第一章 辻堂さんちのあずかり処

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「このたびは急なことをお願いしてすみません、柚野さん。お世話になります」  夏物の白いパンツスーツを身にまとった細身の女性が、玄関先で深々と頭を下げる。女性の後ろに立っていた7、8歳頃の小柄な少年も、母親にならってぺこりと一礼した。 「いらっしゃい綾さん。遠いところからはるばる、よう来てくれたねえ」  対する珠代はにこやかに来客を出迎えた。  さつきの叔母が息子を振り返る。 「ほら、淳もご挨拶して」 「……こんにちは」  母親に促され、淳はおずおずと口を開いた。 「どうぞ、あがってちょうだい。淳くんも疲れたでしょう。冷凍庫にアイスがあるから、好きなのを」 「あ、大丈夫です。おやつはさっき食べさせたので。それに……」  珠代の申し入れを、さつきの叔母がやんわりと辞する。 「添加物や精製された砂糖が入っているお菓子は、あまり食べさせないようにしているんです」  わずかに言いよどんでから、申し訳なさそうに断りを入れた。  少し面食らったが、珠代はすかさず顔に笑みを浮かべる。 「そうやったの。じゃあ、お茶だけにしておきましょうか」 「すみません、お気遣いいただいたのに」 「気にしないで綾さん。さ、あがってちょうだい」  あくまでにこやかに二人を客間へ案内し、あらかじめ用意しておいた茶菓子は控え、冷茶を出すだけにとどめた。  さつきにとっては父方の叔母でも、珠代にとっては娘婿の妹という、遠縁と言うほど離れてはいないが、決して身近でもない間柄にあたる相手だ。  最近の若い人は健康意識が高いのだと自分を納得させつつも、珠代は目の前に座る女性をちらりと窺う。 「名古屋からここまで遠かったでしょう。淳くんはもう夏休み?」  麦茶で満たしたグラスを親子の前に並べながら、世間話を振った。  淳がこくりと頷き、隣に座る母親が口を挟む。 「そうなんです。ちょうど先週末に終業式があって」 「あら、さつきの高校と一緒やねえ」  親子は喉が渇いていたのか、麦茶を残らず飲み干した。潔癖症だと聞いていたため、手をつけてもらえなかいかと思っていた珠枝はホッとする。 「こちらは山が近いから、真夏でも涼しくていいですね」  さつきの叔母は湯呑みを茶たくに置き、縁側の掃き出し窓から見える山々を見上げた。  そんな綾の姿は一見、玉枝の目にはしっかりとした三十代の女性に映った。  珠代が振った話にもそこそこ人当たりのよい対応が返ってくるし、愛想が悪いわけでもない。しわのないスーツや濃すぎず薄すぎない化粧、ゆるくパーマのかかった栗色の髪も手入れが行き届いている。  だが身なりをきちんと整えていても、やつれた雰囲気は隠しきれていなかった。目元をうっすらとふちどる青いくまや、少し荒れた肌を分厚くカバーするファンデーション。辻堂家を訪れるのはまだ一時間近くあとの予定なのに、先ほどから彼女は左手首にはめた腕時計にちらちらと視線を落とす。  それ以上に珠代が気になるのは、彼女の息子への過保護さだった。  淳に話しかけても、答えるのは本人ではなく母親の綾ばかりだ。  麦茶のおかわりを尋ねようとしたところで、玄関の扉がガラリと音を立てて開く。 「ただいまー」  さつきの声が響き渡り、ほどなくして本人が客間に顔を出した。部活帰りだったため、学校の制服に身を包んでいる。 「おかえんなさい」 「こんにちは、さつきちゃん」  さつきはスポーツバッグを肩にかけ直し、来客二人に向かってにこりと笑った。 「おばさん、お久しぶり。淳くんも大きくなったねえ。私のこと覚えてる?」  しゃがんで目線を合わせるさつきに、淳は不思議そうに首をかしげる。 「……さつきちゃん?」 「おっ、覚えててくれたんだ。前会った時は、まだ淳くんが二歳の時だったのに」 「ううん、ママから聞いたの」  おずおずと答える淳の頭を、さつきがよしよしと撫でる。あどけない丸顔に、くすぐったそうな笑みが浮かんだ。 「そっか、ちゃんと予習してきたんだ。えらいぞー。今、何歳だっけ」 「七歳。九月で八歳」  子供たちのやりとりに、大人二人の間に流れていた緊張もわずかにゆるむ。  さつきが自分の部屋で私服に着替えて客間に戻ると、珠代は壁掛け時計をちらりと確認して立ち上がった。 「それじゃ綾さん、少し早いけど、ぼちぼち出ましょうか」
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