第25話 腕の中へ

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 マテアスの頭に鎮座したままの鶏が、片羽で進行方向を指さした。この鶏は時折今の仕草をする。どうやら道を外れた時に、そっちじゃないと教えているようだった。  その鶏が立ち上がり、大きく羽をばたつかせた。頭皮に爪が食い込んで、マテアスから悲鳴が上がる。 「いたっいたっ、そんなに掴んだら禿()げます!」 「オッオエ――!」 「うおっ」  目の前が(くれない)に染まって、マテアスの体は押し流された。突然の瘴気(しょうき)濁流(だくりゅう)になす(すべ)もない。全身が(あわ)立って、気づくとマテアスは森の小路に立っていた。異形もいない。頭に鶏が乗っているだけだ。 「旦那様?」  はっとして気配を探る。しかしジークヴァルトの姿はどこにもなかった。先ほど一瞬感じた紅の瘴気は、いつか公爵家を襲ったものだ。それが今は微塵も感じ取れない。 「一体何が……」 「オエっ」  鶏がいいから先に進めと指示してくる。確かにこのままここにいても仕方ないと、マテアスは鶏の導きのまま森の中を進んだ。  ほどなくして鶏は、道なき道を指し示した。道を外れると頭を強く掴まれるため、仕方なく雪の中に足を踏み入れる。誰かが一度通った跡がある。それも複数人のだ。 (獣の足跡もありますねぇ)  大型犬のような足跡に、狼でないことを祈る。茂みを揺らしながら前進すると、ふいに目の前に殺気を感じた。  繰り出された拳を咄嗟に受けて、組み手を取ったまま対峙する。すぐに息を飲んだのは、目の前の相手も同じだった。 「マテアス?」 「エーミール様?」  ふたりの声が重なった。ぽかんと見つめ合って、互いに状況を把握する。同じ場所を目指し踏み込んだのだ。出くわしたところで不思議はない。 「ジークヴァルト様はどうした」 「それが敷地に入ってすぐにあり得ない数の異様に襲われまして……」 「はぐれたのか?」 「先ほどまで一緒だったのですが、紅の異形の瘴気に引き離されたようです」 「紅の異形? 本体が現れたのか?」  エーミールの問いかけにマテアスはいえ、と首を振った。不可解なことが多すぎて、さすがのマテアスも適切な判断が付けられないでいる。 「役立たずだな」 「申し訳ございません。それでエーミール様はこのような場所で一体何を?」 「今リーゼロッテ様のあとを追っている」 「こんな獣道をですか?」 「詳しくは()()に聞け」  足早に進むエーミールの後についていくと、できた雪道の先にひとりの騎士がいた。その前を犬が歩いている。 「やぁ、従者君」 「デルプフェルト様……ご無沙汰しております」 「その様子じゃジークヴァルト様もまだ、リーゼロッテ嬢と会えてないみたいだね」 「おっしゃる通りです……」  難しい顔でマテアスは頷いた。 「その格好で騎士に見つかったら、ちょっと(かば)いきれないかもよ?」 「そうだな。マテアス、お前はこれでも着ていろ。後でどうとでもして神殿から連れ出してやる」  神官服を差し出され、マテアスはおとなしくそれを身に纏った。これで騎士に連行される神官の出来上がりだ。ジークヴァルトの安否が心配だが、目的はリーゼロッテを取り返すことだ。今はふたりについて行くしかないだろう。 「それで何を追っているのですか?」 「ベッティのにおいを追ってるところ」 「ベッティさんの?」 「神殿の奥に潜入させてたんだ。恐らくベッティはリーゼロッテ嬢と一緒にいた」  カイの言葉にマテアスはエーミールの顔を見た。エーミールもいまだ半信半疑の表情だ。  その時、近くの空で破裂音がした。次いで煙のようなにおいが流れてくる。 「ベッティ!」  いきなり駆けだしたカイに遅れて、マテアスとエーミールは慌ててその背を追っていった。       ◇  煙を頼りに雪の中を突き進んだ。いきなり開けた森の中、ベッティの姿を探す。あたりに黒い煙が立ち込めている。これはデルプフェルト家秘伝の煙玉だ。  先回りしたリープリングが一点に向かって吠え続ける。カイは一目散に駆け寄った。 「ベッティ……!」  力なく雪にうずもれる体を抱き起した。痛みからか、蒼白な唇がわずかに動く。外套(がいとう)を脱ぎ、手早くベッティを包み込んだ。怪我もひどいが触れる体が冷たすぎる。 「あるぇ? ここは天国ですかぁ?」 「ベッティ!」  沈みそうになる意識に必死に呼びかける。応えるようにベッティは、カイの腕の中、力なく親指をゆっくり立てた。 「カイ坊ちゃまぁ……わたし、やりましたよぅ……坊ちゃまの見立て通りぃ……奴は真っ黒もいいとこでしたぁ。リーゼロッテ様はぁ馬に乗せて川沿いに逃がしましたぁ……薬草畑は奴に燃やされてしまってぇ……そこの雪の下にうずもれてますぅ」 「ああ、分かった。今はもう何も言わなくていい」 「ですがぁこれが最期かと思うとぉ……少しぐらいは伝えとかないとぉ」 「最期になんかにさせないよ。ベッティは必ず助けてみせるから」  いつになく真剣なカイを見上げて、ベッティは意地悪そうな笑みを作る。 「カイ坊ちゃまはぁ、(のこ)される者の痛みをぉ……少しは味わった方がよろしいのですよぅ……」  ふぅと息をついてベッティは再び瞳を閉じた。ひそやかな呼吸は続いている。ベッティを抱え、カイは立ち上がった。  向かう先にバルバナスが現れた。騎士たちを引き連れて、ようやくここに辿りついたようだ。 「うちの手の者です。媚薬畑は燃やされ、そこの雪の下にあったそうです。オレたちが通ってきた先に建物があります。そこに神官を数人拘束中です。詳しくはブラル殿に確認を。あとそこに幽閉されていたリーゼロッテ嬢は、馬で川沿いに逃がしたとのことです。じゃあオレはもう行きますから」 「医療班! 大事な証言者だ、絶対に死なすんじゃねぇぞ!」  瀕死のベッティを一瞥(いちべつ)して、バルバナスが後方に怒鳴りつけた。去っていくカイの後を、医療に()けた者が慌てて追っていく。 「そこの雪ん下は媚薬畑のあった場所だ! 見失わねぇよう目印つけとけ! 日が昇ったら調査すんぞ! ニコラウスの言ってた建物は第二班に向かわせろ! そこにいる神官たちは別室に閉じ込めとけ!」  指示通りに騎士たちが動いていく。バルバナスは最後に、エーミールたちに目を止めた。 「おい、新入り。川沿いの捜索にも人員を()いてやる。指揮はニコラウス、いや、アデライーデ、お前が取れ」  それだけ言うとバルバナスは畑の方に向かった。入れ替わりのようにアデライーデが現れる。 「ちょっとエーミール。マテアスまで……ジークヴァルトはどうしたのよ?」 「それが神殿に入るなり異形の者に襲われまして……」 「神殿にも? いきなり王城に呼び戻されたと思ったら、暴れ出した異形の対処を命じられるわ、バルバナス様はさっさと行っちゃうわで、ほんともう散々だったわ」 「とにかくリーゼロッテ様の安否が心配です。逃がすとしたら王城側でしょう。そちらの方から捜索を」 「そうね。先にジークヴァルトと出会えてるといいんだけど」  白みかけてきた空を見上げて、一同は急ぎ捜索に向かった。      ◇  (あか)い霧の中、(おぼろ)げだった姿がはっきりとした輪郭を取った。いつかの夜会でリーゼロッテを襲った異形の者だ。禁忌の罪を犯した(あかし)を喉元に光らせ、対峙した女は妖艶な笑みを口元に()く。  相手が何者だろうと関係はなかった。邪魔をするなら力ずくで排除する。それだけの単純な話だ。  間合いを詰め、手の内に力を溜める。その様子をたのしそうに、紅の女はじっと見つめていた。  ふいに耳に馬の(いなな)きが届く。逸れた注意の隙に、紅の女が大きく後方に飛び退いた。はっと視線を戻すも、濃厚だった瘴気がすぅっと引いていく。溶け込むように禁忌の異形は、闇の中に消えていった。  しばしその場に佇むも、女が戻って来る様子はない。溜めた力を解いてジークヴァルトは(ひづめ)の音を耳で追った。ほどなくして一頭の馬が現れる。  (くら)はついているものの、誰も乗ってはいない。  ジークヴァルトの姿を認めると、馬は体を(ひるがえ)し来た道へと鼻先を向けた。振り返り、再び歩き出す。数歩進んだかと思ったら、またこちらを振り返った。 「ついて来いと言うのか?」  肯定するように、馬は小さく(いなな)いた。ジークヴァルトが歩を進め出すと、馬も一定速度で歩き出す。  見上げる空が徐々に白んでくる。木々が鬱蒼(うっそう)と生い茂る森に日が射しこむのは、まだ時間がかかりそうだ。 「リーゼロッテ……」  つぶやいて、ジークヴァルトは馬を見失わないよう、川沿いに奥へと進んでいった。       ◇ 「ベッティ……!」  いきなり飛び降りたベッティを振り返る。急に軽くなった髪に驚くも、駆ける馬上では確かめる(すべ)もない。
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