第二章 絵本と神隠し

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「お待たせしました、坊ちゃん」  松の木が描かれた襖を、珠代がすっと開く。  廊下側に座るさつきの叔母と、客間の奥で正座する航夜。黒い座卓を挟んで向かい合う両者の間に、件の絵本が置かれていた。  さつきは多和田親子の斜め後ろに、祖母と二人で並んで腰を下ろした。  座卓の真ん中に置かれた絵本を、ひっそりと盗み見る。  それは一見、普通の絵本に見えた。  文庫本より少し大きいサイズの、英語で書かれた絵本だ。  表紙には満月の夜を背景にずんぐりとした体躯と青い瞳をもつ灰色の猫が描かれ、金色の箔押しで『moonlit night』とタイトルが銘打たれている。  ずいぶんと読み込まれているようで、ページはよれ、表紙カバーに折れ筋やシミがついていたり、破れていたりする箇所がところどころ目立った。 「この子が、息子さんの」  母親の隣に座った淳に、航夜がついと目線を移す。 「はい、息子の淳です」 「初めまして。君の絵本をお預かりする、辻堂航夜と申します」  折り目正しい挨拶とともに座ったまま一礼され、淳はそわそわと落ち着かない様子で母親の顔を見上げた。 「ほら、淳もきちんとご挨拶しなさい」 「ええと、多和田淳です。よろしくおねがいします」  母親に促され、おずおずと航夜を真似て頭を下げる。  不慣れな所作で顔を上げる少年を、航夜はしばらく無言で見つめた。  まっすぐ自分を見据える視線を避けるように、淳は居心地が悪そうにうつむく。 「……多和田さん。この子と少し、二人で話をさせてもらえませんか。心配でしたらさつきにも同席してもらいますので」  少し迷うそぶりを見せたが、叔母は珠代と一緒に隣の部屋に移った。  襖が閉まると、航夜は正座していた足を崩し、さつきに向き直る。 「悪かったな。暑い中、わざわざ呼び出して」 「ううん、別にいいけど」  続いて見るからに緊張気味に、体を縮こまらせている幼い少年へと視線を戻した。 「多和田淳くん。君は他の人には見えない《何か》とお話ができるそうだね。何とお喋りできるのか、教えてくれないかな」 「え……」  するりと本題を切り出され、淳は母親譲りのつぶらな瞳をぱちぱちと瞬かせる。  だが次第に、七歳の少年のあどけない顔に警戒の色が浮かんだ。 「大丈夫だよ、淳くん。この人ちょっととっつきにくい顔してるけど、見た目ほどきつくないから」  さつきがあわててフォローを入れる。 「おい、誰がとっつきにくい顔だ」 「それにね、このお兄ちゃんも淳くんと同じように、他の人の目には見えないものが見えるんだよ」  不服そうな航夜のぼやきを黙殺して続けると、淳は少し驚いたようにさつき見上げた。 「本当? このお兄ちゃんにも、ぼたんが見えるの?」 「ぼたん? もしかしてその《ぼたん》が君の家まで、この絵本を持ってくるのかな?」  航夜の問いに、淳は「うん!」と声を弾ませる。 「このちょっと前までいなかったけど、戻って来てくれたんだ。この絵本だけじゃないよ。ママが捨てちゃうお菓子やオモチャだって、こっそり届けてくれるんだ」
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