第1話 膝の上のまどろみ

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 ふいにエマニュエルが不思議そうな声を上げた。ジークヴァルトの立つ向こうに、カーク子爵家跡取りヨハンの巨体と、マテアスのもじゃもじゃ天然パーマが見える。 「今日はふたりも訓練に参加するそうですわ。ヴァルト様がそうおっしゃっていましたから」 「ヨハン様は分かりますけれど、どうしてマテアスまで……」 「マテアス……? ああ、公爵様の従者の。確かエマニュエル様の弟でしたわよね」 「ええ、旦那様とリーゼロッテ様が婚姻を果たされましたら、マテアスが公爵家の家令を務める事になっていて。あの子、お屋敷を離れて大丈夫なのかしら……」 「なんでもキュプカー侯爵様のたってのご希望らしいですわ」  リーゼロッテの言葉に、ヤスミンは首をかしげた。 「ということは、彼は相当強いのかしら?」 「マテアスは武術の達人です。それはもう本当に強いんですよ」  興奮気味に前のめりで言うエラに、みなの視線が集まった。 「エラ様、いつの間にマテアスとそんなに親しくなられたの?」 「いえ、親しくと言うか、去年からマテアスに護身と体術の指南を受けていて」 「あら、それは楽しそうですわね」  そんな会話をしているうちに、キュプカー隊長の号令が訓練場に響き渡った。 「では訓練を開始する! 本日からフーゲンベルク副隊長が復帰した。手合わせ要員として、子爵家のカーク殿と公爵家の家人を副隊長が連れてきてくれた。カーク殿は力強い剣を振るう。従者の彼は武術に長けた人物だ。普段と違うタイプの相手だ、各自、油断しないように。それと怪我のないよう準備運動は怠るなよ!」  それぞれが動き出そうとした時、見学していた令嬢たちから歓喜の悲鳴があがった。 「きゃあ! あれはグレーデン様よ!」 「騎士団に入られたって本当だったのね!」 「騎士服姿が似合いすぎてる!」  見るとニコラウスを連れたエーミールが訓練場にやってきていた。ふたりは近衛騎士ではなく砦の王城騎士の制服を着ている。 「今日はジークヴァルト様が復帰なさると聞き、顔を出させてもらった」 「いやぁ、飛び入りですみません……」 「グレーデン殿にブラル殿か。いいだろう、こちらとしても相手に不足なしだ。おい、貴様ら! 今日はトーナメント方式で行くぞ。全員くじを引いて公正に行う。いつも言っているが、ここでは身分は一切忘れろ。手加減するような奴は除隊にするからな!」  キュプカーのひと言で、訓練場が沸き立った。人数が多いため一度に数組の手合わせが開始され、観客席からも黄色い声援が飛び交っている。 「きゃーっグレーデン様の剣さばき、すてきー!」 「フーゲンベルク公爵様の雄姿、しびれるぅ~!」  よく聞くと声援を飛ばされているのは、ごく限られた人間だけだ。モブ騎士たちも何とか令嬢の目に留まろうと、あちこちで激しい攻防が繰り広げられていた。  あからさまな声援をよそに、リーゼロッテたちは慎ましやかに応援していた。 「あ、ヴァルト様! あっあっあっ……! ああ、よかった……」  きわどい一手を避けたジークヴァルトが相手を打ち負かし、リーゼロッテの口から安堵の息がもれた。ハラハラする場面では顔を覆い、勝利を収めては破顔する。先ほどからそれを繰り返しているリーゼロッテを、エマニュエルは微笑ましそうに眺めていた。 「あっ! マテアス、危ない! そう、そこ、今よ! やっちゃいなさい!」  一方エラは、ファイティングポーズでマテアスばかりを目で追っている。時折漏れる声援が名司令塔(セコンド)のようで、驚きと共にエマニュエルからくすりと笑みが漏れて出た。 「ねぇ、エマニュエル様。あの大きな方はカーク子爵家のヨハン様ですわよね?」 「ええ、そうですけれど……」 「なんて素敵な筋肉をお持ちなの……! エマニュエル様、あとでわたくしに紹介してくださらないかしら?」 「ヨハン様をですか? それはもちろん構いませんが……」  突然のヤスミンの頼みに、エマニュエルはひたすら戸惑った。恋する乙女のような瞳で、ヤスミンはヨハンの戦う姿に見とれている。あのモジモジ大男のヨハンにこんな反応をする令嬢など、今までひとりも見たことがない。  そのヨハンがニコラウスと対峙した。  普段は気はやさしいが、ヨハンは剣を持つと豪胆な戦士に変わる。力任せで振り下ろされる大剣に、ばったばったと何人もの近衛騎士が打ち負かされていた。  対してニコラウスは砦の騎士の中でも細身な体つきだ。だが騎士団総司令のバルバナス直属とあって、その剣技には定評があった。  周囲の騎士たちがふたりの試合に注目している。パワープレーヤーのヨハン対(わざ)のニコラウス。激しい攻防の末、勝負はニコラウスに軍配が上がった。  おお、とどよめきが漏れる中、ニコラウスは令嬢たちをどや顔で振り返った。しかし令嬢たちはこちらには目もくれず、すぐ横で行われていたエーミールの勝利に、黄色い声援を送っている。 「難敵を倒したって言うのに……」  トホホな顔で、ニコラウスは次の試合へと進んだ。 「次はお前か、ニコラウス」 「エーミール様、手加減なしでお願いしますよ」 「当然だ。お前こそ手を抜くなよ」  お互いの実力は、今までの手合わせで把握済みだ。今のところ五分(ごぶ)の戦歴に、今度こそ勝利すると、ふたりは息まいた。  体格は似たり寄ったりで、隠れ細マッチョなニコラウスの方がやや有利な状態だ。剣技はエーミール優勢と言ったところで、双方引かずなかなか勝負がつかなかった。  令嬢たちの声はエーミールの名しか発しない。ニコラウスと言えば、野太い声援が送られるばかりだ。 「モテたい男の執念、なめんなよっ!」  渾身の一撃が手首に決まり、エーミールの剣が弾かれた。 「くそっ!」 「よっしゃーーーーっ!」  剣を掲げニコラウスがどや顔で振り返る。途端に令嬢たちから大ブーイングを浴びせられた。 「うっう、勝ったのにどうして……」 「いい試合だった。次こそは負けんぞ」  騎士道にならって礼で締める。泣きながらニコラウスはさらに次の試合に進んだ。  次の試合相手はマテアスだった。騎士に(まぎ)れてマテアスはひとり、体術のみで戦っている。 「ブラル様、どうぞご遠慮なく。(あるじ)の命令でしぶしぶやって参りましたが、やるからにはこちらも全力で行かせていただきます」 「望むところだ!」  ニコラウスの見たところ、マテアスは先手必勝のタイプだ。長剣を振るう騎士相手には、(ふところ)に飛び込んで瞬殺するのが手っ取り早い。  初発の一撃をかわすと、ニコラウスはすかさず剣を繰り出した。低い姿勢で(かわ)され、お互い再び距離を取る。 「さすがはブラル様。一筋縄では参りませんね」 「生憎(あいにく)とこっちも実戦慣れしてるんでね」  騎士同士の手合わせばかりしている近衛隊とは違うのだ。にやりと笑うと剣を振り上げ、ニコラウスは再びマテアスに迫った。 「わたしも旦那様相手に毎朝死ぬ思いをしておりますから」  ふっと目の前からマテアスが掻き消えた、かと思うと背後の耳元で囁かれる。首筋にひたりと当たった短剣の刃に、ニコラウスは迷わず降参のポーズを決めた。 「失礼。飛び道具(これくらい)はハンデということでご容赦(ようしゃ)ください」  短剣をしまうと、ニコラウスの前でマテアスは優雅に礼を取った。  ジークヴァルトは順当に勝ち進み、決勝戦相手が決まるのを待つのみだ。その対戦相手を決める準決勝は、マテアスとキュプカー隊長で行われることとなった。 「おもしろい、君とは一度、手合わせしてみたかった」 「恐縮でございます」  開始と共にマテアスが動く。それを何なく(かわ)して、キュプカーの立て続けの斬撃(ざんげき)が炸裂する。  騎士たちから感嘆の声が上がった。キュプカーもいい年だが、その腕が衰えている様子はない。若かりし頃は「連撃のブルーノ」として、同期の騎士たちから恐れられる存在だった。  さすがのマテアスも追い詰められて、反撃の手を塞がれる。これが実戦なら毒矢でも繰り出すところだが、手合わせでそこまでする理由が見つからない。あっさり負けを認め、キュプカーの勝利で準決勝は幕を閉じた。 「さぁ、決勝戦だ。副隊長と本気でやり合うのは久しぶりだな」 「……」
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