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日常でも感じる疲労感が、いつも以上に早くリーゼロッテの体をじわじわと襲ってきている。慣れない馬車での移動に加え、コルセットで締め上げた窮屈なドレスと、普段よりかかとの高い靴が、よりいっそう体力を奪う。
自分の部屋から出ることがほとんどないリーゼロッテに、残された体力と時間はあまりなさそうだ。
王妃様に挨拶を済ませたら、体調不良を理由に、早いところお暇することを決めていた。いざとなったら気絶でも何でもして、強制送還をねらうしかない。お茶会程度で気絶する令嬢など、未来の王たる王太子殿下にふさわしくないと、すぐに解放されることだろう。
気絶はあくまで最終手段だが、周りを巻き込まないためにも、うまく立ち回らなくてはならない。
子供のころからお守りにしている、初恋の人からもらった青銅色のペンダントを、知らず握りしめる。徐々に重くなっている体を奮い立たせて、リーゼロッテはぐっと背筋をのばした。
「あなた、お顔の色がよろしくないようだけれど、大丈夫かしら?」
ふいに、リーゼロッテの前に並んでいた令嬢に声をかけられる。ふんわりとした亜麻色の髪に、ややたれ目の水色の瞳をした、可愛らしい令嬢だった。クリームイエローのドレスが彼女にとても似合っている。
リーゼロッテより背は少し高く、彼女は出るところは出て、くびれるところはきちんとくびれていた。自分の発育不良な体に、少なからずコンプレックスを覚えていたリーゼロッテは、無意識だがちらりとその令嬢のやわらかそうな胸元に目をやってしまっていた。
「すこし、緊張してしまって……。お気遣いいただきありがとうございます」
視線を戻し、大丈夫だと伝えるために、リーゼロッテは軽く礼を取って微笑んでみせた。
「そう? ならいいのだけれど。もしつらかったら遠慮なくおっしゃってね」
そう言うと亜麻色の髪の令嬢は、リーゼロッテの肩にそっと手を添えた。
(あれ?)
リーゼロッテは軽く首をかしげる。令嬢に触れられた肩が、少し軽くなった気がしたのだ。
(なんだろう、この感覚……。まるでルカに手をひかれている時のよう)
ルカとは、リーゼロッテの四歳下の義弟である。何もないところで転ぶリーゼロッテを、屋敷の中では、いつもルカが手をひいてエスコートしてくれている。ルカがいるだけで、リーゼロッテは不思議と転ばなくなるのだ。
令嬢の髪の色と目の色が、義弟に似ているからだろうか? 不思議な安心感が、令嬢の手から感じられた。
「ねえ、あなた……リーゼ……ダーミッシュ伯爵家のリーゼロッテ様ではない?」
リーゼロッテの顔をまじまじと見て、令嬢が可愛らしく小首をかしげる。
「ええ、確かにわたくしは、リーゼロッテ・ダーミッシュですわ」
ふいに聞かれて困惑しつつも、リーゼロッテは頷き答えた。
「やっぱり! リーゼ、わたくしよわたくし! アンネマリーよ!」
急にくだけた口調になった令嬢は、水色の綺麗な瞳をうれしそうに輝かせた。
(わたしわたし詐欺?)
脳内でつっこみつつ、リーゼロッテはその名を聞いて記憶の糸を探った。
「もしかして、クラッセン家の……アンネマリー様?」
「まあ、そんな他人行儀に! 従姉妹同士じゃない!」
彼女は侯爵家令嬢で、国の外交を任されている父親のクラッセン侯爵と共に、隣国で暮らしていたはずである。アンネマリーの母とリーゼロッテの義母は姉妹で、小さい頃よく、アンネマリーたちがリーゼロッテの領地に遊びに来ていた。
最後に会ったのはリーゼロッテが十歳の時だったろうか。一時帰国したクラッセン侯爵夫妻がアンネマリーと共に挨拶にやってきて、時間を忘れて二人でおしゃべりしたのを思い出した。あの時のアンネマリーは、リーゼロッテよりも背丈が小さく、体形だって同じような幼児体形だったはずだ。
(見違えるように綺麗になってて、アンネマリーだと気づかなかったわ)
目の前にいるアンネマリーの曲線のある女性らしい肢体を見やり、リーゼロッテはこの世の不公平さにやるせなさを感じた。
「トビアス伯父様も、ジルケ伯母様も、国にお戻りになられたの?」
気を取り直して、リーゼロッテはアンネマリーに話しかけた。
「お父様はまだあちらにいらっしゃるけれど、お母様とわたくしは社交界デビューにそなえて、先に国にもどってきたのよ。このお茶会にはわたくしだけで来たのだけれど」
健康そうな顔をほころばせて、アンネマリーはリーゼロッテの手を両手で握りしめた。
「リーゼロッテこそ、クリスタ叔母様は一緒ではないの?」
「あいにく義母は、出席していないの」
「そう、それは残念だわ。ぜひまたお会いしてお話がしたいわ」
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