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なにせ、リーゼロッテには王命によって決められた婚約者がいた。王命は、貴族にとって絶対である。そもそも、王子のお見合いパーティーに呼ばれたこと自体が謎である。
不安だが、ここまできたらやりきるしかない。
(まあ、何かやらかして、王子殿下の目にとまったりすれば、それこそラノベ的な展開だけれど)
そんなことを思っていると、庭園に続くテラスの扉が開かれ、令嬢たちを中庭へと促す声が聞こえてきた。気の早い令嬢と母親たちは、我先に王妃の庭園へと向かっていく。
リーゼロッテはみじろぎもせず、椅子に浅く腰かけたまま、そんな令嬢たちを見送っていた。とうとう最後の令嬢となったリーゼロッテは、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
もったいぶっているのではない。転ばないように、最大の注意を払った結果、自ずとそうなるのだ。
(慎重に、慎重に……)
見る人が見ればイラつくような緩慢な足取りで、リーゼロッテは一歩また一歩と、庭園の入口へと歩を進めた。
控えの間の中をゆっくりと進むリーゼロッテを、他家の侍女のひとりが目で追っていた。そして、小さく悲鳴を上げる。それに気づかないふりをして、リーゼロッテはゆっくりとその侍女の横を通り過ぎた。
なぜか、リーゼロッテは他人から、主に使用人であるが、このような反応をされることが時折あった。
「もしや、あれが……悪魔の令嬢……?」
ぶるぶると震えながら、他家の侍女が真っ青な顔でつぶやいた。
そんなつぶやきを察知したエラが、リーゼロッテと震える侍女の間に入り込む。キッとその侍女をひと睨みすると、エラは最愛の主人であるリーゼロッテの後を追った。
侍女たちは庭園までついていくことはできないため、エラは控えの間で待機しなくてはならない。
「リーゼロッテお嬢様」
今にも泣き出しそうな心配顔のエラをゆっくりと振り返り、リーゼロッテはこくりとうなずいて見せた。そして、先ほどと同じ儚げな笑みを残して、ようやく庭園へと足を踏み入れる。
(まぶしいわ……)
何年かぶりの直射日光に、リーゼロッテは宝石のような緑の瞳をそっと細めた。
王妃の庭園は、薔薇を中心に色鮮やかな花々が咲き誇る、それは美しい庭だった。
(これを見られただけで、ここに来たかいがあったわ)
頬にあたる風が心地よい。風を直に感じるのも、久しぶりのことであった。
庭園の奥にはパラソルのついた白い円卓がいくつか並べられていて、その先をみやると、令嬢たちが列を作って、ひとりひとり順番に王妃に挨拶をしているところが目に入った。
そこを目指して庭園を進む。それにしても広い庭だ。
通り過ぎざま、脇に飾られていた水瓶を持った女性のオブジェが、何の前触れもなくゴトンと倒れた。リーゼロッテが進むに合わせて、その先の小鹿のオブジェの足がぽきりと折れ、同じようにゴトンと倒れた。
ゴトン、ガタン、バキンッ……
進むにつれて両脇で何がしかが壊れたり傾いたりしている。リーゼロッテは、音のする方から顔をそむけた。
(見たら負けだわ)
最後にパリンと何かが割れる音がしたが、リーゼロッテは、あれはわたしのせいじゃないと自分に言い聞かせて、何食わぬ顔で通りすぎていった。
あわてた衛兵が駆けよってくる。何ごとかと問われたので、「大きな猫があちらに走っていきました」とごまかすと、衛兵はあっさりと納得してくれた。言ってみるものである。
途中、何度かつまずきそうになったが、そのたびに足を止め、すり足でゆっくり進み、なんとか事なきを得た。ドレスの裾が長いせいで、その珍妙な足さばきは、誰の目にも止まることはなかった。
この歩き方は、幼少期に教わったマナー教師の夫人の指導の賜物である。厳しい人だったが、おかげでリーゼロッテが転ぶ回数は大幅に減ったのだ。
(ありがとう、ロッテンマイヤーさん)
夫人の名前が長ったらしくて覚えきれなかったリーゼロッテは、心の中で夫人をそんな名前で呼んでいた。ひっつめ髪に丸眼鏡の夫人はかなりの美人であったが、雰囲気がまんまアルプスの某少女の友人令嬢の教育係そのものだった。げに恐ろしい人だったが、今では感謝するばかりだ。
リーゼロッテはようやく、令嬢の最後尾につく。先に着いた令嬢とその母親の王妃様への熱烈なアピールが続いているため、ゆっくり歩いてきたリーゼロッテでも余裕で並ぶことができた。
挨拶し終わった令嬢は、その母親と共に円卓の席へといざなわれていたが、ひとりあたりのアピールタイムが長く、並んでからしばらくたっても、リーゼロッテの順番はまだまだ来そうにない。
(こんなことなら、焦らなくてもよかったかも)
ふう、とまわりに気づかれない程度にリーゼロッテはため息をついた。
(ああ……からだが重くなってきたわ)
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