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つらくひどい境遇だったが、リーゼロッテの瞳の輝きは失われていない。その事だけが唯一の救いだ。リーゼロッテはどんなことになろうとリーゼロッテだ。この方に生涯尽くしていこうと、エラは改めて胸に誓った。
「わたくし、東宮にいた頃みたいに、きちんと体を動かしたいのだけれど」
「今はまだご無理をなさらない方が。少しずつやって参りましょう」
「そうね……でもこの部屋以外、どこも歩けないのは問題だわ。ヴァルト様を説得するいい方法はないかしら?」
「そうでございますね……」
小首をかしげるリーゼロッテを前に、エラも考えを巡らせる。公爵は心配で心配で仕方がないのだろう。だがエラとしてはリーゼロッテの気持ちが最優先だ。
「一緒にお出かけしたいとお願いするのはいかがでしょう? 貴族街でお買い物でもいいですし、もう少し暖かくなったら公爵領を散策なさっても」
「それはいい考えね! でもヴァルト様はお忙しいし……」
「お嬢様のためならお時間をとってくださいますよ。公爵様も働きすぎのように思います。却っていい息抜きになられるのでは?」
「だったら何かお願いしてみようかしら」
「そう言えば、公爵様は近衛騎士の訓練に復帰なさるようですね」
謹慎が解けて、王城の出仕も再開されると聞いた。それに先立って近衛第一隊の訓練に顔を出すことになったらしい。
「訓練を見学したいとお願いなさってみては?」
「わたくし前から一度見学してみたかったの! 思い切ってお願いしてみようかしら」
リーゼロッテは花が綻ぶような笑顔を見せた。この笑顔のためなら何でもしたい。そう思うエラだった。
リーゼロッテの可愛いおねだりに、ジークヴァルトはしぶしぶ了承し、数日後に王城へとでかけることになったのだった。
◇
馬車を降りて、すかさず抱き上げられた。そのまま王城の廊下を運ばれる。
公爵家を出るときもそうだった。エントランスに向かおうと扉を開けると、既にジークヴァルトが待っていて、有無を言わさず馬車まで横抱きで移動させられた。一歩も歩かないまま、王城に到着したリーゼロッテだ。
「ヴァルト様……わたくし自分で歩けますから」
「駄目だ」
短く言って、ジークヴァルトは大股で歩を進める。周囲の好奇の目にさらされて、恥ずかしさのあまりリーゼロッテは黒い騎士服の首筋に顔をうずめた。
短くなった髪を詮索されないようにと、エラがまとめ髪にしてくれた。それがあだとなって、うまく顔を隠せない。
長い廊下を出会っては、驚き顔の騎士たちが遠ざかっていく。いつか見た風景だ。ジークヴァルトと再会した二年前、同じように輸送されていたことを思い出す。
(両思いになったのに、あの頃と扱いが変わらない……)
涙目になりつつ、ダメモトで訴えた。
「ヴァルト様、わたくし今年で十七になります。それなのに王城で抱き上げて運ばれるなど……とても恥ずかしいですわ」
「オレは別に恥ずかしくない。それにオレたちは婚約者だ。何もおかしくはないだろう?」
「い、いえ……婚約者同士と言えどさすがにこれは……」
「そうなのか? 父上たちはいつでもこんな感じだったぞ」
「え……?」
(お父様たちって……ジークフリート様が? もしかしてヴァルト様、本当にこれが当たり前だと思っているの……!?)
ジークヴァルトの奇行の数々は、家庭環境に起因しているのか。だが記憶に残る初恋の人ジークフリートが、そんなおかしなことをする人物とは思えない。
その間も歩は止まらず、だっこ行脚は続いていく。結局は降ろしてもらえないまま、騎士団の訓練場に辿り着いた。
訓練場に入るなり、注目が集まった。リーゼロッテを抱えたジークヴァルトが登場するや否や、どよめきが溢れ出す。
「噂の妖精姫だ……」
「幻の令嬢、妖精姫だ……」
「本当にいたんだ、伝説の妖精姫……」
ふたつ名におかしな前置きがつけ足されていく。恥ずかしいからやめて欲しい。そしてそんなに見ないで欲しい。そんなことを思っていると、ジークヴァルトが好奇の視線から隠すように、リーゼロッテを抱え直した。
「それ以上見るな。見た奴は手合わせで容赦なく叩きのめす」
「「「ええーっそんな横暴なー!!」」」
騎士たちの非難の声をひと睨みで黙らせると、ジークヴァルトは観客席でリーゼロッテをやさしく降ろした。先に待っていたエラとエマニュエルが迎え入れる。
「エマ、それにエデラー嬢も、後は頼む」
「お任せください、旦那様」
両脇をふたりに固めさせて、リーゼロッテに男を近づけさせない作戦だ。
「絶対にそこを動くなよ」
「はい、おとなしく見学しておりますわ」
過去を振り返ると、そう答えて守れた試しが一度もない。今度こそは信用を取り戻そうと、リーゼロッテは力強く頷いた。
そんなリーゼロッテの頬をひと撫でしてから、ジークヴァルトは騎士たちの元へと向かっていく。騎士服の後ろ姿をぽーっとなって見送った。最近はジークヴァルトを見るだけで、胸が高鳴って仕方がない。心臓が壊れてしまわないか、自分でも心配になるほどだ。
「ふふふ、旦那様も可愛らしい嫉妬をなさること」
エマニュエルに笑われて、ようやく我に返った。
「ヴァルト様がいつ嫉妬を……?」
「あら、あんなにリーゼロッテ様を隠したがっておいででしたでしょう?」
「あれはわたくしが恥ずかしがっていたから、そうしてくださっただけで……」
「それだけではございませんよ。だってわたしたち、絶対にリーゼロッテ様に騎士たちを近づけさせないよう、旦那様にきつく言われておりますもの。ねぇエラ様?」
「はい、確かにそのように」
そう言われて思わずジークヴァルトを見やる。離れた場所の青い瞳と目が合った。
「旦那様はずっとリーゼロッテ様に首ったけですわ。お屋敷でも夜会でも、いつでもリーゼロッテ様を目で追っておられますから」
「それは同感ですわね。リーゼロッテ様が鈍くいらっしゃるから、公爵様が少しばかり不憫ですわ」
「ヤスミン様……」
いつの間にいたのか、バスケットを持ったヤスミンがいたずらな笑みを向けてくる。
「お父様に差し入れに来ましたの。リーゼロッテ様とお会いできてうれしいですわ」
ヤスミンは侯爵であるキュプカー隊長のひとり娘だ。そもそも騎士団の訓練を見たいと思ったのも、ヤスミンから話を聞いたからだった。
エラが椅子をずれてヤスミンが隣に腰かけると、騎士たちの注目がますますこちらに集まった。
幻の妖精姫と噂の伯爵令嬢リーゼロッテ。いつも差し入れをくれる侯爵令嬢ヤスミン。妖艶なわがままボディの子爵夫人エマニュエル。そして妙齢美人の男爵令嬢エラ。この華やかな並びに、目を奪われるなと言うのは無理な話だ。
その視線を威圧して、ジークヴァルトが騎士たちを全員、明後日の方に向けさせる。
「ほら、やっぱり。旦那様、あんなに必死になって」
「公爵様のご苦労はこれからも絶えませんわね」
そんなふうに笑われて、今までのジークヴァルトを思い返す。膝にのせたり、抱き上げて運んだり、人前で髪をなでたり、あーんをしたり。あの奇行の数々は、初恋のリーゼロッテに向けられた独占欲のあらわれなのだろうか?
そう思った瞬間、頬がぼっと上気した。
(ずっと子ども扱いだと思っていたのに……。ヤスミン様が言うように、わたしってかなり鈍いのかしら……)
だが分かりにくいジークヴァルトも大概だと思う。口べたなのは分かっているが、もう少し言葉があっても良かったのにと思ってしまう。
そんなとき別の令嬢たちが数人、観覧席にやってきた。アイドルのおっかけさながらに、騎士たちを見てはきゃいきゃいと騒ぎ出す。
「見て、今日はフーゲンベルク公爵様がいらっしゃるわ!」
「なんて幸運! 公爵様はここ最近お姿を現さなかったから」
「ああ、あの冷たい視線、たまらないわ……わたくしも目の前で睨んで欲しい……」
そんな会話にリーゼロッテは聞き耳を立てた。ジークヴァルトの婚約者は自分なのだ。大声でそう訴えたい。
「言った通りでしたでしょう? 見張っていないと油断も隙もありませんことよ?」
「あら? ヨハン様。それにマテアスも」
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