第1話 膝の上のまどろみ

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 無言のままジークヴァルトはリーゼロッテに視線を向けた。エマニュエルとヤスミンに挟まれて、涙目で祈る様な瞳で見つめ返してくる。  頷いて、キュプカーに向き直った。双方礼を取り、決勝戦が開始される。  お互い何戦もこなしてきた身だ。若い分だけジークヴァルトの方が優勢だった。ジークヴァルトは剣技もスピードもパワーも兼ね備えた万能型プレイヤーだ。息の上がってきたキュプカーの斬撃を跳ねのけ、その喉元に剣先を突き付けた。 「参った。オレの負けだ」  騎士たちと令嬢たちの歓声が同時に上がる。大盛り上がりの中、手合わせトーナメントはジークヴァルトが勝利を収めた。 「しかし上位者にほぼ近衛騎士がいないなど……普段の鍛え方が甘かったな」  キュプカーのつぶやきに、周囲にいた騎士たちに戦慄(せんりつ)が走る。隊長にスイッチが入ると地獄を見ると言うのが共通の認識だ。みなはそそくさと休憩しに遠くへ逃げていった。 「お父様、残念でしたわね」 「ヤスミンか」 「今日も差し入れを持ってきましたのよ。騎士のみな様と召し上がって……あら、今日はどなたも取りにこられないのね」  いつもだったら群がるように差し入れに飛びつく騎士たちが、今日は遠巻きにこちらを見守っている。 「ジークヴァルト様、お怪我はございませんか?」 「ああ、問題ない」  すぐ横で見つめ合うふたりに、ヤスミンは「相変わらずお熱いですこと」と言ってふふと笑った。 「ヤスミン……あまり失礼を言うんじゃないぞ」 「分かっておりますわ。ですが、あちこちおもしろいことになっておりますもの。これを見逃す手はございませんわ」  ヤスミンの視線の向こうで、エラが興奮気味にマテアスと会話をしている。そのふたりを遠巻きに、エーミールが複雑そうな顔で見つめていた。 「ああ、彼も優秀な人材だな。どうして従者などやっているのか……騎士団に引き抜きたいくらいだ」 「彼は次の家令になることが決まっているそうですわよ。公爵様の右腕ですもの。無理はおっしゃらないでくださいませ」 「なんと、文武両道か。ヤスミンの婿(むこ)に欲しいくらいだな」 「もうお父様ったら。公爵家の英才教育を受けた人物を引き抜こうだなんて、フーゲンベルク家を敵に回しますわよ。その前にお母様に離婚を言い渡されそうですけれど」 「縁起でもないことを言わんでくれ」  親子の軽いやり取りに、エマニュエルが遠慮がちに声をかけた。 「あのヤスミン様。ヨハン様をお連れしました」 「は、はじめまして、キュプカー嬢! わ、わたしはカーク家嫡男(ちゃくなん)、ヨハンでありますっ」 「まぁ、ヨハン様。お会いできてうれしいですわ。あの、お体に触ってみてもよろしいですか?」 「か、からだっ!? あ、いや、どうぞ、お好きなだけっ」 「ふふ、うれしいですわ」  興味津々と言った感じで、ヤスミンはヨハンのまわりをぐるりと一周した。吟味するように観察してから、背中の一部に手のひらを当てる。 「この筋肉、想像以上ですわ」 「ああ、これは相当毎日鍛え上げているな。カーク殿、我が近衛第一隊に入らないか?」  なぜかキュプカーも横に並んで、ヨハンの筋肉をしげしげと眺めている。そのまま親子で筋肉談義が始まった。  動けないままヨハンはヤスミンの姿を目で追っている。その瞳にハートマークが浮かんでいるのを認め、エマニュエルが重くため息をついた。 「ヨハン様。ヤスミン様はキュプカー侯爵家の跡取りでいらっしゃいますわ。将来は婿養子を迎えることになられるでしょう。ヨハン様はカーク家を継がれる身。不毛な恋をしている暇などございませんわよ?」 「わ、分かっている。分かっているが、キュプカー嬢……なんて美しい方なんだ……」  小声でくぎを刺すも、ヨハンはすでにメロメロだ。ヨハンは跡取りのくせに、いまだ婚約者も決まっていない。惚れっぽい性格もここまでくると手の施しようがないと、呆れるエマニュエルだった。  そんなこんなで訓練の見学を終え、一行は帰路につくのだった。      ◇ 「ジークヴァルト様、今日は連れてきてくださってありがとうございました」 「ああ」 「その……ヴァルト様、とても格好よかったですわ」  帰りの馬車の中、膝の上で頬を染めながらなんとか口にした。恥ずかしいが、溢れる思いをちゃんとジークヴァルトに伝えたい。今一瞬一瞬を大事にしないと、またこの先何があるか分からない。そう思うと、与えられた時間を大切に過ごしていきたかった。 「そうか」  そう言ってジークヴァルトがやさしく背をさすってくる。ウトウトしてきてしまって、リーゼロッテは眠ったらもったいないと必死に目をこすった。 「こするな、傷がつく」  やんわりと手を掴まれて、そのまま大きな手に握られる。顔を見上げるも、ジークヴァルトの視線は夕刻迫った流れる景色に向けられていた。 (キス、して欲しいな……)  あの日神殿の(こご)える森で、ジークヴァルトとたくさんキスをした。うれしくてうれしくて、リーゼロッテからも夢中で何度も口づけをねだった。  だがあの日以来、ジークヴァルトは一切何もしてこない。膝にのせたり髪を梳いたりするのは相変わらずだが、それ以上のことを求めてくることは一度もなかった。  今日のヤスミンたちとのやり取りで、ジークヴァルトが自分に対して独占欲を抱いていることはなんとなく分かった。 (それなのにキスのひとつもしてくれないなんて……)  やっぱり両思いなのは自分の勘違いなのではないだろうか。そんな馬鹿げた不安が頭をもたげてくる。 「どうした? 眠かったら寝てもいいぞ」  やさしく言われ、ジークヴァルトを穿(うが)って見ている自分が恥ずかしくなった。 (やっぱりヴァルト様は、そういったことに淡白なのかしら……)  あまりべたべたするのが好きじゃないのかもしれない。勇気を振り絞って自分からキスを迫ってみようか。でも嫌がられたらどうしよう。そんな考えが頭の中をぐるぐると回った。 「ヴァルト様……今度は領地の街並みをゆっくり見てみたいですわ」 「ああ、分かった。だがもう少し暖かくなってからだ」  ジークヴァルトの声が耳に心地よい。まるで子守唄のようで、リーゼロッテはそのまま眠ってしまった。  そんなリーゼロッテの寝顔を見つめ、ジークヴァルトはゆっくりと頬に指を滑らせる。  無防備な唇を塞ぎ、すべてを奪ってしまいたい。そんな衝動に駆られるも、息を吐き理性を取り戻す。リーゼロッテの体力はいまだ回復しきっていない。ここまで待ったのだ。今自分が暴走したら彼女の傷が深まるだけだ。  もう二度と、リーゼロッテを失いたくない。あの日々に戻ったら、今度こそ自分は気が狂うだろう。そんな確信の中、窓の外に目を向けた。  今はこの温もりだけあればいい。(きた)る日を迎えるまでは、何が何でも自制をし続けなくては。 「――婚姻の託宣が降りるまでだ」  何度も言い聞かせてきた言葉を、ジークヴァルトは(いまし)めのようにつぶやいた。
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