと感じた。 「前はもう少し上手くやれてたと思ってた。生徒に目を向ける余裕が少しはあったと感じてたのに・・・埋まらないんだ」  頭を抱える男を黙って見下ろす雫の目に、男の姿が小さく映った。  大人は大きい、強くて大きな壁のように感じていた。それなのに、目の前の男はどうだ? 大人ではなく・・・1人の人間に見えた。 「頑張っても学生との距離が埋まらない。クラスも部活の生徒も遠く感じる・・・頑張っても頑張ってもやるべき事がどんどん増えていくんだ」 (真面目な人なんだな)  雫は父親を見るようで切ない思いに駆られた。  頑張り屋で真面目で一生懸命な人だった。病気になっても家族のために笑顔を作って冗談言って、頑張る父親のために雫も母親も頑張って明るくしてた日々。 「自分の子供には何もしてやれなかった。運動会も父兄参観も行けなかった・・・、いつも他人の子供の事で手一杯いで・・・・・・」  ぼろぼろとこぼれる涙を拭い目頭を押さえて、男は必死に堪える。  寝顔ばかり見て、最近では我が子の笑顔すら見ていなかった。今までも子供の成長に深く関われずにいたのに、これからの成長は見ることすら出来なくなってしまったことが悔やまれる。  教師という仕事は好きな方だったし、頑張ればきっと良くなると思ってきた。頑張れば頑張っただけより良い結果が得られると信じて頑張ってきた・・・のに。 「自殺するなんてなぁ・・・」  涙声で笑う男を雫はただ見つめていた。  病室のベッドに腰掛けて外をじっと見つめていた父親の後ろ姿とだぶる。泣いてはいなかったけれど、返事をしたその声がかすかに涙声だったことが思い出された。 「気付かないうちに鬱にでもなってたのかなぁ・・・・・・。おい、泣くなよ」  雫を見上げた男が慌てて立ち上がる。 「悪かったな、愚痴が過ぎた」 「泣いてないから」  ぐいっと頬を拭って雫はそっぽを向く。 「もっと前に奥さんにでも愚痴れば良かったんだよ」  怒ったような雫の声に、男はばつが悪そうに肩をすくめて頷いてみせる。 「そうだな」 「たまには少し手を抜いて、自分のための時間を持てば良かったのにッ」  それは雫が父親に言いたかった言葉だった。 「そうだよな、それが出来たらこんな事にならなかったかもしれないな」  男が明るく笑う。 「だから頑張らなくていいったら!」 「もう、頑張ってないよ」  そう言う男の目から一粒涙が流れ、片手で拭ってまた笑う。 「海、潜ったら家族が見えるよ。やってみたら?」  少し投げ捨てるように言って、雫は初めて男の人と目を合わせた。 「それで潜ってたんだね」  男が納得して笑顔で頷く。  じたばたと潜っては浮かび上がる自分の姿を見られていたのかと思うと恥ずかしい。 「あぁぁぁーーーーッッ!!!」  ビクリとした。  突然の雄叫びに男と雫の目が声の主を探す。 「死んだ! 僕は死んだぁ!」  中学生か高校生くらいの男子が自分の首に押し当てていた握り拳を突き上げてそう叫んでいた。 「やったー・・・あぁ、あああ。 僕は・・・死ん、だ。やった、やっ・・・・・・」  苦しそうな泣き顔で、言葉とは裏腹に悲しそうに彼は海の中に立っていた。  言葉が途切れ束の間の静寂の後、突き上げられた両拳が海面に叩きつけられた。怒りをまき散らして海を叩き喚いているのが見える。 「馬鹿やろう! 許さない! くそぉっ!!」  水を叩くほどに跳ね返る滴が顔を叩く。 「もっと生きたかったのにッ!! もっと! もっとッ・・・・・・!」  怒りと悔しさと情けなさが渦巻いてバシャバシャと無闇やたらに水を叩く。泣き喚く男子の横にいつの間にか教師の男が駆けつけて浜に引き上げようとしているのが見えた。 「自殺したんだ・・・」  あの様子から察するに首吊りかもしれないと雫は思う。 「ここら辺は自殺者が多く寄せられる所だからね」  ふいに背後から子供の声が聞こえてきて驚き振り返ると、少し離れた後方に時を告げる男の子が立っていた。いつからそこにいたのか・・・。 「私、自殺なんてしてない」 「高い所からコンクリートへ飛び込むのをそう呼ばないの?」  責める風でもなく子供らしい幼気(いたいけ)な眼差しで見上げてくる。 (なによ、子供らしい顔しちゃって) 「足を、滑らせたの」 「ふぅん・・・足を滑らせると随分建物から離れた位置に落ちるんだね」 (鑑識か何かなの!?)  見ていた風な物言いに雫は何も言い返せなかった。実際、この男の子は全て知っているのかもしれないと思えた。 「香織さんは自殺じゃなくて病気で死んだのよ」  男の子から直ぐに返答が無く、雫は海に目を戻した。 「彼女は延命治療を望まなかった」 「だから!? それは自殺じゃないでしょ」 「自分で選んだ事だよ」 「尊厳死って言うんじゃないの!?」  怒鳴る雫を男の子がじっと見上げる。 「それも自殺だよ」 「何? じゃ、管を沢山付けてベッドに縛られて、迷惑かけてるって思いながら生き続ければ良かったの!?」  ベッドに力なく横たわり酸素吸入や点滴などの管を這わせた父親の姿が浮かんだ。 『すまない・・・』  父親のか細い声が耳の奥で聞こえて、香織の事を自殺だと言われる事が飲み込めなくて雫はまくし立てた。 「あれは自殺なんかじゃない!」  家族がいたから父親は頑張らざるおえなかったのだろうか。香織と同じ死を選んでいたら父親のしたかった事をする時間を持てただろうか・・・。頑張ることも頑張りの区切りを決めるのもどちらも否定されたくない思いが雫の握り拳を震わせた。  怒って見下ろす雫を男の子が真っ直ぐ見つめ返し、しばらく見つめ合ったまま立っていた。唐突に男の子が目を外し海へと歩き始めて、雫は黙って見送った。  男の子は真っ直ぐ海に向かい、そのまま海へと入っていく。 「ち、ちょっと。何してるの?」  学生と教師の横を過ぎて雫が男の子の後を追う。  波打ち際で立ち止まり何をするのかと様子をうかがっていると、男の子の前にぷっくりと何かが浮かび上がるのが見えた。  それは赤ちゃんだった。  見慣れてはいなかったけれど、赤ちゃんにしては随分小さく見える。  抱っこしてこちらへ引き返して来た男の子が途中で赤ちゃんをそっと下ろした。足を地に着けた赤ちゃんがよちよちと歩きだし雫達はその光景を釘付けになって見ていた。そして、赤ちゃんが見る見るうちに2歳か3歳位の姿に成長していく事に呆気にとられる。  指しゃぶりする赤ちゃんを連れて戻って来た男の子が雫を見上げて言った。 「この子もここでは自殺の大枠に収まるんだよ」  赤ちゃんが自殺などするわけがない。雫は男の子を睨んで「悪い子ね!」と言うように見つめ返した。 「この子は母親に病気を知らせるために宿ったんだよ。最初から生まれない事、死ぬ事を知っていて宿ったんだ」 「こんなチビにお説教されるなんて・・・」  そっぽを向いた学生がふてくされた声で言う。男の子はそんな彼を見つめて、その小さな掌を彼に向けた。 「何だよッ」  男の子は尖る学生から雫へと掌を向ける。 「アポトーシスって聞いた事ある?」  教師だけが知っている様だった。 「最初、掌は水掻きのついた丸い板のような形をしている。指と指の間の細胞が自ら死ぬ事によって指が出来るんだよ。君たちの居た世界では自然に消滅する・・・と言うようだけどね」  男の子が雫と学生を交互に見て話を続ける。 「人を思う死もある、自殺はただ単なる死に方の項目のひとつにすぎない」  どんな理由があっても、本人が自分で選んだ死は自殺だと言いたいのだ。 「日が落ちたら川が生まれます。草原の向こうの川を渡ってください」  まだ日が落ちるまでに時間があるのに、男の子が雫に向かってお決まりの台詞を言って歩き出した。赤ちゃんの手を引いてゆっくり、ゆっくりと。
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