9話「イレギュラー」

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9話「イレギュラー」

 黙り込む男子学生の近くで雫も黙って立っていた。 「あのさぁ、戻れない? 生き返る方法知ってたら教えてよ」  ふいに顔を上げた彼が雫に問いかける。彼は困っている様子だったが悲しんでいるようには見えなかった。 「知ってたら・・・私、ここにいないよ」 「・・・あぁ、そうかぁ。そうだよなーー」  彼は髪の毛を両手でクシャクシャとかき混ぜて酷い寝癖みたいにした後に肩を落とした。雫は海を見つめて途方に暮れている彼を目の端で捉えたまま変わりのない風景を眺めていた。 「失敗した・・・」  しばらくして彼がぽつりと言った。 「今頃、1限目終わる頃かな」  頬杖をつく彼の髪を潮風が揺らしている。  ここはいつも良い天気だ。死者の気持ちなど我知らずとのんきな雲が青空を流れて行く。 「俺が死んだって・・・皆もう知ってるのかな? そろそろ学校に連絡行ってても良い頃だよな。鞄持ってたし学生証見たらまず先に母さんに連絡が行くんかなぁ・・・・・・ショックで学校に連絡し忘れてるかもしれないな」  雫は夕日を見るまでそんな事考えもしなかった。 (何でこの人はすぐ自分が死んだ瞬間を思い出せるんだろう? 私はけっこうかかったのに、香織さんの言葉も直ぐには信じられなかったのに) 「何で私の言葉を信じられるの?」  雫の質問に彼はきょとんと見返す。 「何でって・・・・・・」 「家族が泣いてるのを見た?」 「いや」 「自分の葬式を見た?」 「まさか! 葬式はいくらなんでも早すぎでしょ。救急車で運ばれて病院にいるんじゃない? 霊安室とか?」 「じゃあ何で信じるの!? 私が嘘ついてるかもしれないよ」 「嘘ついてるの?」  真っ直ぐ見つめ返す彼の目があまりに澄んでいて、見続けることが出来ずに雫は目をそらした。 「ついてないけど・・・!」  雫が地団太を踏む。説明するには長すぎるが伝わらない事ももどかしい。 「自分の死体は見たの?」 「見てないよ」 「ここが天国だって言われて何ですぐ信じられるのよッ」 「見てないよ、自分の死体なんか見てないけどッ・・・。 ーーー目の前が、視界の全部が車になるくらい迫ってきてたんだ」  彼は目に見えた光景を伝えようと大きく両手を広げ体を使って雫に見せる。 「生きてますって、無傷で生きてますって言われる方が『嘘だろ!?』って思うくらいヤバい状況だって実感があるんだよ!」 (実感・・・・・・)  雫は実感しているかと自分に問いかけた。あの映像を見れば落ちたのだと分かる。陰った暗い色のコンクリートの地面が迫ってくるあの光景、速度。 (・・・で?)  ぷつりと記憶が途切れている。死んだからか地面に着く直前に目を閉じたからなのか・・・・・・。 「車にはねられた後は・・・? 何か、覚えてる?」  雫の質問にちょっと間があって、 「青空を見上げてた。だんだん周りから黒い染みが広がってきて、うるさく聞こえていた周りの音がだんだん遠ざかって・・・・・・。後は覚えてないな・・・」  彼は首を振りながら苦笑いをして俯いた。  雫は迫るコンクリートから真っ暗になった後は何も覚えていない、何故かといぶかしむ。 「ドジった・・・。でも、あの子が助かってたら表彰もんだ。少しは母さんの救いになるかなぁ・・・」  鼻で笑ってまた座り込んだ。投げ出した足の間の砂をすくってさらさらと落としては同じ事を繰り返す。 「家、母子家庭でさ・・・。妹と少し年が離れてて小学生なんだよ。小さい頃はお兄ちゃんお兄ちゃんって、俺の後ついてきて可愛かったなー」  しばし黙った。 「最近生意気になってきてたんだけど、ちゃんと母さんの手助け・・・出来るかな・・・・・・」  彼がそう言って掌で顔をひと撫でするのが見えた。立っている雫からは見えなかったがきっと泣いているのだろうと察する。  雫が聞いているか聞いていないかなんて大したことではない。皆、ここに来ると自分の事を語りたくなるものなんだ。泣いてどうなると言う事でもないけれど、話して泣いて心が落ち着く事を雫は知っている。  香織のように彼を抱きしめることには抵抗があったが、こうやって側にいて彼の語りを聞くとはなしに聞いていることもきっと意味があると思えた。 (私も家族がどうしてるかと考えた・・・、ほとんど同じだと思う。これで彼が渡れなければ理由が分かる気がする。でも・・・・・・もしも彼が渡れたら・・・)  何故渡れないか糸口が見つかりそうな気がする。そして、彼が渡れなかったらここでさまよう人間は自分一人ではなくなる。そう思うと雫はわずかな心の支えを見つけたような気がしていた。 「私も母子家庭よ。まだ、1年経ってないけど・・・」 「離婚?」  口を真一文字にして雫が首を振るのを見て男子学生は黙った。単身赴任と言わないところをみると残る答えはひとつかと見当をつける。 「・・・お母さん、辛いだろうね」  立ち上がった彼は体の砂を払いながらそう言った。 「死んだ事、納得いってないの?」 「納得いってないわけじゃないけど・・・ちょっと、問題があって」 「問題?」  川の事をどう説明したらいいだろうかと少し迷う。 「三途の川って知ってる?」 「ああ、あれでしょ。渡らずに戻ったら生き返れる境目の川」  まずまずの答えに雫が頷く。 「まぁ・・・細かい説明は後にするけど、私だけ川を渡れないの」 「まさか、渡し船の船頭にお金渡さないといけないの? どうしよう、俺もお金持ってないよ。スマホ鞄の中に入れてたーー!」  ポケットを探ってスマホを持っていないことを確認すると彼は頭を抱え、その直後に「あれ?」と動きを止めた。 「天国ってキャッシュレス決済やってんのかなぁ?」  雫と目と目が合ってしばし見つめ合い、同時にぷっと吹いて笑い出した。 「そんな訳ないでしょ、お金の問題じゃないよぉーー」 「だよなぁ」  腹を抱えて笑った。馬鹿みたいに笑っていた。  心の隅で、彼も他の死者と同じようにすんなり渡って行ったらどうしよう・・・という不安が頭をもたげて、雫の心を少し切ない気持ちが刺した。  次の会話が見つからず笑いも落ち着いて、ふたりで海を見ていた。ここは夜になるまで何もすることのない場所だ。  不意に彼が空を指さした。 「あれ、何だろう?」  空が歪んでいる。いや、空ほど高いところではない場所、空間が歪んでいるのだと分かって注視する。  キュイーーーーーンンン・・・  金属的な音が聞こえてきて、だんだんと強さを増していく。不快な音に両手で耳を押さえながら何が起こるかと見つめていた。  割れた空間から虹色の光が漏れ出て、人が生まれた。  ぼとりと海の上に人を産み落として歪んだ空間はふつりと消えてしまった。見つめる海面に上がってくるはずの人の姿が見えず、雫と男子学生が落ち着かなげに目を合わせた。 「どうしよう」  雫がそう言ったのとほぼ同時に彼は海へ走りだしていた。バシャバシャと水を跳ね上げて海に入った彼がそのまま潜っていくのが見える。  波打ち際まで後を追ってきた雫はおろおろと海を見て立っていた。それ程経たずに同じ年頃の男子に肩を貸して彼が海から上がって来くるのが見えてほっとする。  げほげほと水を吐いて息を付いて浜に大の字になった男子は変わった服を着ていた。 (なんだか中世のヨーロッパ辺りの服みたいな・・・)  じろじろと見る雫とは正反対に、助けた男子が声をかける。 「大丈夫? 俺、奏汰(かなた)。君は?」 (奏汰って言うんだ・・・)  今まで一緒だった男子の名前を今知って、心の中で雫が呟く。  古そうな服を着た男子は奏汰の質問には答えず、助けられた礼も言わない。身を起こし眉間にしわを寄せて回りを観察している。 「私は雫って言うの、貴方の名前は? 言葉、分かる?」  雫の質問が気に入らなかったのか、見上げた男子が雫を睨んだ。 「当たり前だろ、どう見たって同じ日本人だろ?」 「いやー・・・ちょっと変わった格好してるよ、君」  少しおどけた感じで言った奏汰も睨んで彼は立ち上がった。そして自分の右手を見つめ、右腕を撫でてそっと微笑んだ。 「俺は悠斗。ここ何処?」  ほんの少し顎を上げて、どことなく命令するような口調が気になる。 「天国よ」 「天国!? ハッ! やっと天国か。日本で死んでも他の所で死んでも行き着く天国は同じなんだな」  悠斗はどうみても苛ついている。 「女は嫌いだ。女の側をチョロチョロする奴も嫌いだ! とっとと失せろ」  言葉遣いから受ける印象と悠斗の姿はだいぶ違った。こんな物言いをしそうな感じではないのに、何が彼をそんな風にしているのだろうかと雫は悠斗を観察する。  雫と奏汰は目を合わせ呆れ顔で悠斗の背を見つめ、2人の目が悠斗のお尻の辺りで止まった。 「・・・ねぇ、あれって」 「尻尾?」  悠斗のお尻に、鈍い銀色の鱗に覆われた尻尾が生えていた。よくよく見てみれば悠斗の手の爪がやたらに伸びているのも分かった。  雫達と同じ日本人と本人は言っていたが、何やら様子がおかしい。雫と奏汰は何となく体を寄せ合って横並びに立って悠斗を見ていた。 『イレギュラーな者がいつまでも居ると、別なイレギュラーが起こってしまう』  夕暮れに現れる男の子の言葉を思い出して雫は何となく胸のざわつきを覚えた。
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