第二章 絵本と神隠し

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第二章 絵本と神隠し

「じゃあ辻堂さんのお屋敷に行って来るからね。ちゃんと淳くんの面倒見るんだよ」 「はーい」  珠代に念を押され、さつきが気の抜けた返事を返す。  叔母は少し緊張した面持ちでブラウスの襟元や髪を直し、息子を振り返った。 「淳、さつきちゃんの言うこと聞いて、お利口にしてるのよ」 「……ママ。ぼたんの絵本、捨てちゃうの?」  淳がおずおずと母親を見上げる。  さつきの叔母の目にほんの一瞬、息子を咎めるような剣呑な光が浮かんだ。  それに気づいた珠代は、よけいな世話かと思ったが口を出す。 「捨てるんじゃないよ、預かってもらうんだよ」 「あずかってもらう?」 「そうだよ。ちょっと時間がかかるけど、お祓いをしてもらって、しばらく様子を見て、ママや淳くんが持っていても大丈夫になったら返してもらえるからね」  腰をかがめて少年と目線を合わせ、噛んで含めるように言い聞かせる。  淳は納得したのかそうでないのか、なんとも言えない表情を浮かべた。  辻堂家の「あずかり処」に預けた「忌み物」を手放すか否かは、よほど危険なケースを除いて依頼人や所有者の意思に委ねられている。  怖い思いをしたから、害があろうがなかろうが預けた品物を手元に置きたくない人もいれば、身内や親しい人の形見や所有者が思い入れのある物は、お祓いによって無害化したら返してほしいと願う人もいる。  所有者が手放した物は辻堂家が保管するか、場合によっては航夜自身、あるいは彼が他の寺や神社に依頼し、焚き上げ供養を行う。 「……柚野さんの言う通りだからね、淳。ちゃんとお利口でお勉強してたら、返してもらえるよ」  淳が頷くと叔母は運転席に乗り込み、車をゆっくりと発進させる。。  二人を見送り、さつきは淳とともに家の中に戻った。 「よーし、何して遊ぼっか。テレビでも見る?」  さつきが尋ねると、淳はおずおずと首を横に振った。 「ぼく、宿題やらないと」  持参したリュックサックから問題集を取り出す従弟に、さつきは素直に感心する。 「えらいなあ淳くん。私も宿題やろっかな……」  居間のテーブルで向かい合って座り、二人はそれぞれ問題集を広げる。  こつこつと問題を解いてゆく淳に対し、さつきは数学の課題の答えをノートに丸写ししていたが、二十分も経つ頃には彼女の集中力は早くも途切れ始めた。  三十分が経過したのを見計らい、さつきは「休憩」と口実をつけて淳に話しかける。 「淳くんたち、今日は泊まってくの? 夜は花火大会があるよ」  淳は問題集から顔を上げ、鉛筆を止めた。 「お祭り?」 「うん。屋台もたくさん出るよ」  屋台という言葉に、淳の目がわずかに輝いた。  しっかりしているように見えてまだまだ小さな子供なのだと、さつきが微笑ましく思ったのも束の間、あどけない顔がわずかに(かげ)る。 「でも……夕方には帰らなきゃいけないんだ。明日から塾の夏休みコースがはじまるから」  思いもよらない答えに、さつきは目を瞬かせた。 「淳くん今、小二だよね? もう塾に入ってるの?」  さつきの言葉に、淳はきょとんと小首をかしげた。 「幼稚園の時から行ってるよ?」 「えっ、すごい」  英才教育だと感心するさつきに、淳は再び表情を曇らせる。 「ぜんぜんすごくないよ。ぼく、第一志望の学校、落ちちゃったもん」 「第一志望?」 「……東祥第一学園っていうところ」  それは勉強嫌いなさつきでも名前を知っている、有名な名門私立の進学校だった。  にわかに気落ちした従弟に、さつきは焦る。  おおよそ受験戦争とは縁がない生活を送ってきた自分がどう声をかけたものか、上手い言葉が見つからない。  散々迷った挙句、彼女の口から出てきたのは 「受験って……なんか、大変だねえ」  という励ましとも慰めともつかない、感想のようなコメントだった。  淳は「うん」と曖昧に頷き、問題集へと視線を戻す。  それきり二人の間に、気詰まりな沈黙が落ちた。ページをめくる音や鉛筆の音、修理したばかりのエアコンの排気音、外から聞こえるセミの声が、しんと静まり返った居間に響く。  しかし叔母たちが家を出て一時間ほど経った頃、さつきのスマホが着信音を鳴らす。 すかさず着信画面を確かめると、幼馴染からかかってきた電話だった。 「航夜?」 「さつき。お前、依頼人の子供と一緒にいるんだよな。その子、うちまで連れてきてくれないか?」
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