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「叔母さんが捨てたお菓子とかオモチャを、家に戻す……?」
淳の口から語られた言葉に、さつきは思わず航夜と顔を見合わせた。
「ねえお兄ちゃん、絵本はいつ返してくれるの?」
気が緩んだのか、すっかり打ち解けた様子で淳が無邪気に尋ねる。
「それは……もう少し様子を見ないと分からないし、君のお母さんにも相談しないと」
航夜が少し困った顔をしつつもハッキリ言うと、淳の顔にあからさまな落胆が浮かんだ。
「そうなんだ」
「淳くん。その《ぼたん》っていう子はどんなお友達? 教えてくれないかな」
話が逸れそうなのを察したさつきが、少し慎重に言葉を選んで尋ねる。
すると淳はハッとした表情になり、あわてて口をつぐんだ。
「……あのね、ほかの人には言っちゃダメなの。ひみつだから」
航夜の目にほんの一瞬、険しい色が浮かぶ。
「それは《ぼたん》に言うなと言われたから?」
「…………」
すかさず追及されるも、淳は肯定も否定もせず、気まずそうに黙り込む。
それから二人が何を尋ねても生返事をするだけで、少年は「ぼたん」について何一つ話そうとしなかった。
航夜はやむなくさつきの叔母と珠代を客間に呼び戻す。
怪異の原因を探ってはどうかと提案する航夜に対し、依頼人であるさつきの叔母は、とにかく絵本さえ家に戻って来なくなればおかしなことも起きなくなるはずだと主張した。
奇妙なことが家の中で起き始めたのは、捨てた絵本が家に戻って来るようになったのと同時期だった。
だから絵本が全ての元凶だというのが、彼女の言い分だった。
最終的に航夜が折れ、淳の絵本を預かって怪異が起きないか様子を見るという形で依頼がまとまる。
四人の来客が辻堂邸を後にする頃には時刻は四時を回り、うだるような日中の暑さも少しずつなりを潜め、心地よい風が吹きはじめていた。
「お預かりいただいた後は処分ということで、よろしくお願いします」
帰り際、さつきの叔母は先に淳を車に乗せると、声をひそめて航夜に言う。
「よろしいのでしょうか。先ほどもお話ししましたが、あの絵本は忌み物ではありません。ご自宅で起きる怪奇現象には、他に何らかの原因があると思われます。それに息子さんは、絵本を戻してほしいと思っているようですが……」
航夜が尋ねると、叔母は後部座席の窓から見える息子の顔をちらりと横目で見遣る。その目元に、濃い疲労の影が浮かんでいることに航夜は気付いた。
「いいんです。正直、手元に置いておくのも気味が悪いですし。淳がどうしてもと言うなら、新しく買って与えますから」
きっぱりと言い切られ、航夜は口を噤む。それ以上の詮索はせず、「わかりました」と頷いた。
「ところで多和田さん。ぼたん、という名前にお心当たりはありませんか」
綾はかすかに眉間に皺を寄せた。
「……淳が何か言っていましたか?」
「息子さんは《ぼたん》が家に絵本を届けてくれると言っていました。ただ、その《ぼたん》が何なのかは教えてくれなかったので」
航夜がそう告げた瞬間、彼女はかすかに顔を歪めた。
「ぼたんというのは、少し前までうちで飼っていた猫の名前です」
「猫、ですか。それはお預かりした絵本の猫と、よく似ているような?」
表紙に描かれた灰色の猫を思い出し、航夜は尋ねる。
「似てはいないです。ぼたんは三毛猫なので。元は野良で、淳が拾ってきたんです。老猫だったので、飼っていたのはほんの二年ほどでした。去年の春、車に轢かれて死んでしまって……」
そこで言葉を区切ると、さつきの叔母は自分を落ち着けるように大きく息を吸って吐く。
夏風が吹きぬけ、門のすぐ隣に植えられた柳や、駐車場をぐるりと囲む生け垣の枝葉をさわさわと鳴らした。
風に乗って、町中から祭囃子がかすかに聞こえてくる。
そういえば今日から夏祭りだったなと、航夜はふと思った。
「淳は動物が好きな子ですから、まだ飼い猫の死と上手く折り合いがつけられないみたいで。私たちも仕事が忙しくてあまり構ってあげられず、寂しい思いをさせているせいだと思うんですが」
自嘲交じりに語るさつきの叔母に、航夜は黙って耳を傾ける。
「お恥ずかしい話ですが、息子はちょっと空想癖というか、頭の中で話し相手を作って、誰もいないところで一人遊びをする癖があるんです」
助手席に座る珠代が、車の窓から心配そうに航夜と綾を窺っていた。
「子供の言うことですし、気にしないでください。それでは、ありがとうございました」
それ以上の詮索を遠回しに拒むように、早口で言って一礼する。
そくささと踵を返し、運転席に乗り込む依頼人の後ろ姿を、辻堂家の若き当主はどこか釈然としない心持ちで見送った。
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