第25話 腕の中へ

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 暗がりの通路を抜け、突き当りの扉から再び廊下に出る。部屋もなくただ廊下が伸びていた。もう夜半の時刻だ。薄暗い廊下を進むと、その先に開け放たれた扉から明かりが漏れているのが見えてきた。 「リーゼロッテ様……!」  カイを押しのけ、エーミールが我先にと部屋の中に入った。それに続いてニコラウスとカイも足を踏み入れる。 「誰もいない……?」  エーミールが部屋を見回す。部屋に内鍵はなく、扉にのぞき穴がくり抜かれている。牢と言うには調度品がまともで、私室と言うには厳重すぎる造りだった。 「いや、確かにリーゼロッテ嬢はさっきまでここにいた」  この部屋からリーゼロッテの力が色濃く感じ取れる。格子のはめられた窓に近づき、カイは桟に置かれた金属を手に取った。片方しかないが、これはリーゼロッテが持っていたフーゲンベルク製の知恵の輪だ。  椅子のそばの壁にいくつも線が刻まれている。日付を数えるためにつけたのかもしれない。あのリーゼロッテならやりそうなことだ。 (ベッティはリーゼロッテ嬢といたのか……?)  緑の力に紛れて、ほのかにベッティの力の残り香を感じる。注意深く部屋を探り、カイは扉のすぐ脇の床の一部に目を留めた。  短剣で床板を無理やりはがす。中からは一枚の紙が出てきた。デルプフェルト家秘伝の暗号で書かれた文章が、ベッティの文字で綴られている。 「これは……」  そこに書かれていたのは媚薬畑の詳細な位置だ。その紙を手にカイは硬い表情で立ち上がった。 「ブラル殿はこの紙を持って、一度バルバナス様の所に戻ってもらえるかな? グレーデン殿はオレと来て。リーゼロッテ嬢の行方はベッティが知っている可能性が高い」 「ベッティ? あのふざけた侍女か?」  エーミールの言葉を無視してカイは神官服を脱ぎ捨てた。こうなれば動きづらい分だけ不利になる。  三人は来た廊下を戻り雪の積もる外へと出た。ベッティの暗号を携えて、ニコラウスだけが神官が歩いてきた小道を戻る。 「リープリング!」  カイの呼びかけに、茂みからリープリングが飛び出してきた。 「ベッティのにおい、まだ追えるよね?」  ふんふんと鼻先を近づけると、リープリングは激しく尾を振った。そのまま辺りを嗅ぎまわり、ひとつの方向へと進み始める。 「この犬についていけば、リーゼロッテ様がいるんだな?」 「分からない。でもこれが今できる最善だ」  閉じ込められていただろう部屋はもぬけの空だった。廊下で倒れていたオスカー。ベッティとやり合った可能性も十分考えられる。  どんな事態になっているのか状況が把握できない。ふたりはただ、リープリングのあとを辛抱強くついていった。      ◇  拍子抜けするほどあっさりと、神殿への侵入が果たせた。裏手の小川付近の壁は高いものの、備え付けられた裏門はあまりにも脆弱(ぜいじゃく)だ。辺りには見張りも置かれておらず、マテアスとジークヴァルトは森の中の小路を進んだ。 「路は地図通りのようですねぇ。雪も積もってなくてこれ幸い……と言いたいところですが、旦那様、ゆめゆめ油断なさいませんように」 「ああ、分かっている」  しかめ面のまま、ジークヴァルトは歩を進めていく。気が(はや)るのは分かるのだが、どんどん速足になっていた。 「旦那様、少しペースを落としてください。まだ日が落ちて一時間も経ちません。神殿内の混乱はこれからです。ここぞという時へばっていては仕方ないでしょう?」  このルートを辿ればそう時間もかからず目星をつけた場所に到達できる。そこにリーゼロッテがいないのなら、それはその時次の手を打つまでだ。  それでもジークヴァルトの歩は止まらない。目立つため、明かりは最小限にしている。この暗い森の中、小道を辿る足の感触だけが頼りだ。そこをもってしてこの速度で進むジークヴァルトに、呆れとすごさを感じるマテアスだった。  そのジークヴァルトの足が突然止まった。 「マテアス」 「ええ、何やら不穏な気配ですねぇ」  小路の先から異形たちが近づいてくるのが分かる。この距離からでも相当数だと感じ取れた。 「ですが……行くべき道は間違っていないようですねっ」  先に駆けだしたジークヴァルトに続いて、マテアスも異形の黒山に突っ込んでいった。視界が遮られるほどに、次から次に異形の者が迫ってくる。  それを祓いながらふたりは小路を進んでいった。異形たちが行く手を阻み、迂回させようと邪魔をする。この進む先に行かせまいとの意思が伺えた。だがどれも弱い異形ばかりだ。危なげなくふたりは路なりに進んでいく。 「しかしなんで神殿にこんな数の異形が」 「知らん」  互いにフォローし合いながら前進していく。しかし異形は尽きることはなく、さらに数を増してきた。  気配を探ると、何もない空間から突然現れているかのようだ。背中合わせにとうとう足止めをされる。さすがにこれはおかしいと、ふたりで息を切らした。 「弱いとはいえ、多勢に無勢……いかがなさいますか、旦那様?」 「そんなこと決まり切ってるだろう」  手の内に籠めた力を、ひと方向に解き放つ。 「一点突破だ!」  切り開かれたその先へ、ジークヴァルトは迷わず駆けだした。そこをフォローしながらマテアスが続く。  鬼神のようなその背中から青の力が立ち昇る。溜まりに溜まった怒りが放電するように、その身から溢れ出していた。その勢いに気圧されて、かなりの数の異形が遠のいていく。 「オッオエ――っ!」  突如、森の遠くからおかしな雄叫びが響いた。その声は鳥のような羽ばたきと共に、どんどんこちらに近づいてくる。 「鳥?」  こんな夜更けに飛ぶのはフクロウか夜鷹(よたか)か。それにしては羽ばたきが派手すぎる。マテアスが眉をひそめたとき、いきなり異形の塊から一羽の(にわとり)が宙に躍り出た。 「オエ――――っ!!」  涙をまき散らしながら、鶏はジークヴァルトの胸に飛び込んだ。異形に追われていたのか、ぶるぶると全身を震わせている。 「に、鶏……?」  呆然とするマテアスを横に、ジークヴァルトははっとなった。鶏が(くわ)えていたものを取り上げる。銀色の知恵の輪が、緑の尾を引いていく。 「これはリーゼロッテ様にお渡しした知恵の輪……」  外れた片方だけだが確かにこれは、リーゼロッテの誕生日にマテアスが預けたものだ。 「旦那様……」 「ああ、もう容赦する必要はない」  先ほどよりも激しい青が全身から立ち昇る。この日以上にジークヴァルトが怒りをあらわにしたことはない。絶対に敵に回してはいけない人だと、マテアスが思った瞬間だった。 「オエッ」  鶏がマテアスの頭の上に移動した。先に進めと言うように、片羽をまっすぐ突き立てる。 「行くぞ!」 「どこまでもお供いたします!」  再びふたりは、異形の塊の先へと突き進んでいった。      ◇  夕食も下げられて、ベッティも神官に連れられて行ってしまった。この時間から明け方まではひとりきりの時間だ。日も沈み真っ暗になった外を眺めながら、リーゼロッテは小さく息をついた。  晴れた日の夜空に浮かぶ月はどんどんやせ細っていた。そろそろ新月を迎えて、これからは月は丸く肥えていくのだろう。 (満月が過ぎたらあの神官がまたやってくる……)  知恵の輪の柄で壁に正の字を刻んでいく。これが三十になるころがその時を迎えてしまう。日増しに増えていく傷の数に、リーゼロッテは唇をかみしめた。  日中は明るく振る舞っても、夜になるとどうしても気持ちが沈む。無心になろうと知恵の輪をいじり続けた。 「駄目だわ。ちっとも外れない」  途中で真剣に夢中になっていた自分に呆れつつ、()を持って知恵の輪をくるくる回す。すると遠心力で浮いていた片方が、いきなり放物線を描いて遠くへ飛んでいった。 「は、外れたっ!」  金属音がどこかで跳ねる。見失ったリーゼロッテは、床の上を探し回った。 「あ、あったわ。……ほんとに外れてる」  ここ半年近くあれだけいじり倒して分離しなかった物が、適当に回しただけであっさり外れてしまった。自力でできなかった分、なんだか悔しく感じられる。 「今度は組み合わせてみようかしら?」  重ね合わせるも今度は一向にひとつにならない。マテアスもエラもカイも事もなげにやってのけたのに、なぜに自分はこうも上手くできないのだろうか。  一心不乱にいじっていると、ふいに窓をこつこつ叩く音がした。初めは風の音かと無視していたが、こここここと連打され始めてリーゼロッテはようやく顔を上げた。 「マンボウ!?」  いつもマンボウが来るのは夜明け前だけだ。こんな夜にやってくるのはめずらしい。 「こんな時間に来て寝なくていいの?」 「オエッ!」  窓を開けて下に隙間を作ると、マンボウは首を曲げて覗き込んできた。知恵の輪を窓辺に置き、リーゼロッテはその頬をやさしく撫でた。
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